書評 現代思想 総特集 「ダニエル・C・デネット 1942-2024 意識と進化の哲学」 2024年10月臨時増刊号

  
ダニエル・デネットは意識,自由意思*1,ダーウィニズムを扱った哲学者であり,新無神論の提唱者の1人としても知られる.本臨時増刊号は彼の今年4月の逝去を受けての追悼記念号という位置づけだと思われる.
私のデネットとの出会いは,「ダーウィンの危険な思想」から始まる.哲学者が著した進化論を巡る論考ということで手を出してみたのだが,実に緻密で徹底的な思考により自然淘汰のアルゴリズムの強力さが描かれており,すぐに大ファンになった(そして私の哲学への偏見を取り除いてくれた恩人でもある).その後意識をめぐる「解明された意識」「スウィート・ドリームズ」,自由意思をめぐる「Freedom Evolves(邦題:自由は進化する)」,宗教についての「Breaking the Spell(邦題:解明される宗教)」「Caught in the Pulpit(邦訳なし,共著)」,哲学的な思考法を扱った「Intuition Pumps and Other Tools for Thinking(邦題:思考の技法)」,そして集大成ともいえるべき「心の進化を解明する」を読み,本ブログにもいくつか書評を上げることとなった.
そして今年の春に彼の訃報に触れ,追悼号がでるのであれば是非目を通しておきたいと思って読んだということになる.読んでみるとデネットの論考のよい復習になり,また哲学的な論争の中のデネットの立ち位置についての勉強にもなる一冊となった.

本号には様々な論者が様々な角度からの寄稿を行っているが,ここではデネットの議論がいかなるもので,それが哲学論争の中でどういう位置づけだったのかについてについて書かれている部分を中心に紹介していこう.
 

ツールボックスとしてのデネット 木島泰三×戸田山和久

 
冒頭寄稿はデネットについての二人の哲学者の対談となっている.戸田山は,デネットについて(哲学者として)どこか変で収まりが悪くとっちらかった塊みたいだが,必ずどこかに響くものがあり,自分にとって役に立つ哲学者だと評している.
そして二人の対談は,デネットの議論の特徴がアナロジーや思考実験で相手の見方を変えさせるもので分析的な議論で人を説得するつもりがないところ,過剰なほど科学の成果を引き込むところにあるという話題になり,議論の中身については志向性や合理性の「存在」について行動のパターンとしてある,それは合理性を近似するもので,進化の帰結だとするものだというところに移っていく.
そして最後にデネットの自由意思論を取り上げる.デネットの(ややわかりにくい)議論について二人の解釈がいろいろ書かれている.

  • デネットは自由意思論において自分は「両立主義者」(決定論的世界と自由意思あるいは責任は両立するという立場)だという.彼はリバタリアン的自由意思イデオロギーはでたらめで間違っているが,そのようなイデオロギーを捨てても本当に求めるに値する自由意思を損なうわけではないと主張している.これは望むに値する自由意思を定義し直そうといっているのだ.
  • 片方でデネットは自由意思概念は残しておいた方がよいとする.それは,自分の行動をコントロールするという意味で自由であるためには自分は自由であると思っていなければならないからで,つまり道徳や社会制度という実践の場で役に立つからだとしている.これは進化の帰結としてヒトは合理性を近似できるエージェントとなったが,可塑性も持つので自分でそのようなエージェントになるように育てていかなければならず,そのためには責任を引き受ける必要があり,だから自由意思を残した方がよいという議論になっている.

 

愛すべき煮え切らなさと,嘆くべき戯画化 青山拓央

 
本稿は哲学者である青山によるもの.デネットとカルーゾーの対話録である「自由意志対話」にまず触れ,その後デネットの自由意思論を論評する構成になっている.
両者は多くの共通点をもって誠実に対話しているが,しかし議論はすれ違ったままであったことをまず指摘する.そしてすれ違った論点として「自由意思の存在について懐疑を持つか」「道徳と責任をめぐる過去志向的見方をどう評価するか」「道徳的行為者クラブと刑罰の関係」を挙げている.
ここから青山は,戸田山の解説を引きながら,デネットの立場を以下のように推測する.

