「Why everyone (else) is a hypocrite」 第6章 その3 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第6章 心理的宣伝(承前)


さて本章の最後に,クツバンはこの戦略的誤謬のケーススタディとして,お得意の「進化心理学に対するいわれなき中傷」現象を取り上げている.


<戦略的誤謬:幕間劇,あるいはケーススタディ


まず最初に科学者にある戦略的誤謬を説明する.
まずクツバン自身が学生のころに持っていた科学についてのポリアンナ的幻想*1「他人の論文を読み,そのロジックや証拠を評価し,自分のアイデアが代替アイデアより正しいかどうか確かめるために実験し,論争に決着をつけるために論文を書く」は物事の一面でしかないとはじまる.科学者は自分のアイデアが新しいかどうかが評価の大きな要素になる.いわゆる先取権というものだが,そもそも新しいかどうかはある程度主観に依存するところがある.だからこれを声高に主張するには,広報モジュールは「新しいアイデアだ」と信じた方がよいのだ.


そして科学者としてやっていくときに,自己欺瞞的になっていた方が有利なのは,自分のアイデアの新しさだけでなく,論争相手の主張が間違っているという信念についてもいえることになる.その方が,激しく断定的に攻撃できるからだ.


大声を上げた方が周りに対して自分の正当性を訴えやすいことをクツバンは次の小話を使って説明していて面白い.

シャイな若者が,ある酒場で,魅力的な女性に勇気を奮い起こして声をかける.「自己紹介してもいいですか」すると女性は大声で「なんですって,あなたと今から寝るなんてあり得ないわ」と叫ぶ.
周囲から注目されて男は退散し隅っこで寂しく飲んでいる.するとさっきの女性がやってきて「さっきはごめんなさい.実は私は社会心理学科の学生で,決まりの悪い思いをした人がどう反応するかを調べていたんです」
男は突然大声を出す.「なんだって,一回200ドルだって」


そして進化心理学はその手の攻撃を受けているというのがクツバンのケーススタディということになる.いわゆる「ありもしないかかしを仕立ててぶん殴る」現象だ.これをやられ続けて本当に頭に来ているのがよくわかる.


まず最初は哲学者デイヴィッド・ブラーの名前が取り上げられる.彼はサイエンティフィック・アメリカン(日経サイエンス)のダーウィン生誕200周年特集号で筋悪進化心理学批判をしたことで私の記憶に新しい.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090228参照)


クツバンはこのような言い方をしている

仮にデイヴィッド・ブラーという批判者が(進化心理学批判の文脈で)こう言ったとしよう.
「誰でも,生物はそれぞれ別の問題に対処しているということを知るべきだ.フィンチのクチバシは島ごとに違っているのだから」
これを読んだ読者は,「え,進化心理学者って鳥が空を飛んで魚が泳いでいることも知らないのか」と思うだろう.
これは注目されたい狼少年の問題(どんどん大声で過激なことを叫ぶ)に似ている.でも一体どうやったらチェックすることができるだろうか.批判者は自分で間違ったことを信じ込んでいるようなのだ.しかし進化心理学者こそ,ある生物種はその固有の適応問題に適応していると真剣に考えている人たちなのだ.

そしておなじみスティーヴン・ジェイ・グールドが取り上げられる.
クツバンはグールドこそこの手の戦略的誤謬のマスターであり,真に驚くべき様式を生みだしたと語っている.
彼の文章は素晴らしく,その知性は疑いようもなく,エッセイストとして広く大衆に知られている.彼の広報モジュールの相手は科学者ではなく一般大衆であり,科学者と違って内容をチェックしない.このことに彼の広報モジュールは敏感に反応する.何を書いても名声に傷はつかないのだ.(クツバンは「グールドがどんな話を紡ぎ出しても読者は疑わなかった,まさにジャストソーストーリーだ」と皮肉っている.*2
有名な1979年のスパンドレル論文では自然淘汰は適応だけでなく副産物も生みだすと指摘し,進化生物学者はそれに気づいていないのだと批判し,その後も同じことを書き続けた.進化生物学者こそグールドに「説得」してもらわなくても誰よりも副産物の可能性を熟知していたのだが,彼の広報モジュールは「進化生物学者はそれに気づいていない」と信じ,そして後に進化心理学が勃興すると同じく「進化心理学者はそれに気づいていない」という誤謬をもって訴追し続けた.
そしてグールドは大衆相手の進化生物学,進化心理学批判者として,誰も信じていないことへの批判により成功し続け,有名で裕福で間違ったまま亡くなった.


クツバンはいくつかさらにコメントしている.

  • 過去の進化環境ではある人が言い散らかしたことを拾い集めてチェックすることはできなかった.だから進化環境では戦略的誤謬は現代よりはるかに有効だっただろう.
  • (現在ではそれはできるのだが)大衆はそれをせず,現代においてグールドの名声は輝き続けている.


クツバンの怒りは収まらず,グールドの追従者としてスティーブン・ローズ,ヒラリー・ローズを挙げてコメントし,デイリーとウィルソンは「自分たちの主張の真逆の主張が進化心理学の主張だとされたリスト」を作ったとも紹介している.


