From Darwin to Derrida その127

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その21

 
ヘイグによる目的論の擁護.意味論の議論は鎌型赤血球症の遺伝子,そして本書の文章そのものにも触れつつ,意味は文脈に依存し,テキストに全て明示的にあるわけでもないことが指摘される.そこには解釈があるのだ.
 

テキストとしてのゲノム その2

 

  • 意味は解釈の中にある.私が意図した意味があり,あなたが発見する意味がある.私は説得するために書く.しかしあなたは私の文章を使って,他者に私が間違っていると説得することもできる.あなたは私の文章を自由に解釈できる.言語の不完全さは,解釈の幅を広げ,藁人形論法を可能にする.誤謬は著者の誤情報からも,読者の誤解釈からも生じうる.

 
意味は解釈者にも依存する.おりしも早大教育学部の現代国語の入試問題をめぐって問題文のフーコーについての文章を書いた著者自身が早大の発表した正解に疑問を抱き,問い合わせしたところ,その木で鼻をくくった対応に憤慨して,やり取りをネット公開するという騒ぎが起こっているが,当然ながらいったん発表されたテキストの解釈は著者の意図を越えることがあるのだ*1.では遺伝子テキストについてはどうなるのかが次に語られる.
 

  • 遺伝子がしていることは環境文脈の中で他の遺伝子との相互作用に依存しているとするなら「遺伝子は何を意味しているか」という質問は,単語の定義が意味論的文脈の中で他の単語を使って表現されているときに「単語は何を意味しているか」という質問に似ている.
  • 現代の哲学者は,アリストテレスが “aition” で何を意味していたかを考えるときに「翻訳の非決定性」という問題に直面し,他の哲学者の議論の意味を理解しようとする(あるいは誤解しようとする)ときに「解釈の非決定性」という問題に直面する.
  • 現代の生物学者は遺伝物質の意味論的コンテンツについて同じような非決定性に直面している.生物学の「情報論的トーク」の批判者たちは,しばしばDNAの厳密な意味の正当化を,言語の意味の正当化ができる程度を越えて要求する.

 

  • 1つのアイデアは1つの組み替えのないDNAセグメントと意味論的に同等だ.それは1個口で送られる意味のあるかたまりだ.違いを作るのは意味論的な違いだ.アイデアと「簡潔な引用」はいつでも再使用が可能だ.それはそれらが文脈を離れても意味を持つからだ.科学はアイデアの組み替えにより進歩するのに対して,偉大な文学作品はクローン的に複製され,全体として解釈される.科学的な世界では「最小の出版ユニット」が偉大な大作を部分的に置き換えていく.それは短いテキストの方が使ったり引用したりしやすいからだ.現役の生物学者が「種の起源」を読むのは,それが役に立ち,楽しいからだ.というのは150年にわたる科学的営みの中で,そのテキストの最良の部分は何度も何度も新しい組み合わせとともに再使用されているからだ.

 
なかなか難解だが,遺伝子テキストの最小ユニットには,そのコアに文脈を離れても成り立つ最小の意味がある,そしてそれは文脈や環境の中ではるかに壮大で複雑な意味を作りうるということだろう.
 

  • 遺伝子の効果を認めることと,著者に信用を与えることは似ている.科学者たちは哲学者たちより相互参照する.そして小説家はほとんどしない.引用は情報を付け加えるだけでなく,その著者への信用を表す.すべての新しい洞察は,それが意識的にせよ無意識的にせよ先駆者たちの作った文脈から生まれる.そして伝達容易なアイデアは意味の絡み合いの再構成より信用しやすい.「トリスタン・シャンディ」には哲学的な洞察が含まれているが,哲学者から引用されることはまずない.なぜなら絡み合いの中からアイデアを分離することが難しいからだ.

 
科学は最小アイデアを使い回ししてより大きく素晴らしい営みを行うことができるが,哲学はそうではないといいたいらしい.ここには哲学者に対するディスリスペクトがあるのだろうか.おそらくそうではなく,異なる種類の営みだということをいいたいのだろう.そして遺伝子テキストは科学者の文章に似ているというのがヘイグのいいたいことだ.
 

  • 科学者は引用を気にする.なぜなら挑発的な素晴らしいアイデアに自分の名前が加わってほしいからだ.しかし信用を得るには簡潔で明確でなければならない.そうでなければ後付けの解釈で自分が正しいと主張したり,失敗しても解釈を変えて批判を逃れたりできてしまうからだ.
  • 科学者は解釈が一意的に決まることを望むが,小説家はしばしばその選択を読者にゆだねる.解釈の非決定性は小説のデザインフィーチャーだが,実験ノートや科学的論文においては欠陥になるのだ.

 
科学者の信用は真実の主張にある.だから後でごまかせないような明確な構造を必要とする.そこが作品全体の印象で評価される小説家とは異なる.そして科学者のテキストの方が遺伝子のテキスト(これはごまかしようのない適応度でテストされる)に似ているということだろう.

*1:くだんの学者の名誉のためにコメントしておくと,彼女は単に自分の意図と異なることを理由とはしていない,問題文テキストから読み取れるかどうかも問題にしている.そして正誤よりも問い合わせに対する態度が不誠実だとお怒りのようだ.