  • デネットは日常言語学派と自然主義の両方の戦略をとって日常的な世界像と科学的な世界像を調和させようとし,さらに特定の語「自由意思」にこだわりがある.
  • デネットが「我々は道徳的行為者クラブの会員(自由意思を持ち責任をとるものである)で居続けたがっている」と主張するのは,この会員であることにメリットがあり,このクラブのシステムは(遺伝子,文化の両面から)進化的に淘汰され,それよりよく機能するものを誰も思いつけないほどの水準に達していると考えるからだ.

このあと青山はデネットの立場への疑問(道徳的行為者クラブのメンバーは上手くフリーライドする能力を育てることが合理的になるのではないか,行為者クラブの進化と道徳の進化は別ではないか)を提示し,論敵を戯画化して一蹴するような論述の仕方を嘆き,批判者の議論をいくつか紹介し,自らの見解を開示している.
 

デネットの自由意志論 山口尚

 
本稿は哲学者である山口によるデネットの自由意思論の抽出結果の提示になっている.まずデネットの立場と自由意思をめぐるさまざまな哲学的見解の概要が整理される.

  • デネットの発想の根本には「自由意思を論じるに当たって多くの哲学者は<自分が立っている場所>を自覚していない.だから物質の集まりに過ぎないものに意識が生じるはずがないという議論をしてしまう.しかし自分たちは進化史のステージにあるのであり,進化のプロセスは驚くべき機能を与えることがある」というものだ.彼はこの発想から両立論(決定論的世界と自由意思あるいは責任は両立する)に立つ.
  • 哲学において,あらゆる現象が決定論的物理法則に従う世界は「決定論的世界」と呼ばれる.決定論が真かどうかについては議論があるが,決定論が真である場合にどうなるかについていくつかの見解がある.決定論と自由意思が両立するという立場が両立論,両立しないという立場が非両立論と呼ばれる.
  • さらに自由意思と責任の関連でいくつかの見解がある.責任について帰結主義(功利主義)に立てば自由意思を持つとされる人物による犯罪者に対する責任実践(刑罰)が妥当であることについて異論はない.
  • 責任について非帰結主義(応報主義)に立つ場合,いくつかの立場がある.自由意思懐疑主義は応報主義的責任実践を認めない.リバタリアニズムは決定論は偽であり,自由意思があるという理由で応報主義的責任を認める.両立論は決定論が真であっても自由意思があるとし応報主義的責任を認める.デネットはこの最後の立場に立つことになる.

ここから主要著作におけるデネットの議論が紹介される.

  • 自由の余地:物理的決定論と自由意思の存在のどちらを取るべきかが哲学的な難問とされてきたが,実はそんな問題は存在しない.それは「人間が物理的存在だとすると主体性が消滅する」「人間の尊厳を守るためには物理法則に反する自由が必要」などという誤った前提に立っているからだ.進化的な視点にたてば物理的次元のパターンだけでなく,意味と合理性の次元のパターンもリアルと考えることが出来る.
  • 自由は進化する:進化的視点にたてば,自由な責任主体があり,責任を引き受けることがその主体の利益になるというストーリーを描くことが可能だ.それは理由をめぐるコミュニケーションの発生と洗練が生じ,そこから責任を負う行為が合理的になると理解できる.
  • 自由意志対話:デネットは責任実践について大きくは帰結主義的枠組みを取るが,その中で実現する個別の責任実践は応報主義的なものだという二階建ての議論を行っている.

 

デネットと操作論証 高崎将平

 
本稿は哲学者である高崎による両立論への批判である操作論証と,それに対するデネットの反論を分析するものだ.

  • 両立論への批判には「操作論証」を用いたものがある.操作論証とは以下のような考え方だ
  • 行為や意思決定を他者により操作されている行為者は自身の行為に道徳的責任を負わない.そしてそのような操作された行為者と,決定論的世界の行為者には違いがない.すると決定論的世界の行為者は自己の行為に対して責任を負わないことになる(だから両立論は適切ではない).(ここで操作論証の哲学的に精密なバージョンについて詳しく解説がある)
  • 操作論証の説得力は「どのように操作されているか」の詳細に依存する.操作論証に対しては両立論者から様々な反論がなされているが,デネットのそれはかなり独特だ.
  • デネットは「操作された行為者が操作の事実を知っているのか」を問題にする.操作論証では「操作されていて,操作の事実を知っていた場合にも責任が生じない」ということがきちんと示されていないとする.デネットは自由意思の中核に「自己コントロール能力」を据えて,外的な操作者から自分の身を守れないものは自由意思を持つとはいえず,責任も生じないが,操作を知る能力があり自分を守れるなら(決定論的世界であっても)責任が生じると考えているのだろう.(このデネットの立場の分析,それに対する考えうる批判とさらにそれへの考えうる反論が詳しく論じられている)