またゲイリー・マーカスの「クリュージ」にも触れている.
マーカスのクリュージは楽しい読み物だが,かなりスロッピーな議論で私も感心しなかった記憶がある.クツバンは,マーカスの主張には同意できるところも多いが,戦略的誤謬(具体的には「進化心理学者はすべての適応が最適だと考えている」)もあると指摘している.マーカスは「(ヒトの脳に関して)自然淘汰は最適ではなく様々な制約からつぎはぎのデザインを作り出している」という「クリュージ」の議論を行い,進化心理学者が最適性を信じているという根拠としてトゥービイとコスミデスの「自然淘汰はこの上なくうまくエンジニアリングされた "superlatively well engineered" 機能デザインの累積を作り出す傾向がある」という言葉尻を捉えている.クツバンはこの引用の仕方は以下のようなものだと皮肉っている.

スミス氏:ジョーンズさん,今日のスープはこの上なく美味でした.The soup is superlative this evening!
ジョーンズ氏:ありがとう
マーカス:なんだって.このスープは確かにおいしい.私はこのヒラマメを気に入った. しかし君はこれがあり得るスープの中で最高だと証明することはできないよ.ハッ
スミス氏:誰がマーカスをここに入れたんだ?

クツバンはマーカスがsuperlativeという言葉をうまく戦略的誤謬に利用していると言っている.

ここでコスミデスたちが使っているのは「最適」という意味ではないが,しかしその曖昧さをうまく利用しているのだ.実はコスミデスたちのオリジナルではその2段落後に「もちろん適応は最適ではない.」とあるのだ.さらに言えば引用と同じ段落でコスミデスたちはドーキンスの「延長された表現型」の「淘汰が最適に届かない多くの理由についての徹底した議論」を引用してもいるのだ.


クツバンはこのケーススタディの最後に,ブラーのサイエンティフィックアメリカンの記事を取り上げる.私もあれを読んだときにはかなりひどいと思ったが,当然クツバンも怒っているようだ.
グールドやマーカスですらもブラーの前には霞んでしまうと言い,彼が進化心理学者がすべてのヒトの脳の適応は更新世のみに生じたと信じているかのような書き方をしていることを批判している.もちろん進化心理学者はそんなことを考えているわけではないのだ.


クツバンは戦略的誤謬が,自分が誤っているコストが小さくて(進化環境ではそうだっただろう),他人を説得できるメリットが大きいときには,効果的な戦略だとまとめている.そしてグールドやブラーは,「意識的に」嘘をついているわけではない可能性が高いことを強調している.それは戦略的に忘却しているのだ.


このようなクツバンのコメントを読んでいると,例のNowakたちの包括適応度理論攻撃論文に関しても,戦略的誤謬が様々な影響を与えているのだろうということがわかる.とくにE. O. Wilsonは様々な戦略的誤謬にとらわれてしまっているのだろう.



<そして全てはあなたのモジュールにある>


クツバンの2つ目のケーススタディプラセボ効果の説明だ.

まずこの論争の多い効果を議論する前にいくつか注意点をクツバンは挙げている.

  • プラセボ効果があるかないかについては激しい "acrimonious" 論争があるが,そこには深入りしない.
  • 「何か言われただけで身体に効果があるはずがない」という議論はナイーブだ.何か言われると感情を刺激され,脳の状態が変わるのは当然で,プラセボ効果があること自体に不思議はない,問題はその詳細だ.
  • プラセボ効果は病気治癒に有利だったので生じた進化適応だという議論はナンセンスだ.それではフリーランチの説明になってしまう.もしほんとにそれが有利なら刺激の有無に関係なく無条件で効果があるはずだ.だからプラセボ効果の詳細は微妙なものに違いない.


ここからクツバンの仮説になる.

  • プラセボ効果においては,症状の改善とその他のなんらかの機能がトレードオフになっているに違いない.
  • そしてプラセボ効果の刺激は「病気の時に社会的な支援を受けられる」という状況を示しているのではないか.
  • また片方で痛みなどの症状は,その他の行動を抑えて安静にして治癒に専念するための適応だ.
  • すると,「社会的に支援を受けられる」状況では,「その他の行動を抑えて治癒に専念する」プライオリティが下がる.だから痛みなどの症状が薄れてよりその他の行動をとりやすくなるのではないか.


このクツバンの議論はなかなか面白い仮説だ.これによるとプラセボ効果ではある種の症状は抑えられても,病気や怪我の真の治癒には役立たないことになる.何らかのコストを払って治癒しようとする適応反応(痛みや熱など)のみが抑えられているのかどうかをリサーチしてみると面白いだろう.(私はまったく詳しいわけではないが,プラセボ効果はもっと広い効果があるように言われているのではないだろうか.いずれお勉強してみなければ)



関連書籍


Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ

脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ


ピンカーの不肖の弟子ゲアリー・マーカスによる脳の機能が最適でないという主張の本.自らの主張のオリジナリティを主張したいマーカスの広報モジュールが戦略的誤謬のダークサイドに落ちたのか.クツバンにすれば自分たちの側に近いと思っていた学者がこのような本を書いたので特に腹立たしいのかもしれない.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090218

*1:ポリアンナ症候群というのは物事のいいところだけ見ようとする超楽観的な態度を指して使われる.そのような主人公の登場する「少女ポリアンナ」というベストセラー小説に由来するらしい

*2:クツバンは最もグールドを厳しく非難した進化生物学者はメイナード=スミスとエルンスト・マイヤーだったが,彼等は進化生物学業界の巨人であってもグールドほど大衆には知られていなかったのだとも語っている.論争の一方の有名人ドーキンスはどうなのかという気もするが,少なくともアメリカの大衆にとってはグールドの方が有名で親しみやすかったのは間違いないのだろう.