From Darwin to Derrida その126

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その20

 
ヘイグによる目的論の擁護.再帰的な因果を持つ自然淘汰プロセスは因果の逆転なしに目的が手段の原因になりうることを延々と議論し,さらに3匹の悪魔を登場させて淘汰プロセスを解析して見せた.さらに発生システム論との論争にもちょっと触れた.ここからは意味論的な議論となる.

 

テキストとしてのゲノム

神と自然は争っているのか,
すなわち自然はかくも邪悪な夢を抱くのか?
自然は種については配慮しているようだが,
個別の命には全く無頓着のようだ

テニソン

 

 
冒頭で引用されているのは英国の桂冠詩人テニスンの親友の死を悼む長大な詩「イン・メモリアル」の一節だ.テニスンが進化生物学で引用されるときには,弱肉強食の自然界の有り様の描写として,この部分のすぐあとにある「Tho’ Nature, red in tooth and claw:自然がその牙と爪を血に染めていても・・・」のところが引用されることが多い.いかにも蘊蓄の多い本書らしくその前段の「自然は実は邪悪なのではないか,個別の命に気を配っているようには見えない」という部分が引用されている.この直後に化石を見ると種が絶滅しているのがわかるし,自然界は弱肉強食にあふれていると続くわけだ.
 

  • ゲノムは歴史的文書に似ている(ピッテンドリ 1993,ウィリアムズ 1992).アデニンでなくチミン,グルタミン酸でなくバリンというのは文脈なしには意味がない;しかしβグロブリンのヌクレオチドポジション17のチミン,アミノ酸ポジション5のバリンはその文脈の中で(どちらもマラリアについて明示的に表示しているわけではなくとも)意味を持つ.

 
鎌型赤血球症はヘテロの場合にマラリア耐性を持つ.これを引き起こす遺伝子のテキストの意味はそれがβグロブリン遺伝子でマラリア感染リスクがあるという文脈があってはじめて意味を持つということだ.ここからヘイグの考察となる.
 

  • ゲノムは間接的な選択のアーカイブだ.そこには発現と位置以外の表示されていない意味が含まれている.それは過去の記述の一部を消して上書きすることを繰り返した羊皮紙だ.すべてのテキストが読めるわけではない.そこには何を解読すべてでないのかについてのちんぷんかんぷんで謎めいた注釈が含まれている.ゲノムの査察官はレトロトランスポゾンのよこしまな試みを防ぐのに躍起なのだ.

 

  • テキストのどこに意味があるのか? 本章の文章は,増殖する単語の書き換えと広範囲な文の書き換えを経て進化してきた.そこにはページのスペースをめぐる生存競争があった.私が書くことができた文が膨大にある.私の意味は書いた文章と書かなかった文章の違いの中にある.しばしばひとつの改訂は一貫性を保つための別の改訂を必要とする.
  • 本章は繰り返し,再帰,相互参照,引喩的頭韻法を用いた意識的な振り返りだ.このメタ意味の一部は,多くの意味がテキスト全体にちりばめられていること,すべてが明晰には述べられていないこと,そしてこの文章自体がゲノムの中の意味構造を示唆していることだ.単独の文字には意味はなく,単語にも少ししか意味はない.文にはもう少し意味があるが,多くの意図された意味は黙示的だ.理解はパーツの足し合わせでなく相互作用のある全体から得られる.しかしそれでもテキストは文字,単語の足し合わせから書かれている.テキストは読むことによって意味を発見できる.しかし転写は単に書かれているもの限りだ.

 
そして意味が文脈に依存することをこの本文自体を例として示唆しようとしている.確かにヘイグの文章はここにある通り繰り返し,再帰,相互参照,引喩的頭韻法にあふれ,あえて明晰に書いていないところがあったりしてなかなか難解だ.冒頭のテニスンの引用も本文にどうかかわっているのか,私にはよくわからないところだ.