 

『ダーウィンの危険な思想』再読 三中信広

 
本稿は進化生物学者である三中による『ダーウィンの危険な思想』における議論の要約が中心になる.

  • 第1部ではダーウィンの自然淘汰理論が強力なアルゴリズムの提示であったこと.批判者がそれを危険な思想として封じ込めようとしてきたことを明らかにする.
  • ダーウィンは「なぜ」という問いの意味を新しくし,本質主義を転覆させた.自然淘汰の特質は基質中立・無精神・結果保証の3点だ.そしてそれは基質中立であるがゆえに生物学に留まらず周辺諸科学に止めどなく侵食する「万能酸」となる.
  • デネットは批判者の立場は存在しないスカイフックを探し求めているのであり,ダーウィンはそれに対して堅固な基盤の上でクレーンの議論を展開していると評する.また「種問題」に対する本質主義の否定,デザイン空間における(偶然の要素を持つ)歴史的経路という議論を提示する.

 

  • 第2部では批判者との論争が扱われる.
  • まず生命の起源のついての憶測的な議論,カウフマンの自己組織化を元にした進化プロセス論を退ける.
  • 次に適応主義をリバース・エンジニアリング的な推論形式として擁護し,それを貶めるグールドの議論(適応主義批判,断続平衡説,バージェス動物相進化プロセスにおける偶発性の強調)を徹底的に批判する.
  • さらにパンスペルミア説,獲得形質遺伝,方向づけられた突然変異,淘汰単位論争などについてもここで扱っている.

 

  • 第3部では,チョムスキー,ペンローズを批判し,スカイフックなしの進化思想を徹底する.
  • まずミーム概念を導入して,これを脳や心についてのクレーンの基礎にする.そこから心を科学的探求対象でないとするチョムスキーの議論やゲーデルの定理を持ち出して人工知能の不可能性を絡めるペンローズの議論をスカイフックを持ち出すものだと切って捨てる.
  • ここから倫理や道徳の議論が扱われる.自然主義的誤謬(であるからべしは導けない)を認めたあと,しかし人間性の考察から人にとってのよき生活の根本的側面を策定しようとする自然主義は間違いではないとし,社会生物学,進化心理学を擁護する.

 

ハードな工学的世界観から,やわらかな有機的世界観へ 鈴木大地

 
本稿は進化形態学者の鈴木によるデネット哲学の真髄が工学的アプローチにあるという理解からデネットの主張を概観するもの(なお鈴木はそれぞれのデネットのアプローチについてやや批判的な感想を付け加えている)

  • 進化については,最適化アルゴリズムとしての自然淘汰,リバースエンジニアリングとしての適応主義がデネットの議論の中核にある.
  • 意識と心について.デネットはヘテロ現象学の立場をとり,志向姿勢(物理姿勢,デザイン姿勢,志向姿勢の三段階)を進化産物として解釈する.そして心の進化をリバースエンジニアリングし,意識を脳の並列構造として実装された仮想マシンの働きとして解釈する.
  • 自由意思についても,(決定論的世界を前提にした上で)進化産物として自己モニターと熟慮に基づいて自己コントロールする能力だと主張する.

 

ライフモードとマインドモード 下西風澄

 
本稿は哲学者下西によるライフモードとマインドモードとして知性モデルを整理した場合に,デネットの立場ががどういう位置づけであるのかを分析するもの.ライフモードとマインドモードが簡単に解説され,ロボットや自動運転AIがどう考えられるかを論じ,メルロ=ポンティ,カント,バタイユ,カーネマン,コッホ,ヴァレラの考え方,デネットの生物の4タイプ(ダーウィン型,スキナー型,ポパー型,グレゴリー型)の議論が紹介されている.
 

デネットを三たび肯定する 吉川浩満

 
本稿は文筆家吉川によるデネットの印象を綴ったもの.批判者としてのデネット(ネーゲルやグールドに対する苛烈な批判),調停者としてのデネット(自由な行為者としての人間像と自然法則に従う物理システムの両立論),職人のための職人としてのデネット(思考の技法にみられる膨大な哲学的概念や思考の道具の提示)が語られている.
 

無神論と科学,そして無知でいる権利 塚原東吾

 
本稿は科学史家塚原によるデネットの新無神論のスタンスについてのもの.アメリカにおける無神論周りの思想の流れを振り返り,ドーキンスやチャーチランドの戦闘的な無神論に対して,デネットは議論の回収を行ったのではないかと評価している.(その後無知学などに触れながら著者自身の見解も語られている)
 

新無神論運動は現代に何を遺したか 藤井修平

 
本稿は宗教学者藤井による哲学と無神論の関係について,そしてその中のデネットについて語るもの.
西洋哲学においてはある時代まで哲学者は神の存在を擁護していたが,17世紀になり哲学者の間から無神論者が現れる(ホッブス,スピノザ,ベールがあげられている)ことがまず振り返られる(ここではなぜ哲学者が無神論になりがちかも考察されている).
続いて新無神論が現れた文脈が探られ(進化論をめぐる進化生物学と創造論との争い,宗教の名のもとに行われるテロや戦争の頻発,キリスト教教会の欺瞞や不道徳を暴く流れ,アメリカにおける無神論者への偏見),その中のデネットの立ち位置が論じられる(宗教を研究対象にしようと主張し,その際にこれまでのタブーに踏み込むことを一切躊躇しない姿勢を貫いた).続いて新無神論の現状(ドーキンスは原理主義的イスラム教をより問題視し,キリスト教の文化的側面を評価する,ハリスは瞑想の世界を推進するようになっている),アメリカの現状(キリスト教化強化の運動とそれへの対抗の運動が高まっている),ヨーロッパの現状(どちらかというと日本の現状に近い方向に向かっている)がまとめられている.最後のデネットの業績で最も重要なことは宗教というテーマをタブー視せず実証的研究の俎上に載せたことだと評価している.
 

パターンの哲学者としてのデネット ジミー・エイムズ

 
本稿は哲学者エイムズによるパターンの哲学とその中のデネットの立場についてのもの
まず,デネットは自然主義的なアプローチで有名だが,片方で現代におけるスコラ実在論の体現者でもあるとコメントし,それはデネットのリアルパターン論に現れているとする.

  • デネットのリアルパターン理論は「信念」の存在論に現れる.信念がリアルかという問いに対して,信念を物体の「重心」となぞらえる.信念を抽象的な対象であるパターンの一種として扱い,「他者の行為を予測するための有用な虚構だという議論」と「脳組織にある実在構造だという議論」の中間の立場に立つ.
  • パターンとはデータにある規則性であり,デネットは「パターンがリアルである条件は,そのデータのビットマップより効率的な記述方法が(誰かがそれを案出できるかどうかとは別に)存在するというものだ」とする.これはあるパターンがリアルなのは,それを識別することで未来についてより良い予測が可能になる場合だということになる.そしてこの予想性能の議論は志向姿勢の議論に結びつく

ここからはエイムズによるこのデネットの立場を一種のスコラ実在論として捉える考察がなされている.
 

意識にクオリアはいらない 高村夏輝

 
本稿は哲学者高村による,デネットの意識についての議論をラッセル的一元論との関連で検討するもの.ラッセル的一元論者は困難を抱えていてデネットの議論(特にクオリア概念についての攻撃)に学ぶべきところがあることが指摘されている.
 

届かない応答 植村玄輝

 
本稿は哲学者植村による,デネットのフッサール現象学に対する批判に対する現象学側からの反論をベルトの「現象学懐疑再考」論文を手がかりに吟味するもの.難解な議論が続くが,最終的にはベルトはデネットを誤解している(しかしデネットの書き振りにも問題がある)とされている.
 

デネットの志向的スタンス論と素朴心理学の二面性 藤原諒祐

 
本稿は哲学者藤原によるデネットの志向的スタンス論の吟味とそれへの懐疑を扱うもの.まずデネットの志向的スタンス論が整理される.

  • 素朴心理学の他者のマインドリーディング認知メカニズムについては「理論説(我々は行動と心を結ぶ素朴な理論を持つ)」と「シミュレーション説(理論は不要で,自分の心を元にシミュレーションすればよい)」がある.
  • デネットはこれについて志向的スタンス論を唱える(これは非典型的な理論説になる).それによると素朴心理学は「志向的スタンス」という戦略の元での予測・説明実践であり,それは有効な手段であるとともに規範的な要素を含む合理的解釈だとする.具体的には「志向的スタンス」を持つ主体は信念や欲求を持ち,合理的に行動する(この部分に規範的要素がある)と予測することになる.そしてそれがうまく働くのはヒトの心が進化産物であるからだと主張する.

ここから藤原はデネットへの懐疑を細かく議論している.
 

デネットをWEターンする 出口康夫

 
本稿は哲学者出口によるデネットの自己観批判の試み.デネットの自己観についてはこう整理されている.

  • ガザニカは人間の脳は自律的な複数のモジュールからなるという立場をとり,ヒトは「単一の統合された制御システムが整合的に振る舞っている」という「1つのよくできた物語」を創作していると論じた.デネットはこれを受けて,この物語の中心にいる主人公が自己(ナラティブの重力中心)であり,それはより大きな統一感という錯覚により強化されるとした.
  • デネット的自己は単なる虚構ではなく,他者の行動を予測・説明する上で有用な虚構である.
  • デネットは自己は脳モジュール群が統合化するためのフィクションであり,脳モジュール群はこれを用いて自己トレーニングを行うとする.

出口はこのようなデネットの自己は進化的に獲得された虚構と意識的に導入された新たな虚構の二層性を持つと評している.そしてそこから,自らの「WEターン」理論をもちいてデネットに批判的な議論を展開している.
 

刑罰を語るデネット 十河隼人

 
本稿は刑法学者十河によるデネットとカルーゾーの「自由意志対話」が刑法学者の刑罰根拠論の観点からどう見えるかを語ったもの.

  • 日本刑法学では刑罰根拠について,応報論(刑罰の根拠を過去の犯罪事実に求める)と目的論(刑罰の根拠を将来の犯罪予防に求める)の対立がある.それぞれに多様な立場があり,さらに両目的を併用する立場もある.
  • 英米法においては応報主義と帰結主義の対立がある.やはりそれぞれに多様な立場があるが,おおむね日本刑法学の応報論と目的論に近い(そして同じく併用論もある).英米法学の応報主義の場合には,刑罰のデザート論(desert theory of punishument)という議論があり,デザート(相応しさ)には賞罰の相応しさという意味と罰を受ける人の相応しさという2つの意味がある.本稿では後者の意味が重要になる.
  • カルーゾーの立場は,自由意思と道徳的責任を応報主義との関係のみに着目して定義するというものだ.ある人を処罰するにはその人に道徳的責任が必要で,それがデザートを根拠づける(そして予防などの展望的理由を必要としない.この場合を基礎デザートと呼ぶ)とする.そして自由意思を基礎デザート的道徳的責任を正当化するために必要な行為コントロールであるとする.
  • この定義に従うと,自由意思懐疑論は基礎デザート的道徳的責任を認めない立場,リバタリアニズムと両立論は自由意思と基礎デザート的道徳的責任を認め応報主義を正当化する立場となる.そしてカルーゾーにとっては自由意思論は応報主義の正否をめぐる論争(自由意思が否定されれば応報主義は拒絶されるべきものになる)になる.
  • その上でカルーゾーは自由意思と基礎デザート的道徳的責任を否定し,応報主義を拒絶する(帰結主義をとり特別予防説に立つ).
  • デネットはリバタリアン的自由意思を否定し,かつ応報主義も否定し,しかし自由意思懐疑論には立たない.デネットは独自の両立論的コントロール原理に立って非基礎的デザート的道徳的責任を認める.そこでは自由意思について自己の自由意思を破壊する他者の努力を検出できるための能力と考え,それを持つ主体は(決定論世界においても)行動を理由に基づいて調整でき,道徳的行為者クラブへの加入資格を持つとする.
  • デネットの立場は,デザートに基づいた処罰(応報罰)を行えば最善の犯罪予防効果が得られるという積極的一般予防論としての帰結主義と思われる.

ここから十河は論争を丁寧に分析し,デネットの刑罰思想は刑法学にとって重要な問題提起を含んでいるとコメントしている.
 

「HAL」がしたこと 太田雅子

 
本稿は哲学者太田による「ロボットは悪事を働きうるか,責任主体になりうるか」をめぐる考察.「2001年宇宙の旅」のHALを題材にしている.その中でデネットの議論がこう紹介されている.

  • デネットはロボットは自らの動作について何らかの判断を下すという「高階の志向的状態」を備えている場合があるとする.この場合このロボットは行動のフィードバックが可能で,心的活動コストが高く,自己欺瞞,他者への欺瞞を生じうるとする.さらに感情を持ちうるかという議論をした上で(不可能と決めつけることは出来ない)上で,ロボットが悪事を働くことや責任主体になりうる可能性を示唆する.

太田はこの後デネットに対立する考え方を提示し,議論を行っている.
 

非アルゴリズム進化へ 飯森元章

 
本稿は哲学者飯森によるデネットとグールドの断続平衡説をめぐるやり取りを参照しつつ生物進化が漸進的かどうかにかかる様々な見解を扱うもの.
まずデネット,グールド両者の主張が提示され,さらにホワイトヘッドの有機体哲学(漸進説),メイヤスーの無による切断説(断続説)が解説されている.
 

追悼不可能性 仲山ひふみ

 
本稿は批評家仲山によるデネットの訃報に際してのエッセー.訃報を聞いて追悼的なツイートを書き込んだことを振り返り,しかしそこにはデネットの哲学的姿勢と追悼という行為に噛み合わなさから来る当惑があったことが語られ,デネットの唯物論的哲学,還元的に説明しようとする姿勢,意識についての強固な消去主義,実在的パターン論,素朴心理学とそのダーウィニズム的説明,ミーム論などが振り返られている.
 

デネット主要著作解題 木島泰三

 
最後に木島による主要著作リストが提示され,簡単な解説がおかれている.
 
 
以上が本臨時増刊号の内容になる.哲学者たちにとってはデネットの意識と自由意思についての議論が非常に独特で興味を引く対象であったことがよくわかる.私的にはデネットの意識と自由意思論の背景になる哲学的な論争の見取り図や,刑法学との関連などの解説が面白かった.
ともあれ,デネットは,私にとっていろいろな啓発的な議論を楽しませてもらい,視野を広げてくれた著者の1人になる.本書評を持って追悼としたい.
 
ダニエルさん,素敵な議論と本をありがとうございました.どうぞ安らかにお眠りください.
 

関連書籍
 
デネットの本
 
著作リストの冒頭に来る1969年,および1978年のもの,どちらも意識を扱ったもののようだ

 
自由意思を扱った1984年のもの.しばしば引用されるかなり有名な書物で,2020年に邦訳がでている.

 
志向姿勢を扱った1987年のもの 
意識についてのデネットの哲学を語る際に必ず参照されるもの,1991年 
進化を扱ったもの.これは進化生物学を語る本としても非常に刺激的で面白い一冊,1995年.訳本は,2023年に新装版が出ている. 
一般向けに心,意識を語ったもの,1996年.訳本は2016年に文庫化されている 
心,意識についてのエッセイであるようだ,1998年. 
自由意思について自由の余地から20年ぶりにかかれた本,2003年. 
意識について,対立論者に対する反論の書,2005年.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20100224/1267008626
 
新無神論の書,2006年.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20070218/1171785769
 
デネット哲学の道具箱の本.2013年 
意識,自由意思,進化についてデネット哲学の総まとめのような本,2017年.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/06/104020
 
自伝,2023年

 
共著のうち特に興味深いもの

笑いの進化の究極因を探る興味深い一冊,2011年.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120104/1325684884

 
信仰心を持てなくなった宗教者についての興味深い一冊,2013年.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20131231/1388443185
 
カルーゾーとの自由意思をめぐる対話.本特集号でもいくつも取り上げられている.

*1:哲学業界では「自由意志」と表記するのが一般的であるようだが,ここでは私の好みにしたがって「自由意思」と表記する