インプリントに関するコメント

先日のインプリントのエントリー(5/20)に青木先生からコメントをいただきました.ありがとうございます.このブログは自分のお勉強の整理に始めたものですが,思いがけずに励ましやらコメントをいただいてうれしい限りです.大変励みになります.今後ともよろしくお願い申し上げます.

さて,青木先生からコメントをいただいて私ももう一度よく考えてみました.本来コメントの返信欄に載せるべきものかもしれませんが,長くなりましたのでエントリーを立てることにしました.

最初の私の記事はGenes in Conflictの第4章の最後,今後予想される社会性昆虫におけるインプリントについてのところで以下の通りです.


<半倍数体の社会性昆虫>
アリやハチなどの子育ては血縁個体により性非対称的に行われるのでインプリントが進化しうると予測される.働きアリは常に繁殖的な決定(自分か,姉妹か,兄弟か,女王か,巣全体か)を迫られているので内部のコンフリクトが多いはずである.
また半倍数体では父由来染色体はすべてX染色体と同じになる.単雄性であれば父由来の遺伝子は娘を選り好むはずである.
さらに単雄性の場合,娘同士の相互作用にかかる場合には女王は自分の遺伝子を発現させるより,オスの遺伝子の発現を望むことも起こる.((私見)女王から見た娘の血縁係数は1/2で,オスから見た娘の血縁係数が1ということをいいたいのだろうか? しかしインプリントが問題となる当の遺伝子から見るとそうではない気がする.ここはよくわからなかった)


これに対していただいたコメントは以下の通りです.


青木重幸 『ようやく本書を入手しましたので,拾い読みをしています.アリ・ハチのインプリンティングのところですが,1回交尾の単女王のコロニーでは,ワーカーにおいて父親由来の遺伝子は,50%共通の母親由来の遺伝子と違って,100%共有されます.だから,ワーカー間のコンフリクトをもたらす可能性のある形質については,父親由来の遺伝子を発現させておけばコンフリクトが生じ難くなるので,結果として母女王の利益になるという示唆ではないでしょうか.ただし,どのような形質が該当するのか具体的なイメージが浮かびません(ワーカー産卵・産卵阻止などが該当するのでしょうか??).著者らもその前の段落で述べていますように,父親由来の遺伝子の望む新女王とオスの性比は,3:1どころではなく,もっと新女王バイアスですから,性比に影響を与えるようなワーカーの形質については,父親由来の遺伝子だけが発現すれば,母女王の望む1:1性比から大きくバイアスしてしまう可能性がありますね.』


整理していただいてありがとうございます.
最初にここを読んだときには,頭の中で抽象的に血縁係数を考えてしまって *1 混乱気味でした.




青木先生に整理していただいて誰にとってどのようなコンフリクトが問題になるのかを具体的に考えられるようになりました.確かに先生のご示唆の通りで,トリヴァースとバートが指摘しているのはこのようなワーカー間のコンフリクトを抑えるのが女王にとって有利になり,またそのためには父由来インプリンティングが有効になりうるという趣旨かと思います.
実は私が最初にこの記事を書いたときには一番混乱したのは,この先です.「ではこのようにワーカー間でコンフリクトが抑えられるとしてそれはどの遺伝子にとって有利なのか」


とりあえず問題になるハチのコンフリクト状況は,ワーカー姉妹間でより利己的になり,コロニー全体の繁殖率を犠牲にして自分のコピーを広める行動を巡るものとしましょう.


ここで哺乳類の胎児の成長に関するインプリントでは,兄弟間で利己的になる遺伝子は母由来で発現しないことにより,当該個体のコストを越える(血縁係数を乗じた上での)利益を兄弟が得ることになるため,その遺伝子自体の包括適応度が上昇します.
しかしこのハチのワーカーの場合には,問題となる姉妹間で利己的になる行動を発現する遺伝子は,自分が母由来であるときに発現を抑えることで不利になるように思われます.あるいは父由来の時のみに発現することにより包括適応度が上昇するようには思えません.(哺乳類の場合には母由来インプリントであることにより,現在問題となっている(母のリソースを取り合う)兄弟との推定血縁係数が非インプリントの場合に比べて上昇するので,非インプリント時に比べ母由来で発現抑制することにより遺伝子自身の(包括適応度上の)利益になります.しかしこのハチのワーカーの遺伝子の場合,自分が母由来とわかればむしろ発現したくなるはずです)
すると,いかに女王が抑制を望んでも,ワーカーにある遺伝子は発現してしまうのではない.そもそも女王が望むということは,遺伝子の視点で考えるととどういうことなのか.


5/20の時点では思考がここで止まっていました.


しかし確かに哺乳類の場合と利己・利他と父・母の方向が逆転しています.そしてこのハチの状況は女王とワーカー間でのコンフリクト状況です.ここから遺伝子の視点で考えるために,コンフリクトでどのような利己的な行為をする遺伝子なのかをもう少し具体的に考えてみました.


まず青木先生が示唆されたワーカー産卵,ワーカー産卵阻止について考えてみました.

単女王,一回限り交尾のコロニーを前提にすると遺伝子から見た回帰係数としての血縁係数は以下のようになると思います.(私の計算では・・・間違っていたらご指摘ください)

当該ワーカーの産むオス卵 他のワーカーが産むオス卵 女王が産むオス卵
ワーカーの非インプリント遺伝子 0.5 0.375 0.25
父由来インプリント遺伝子 0.5 0.5 0
母由来インプリント遺伝子 0.5 0.25 0.5
女王の遺伝子 0.125 0.125 0.5


この血縁係数の非対称を見ると,女王が何かのインプリント(もしくは非インプリント)を望むとすると,まさに母由来インプリント遺伝子の発現を望む状況かと思います.(父由来遺伝子の発現を許すと,当該ワーカー産卵大歓迎,他のワーカーの産卵も容認という状況になり,ワーカー間コンフリクトは少なくなるのですが,その結果もっとも女王の望まない結果になるように思います)これはこれで大変興味深いのですが,とりあえずここで問題となっているのとは反対の状況なので,とりあえず脇に置いておきましょう.


ではどのような行動を行う遺伝子がこのような例に当てはまるのでしょうか.青木先生のおっしゃるとおり,ワーカーは通常繁殖しないので難しいのですが,私が思いついた仮想遺伝子は「女王が産んだ繁殖個体の世話について,自分と同じ遺伝子があるかどうかを感知して,それがない個体の犠牲において,それがある個体をえこひいきする(そして感知に何らかのコストがあり,全体の繁殖効率を少し下げる)遺伝子」というものです.(これはこれ自体歪非遺伝子になるのであまりいい例ではないのかもしれませんが,他にいい例を思いつきませんでした)


もしインプリントするかしないかが,その遺伝子が自分の適応度だけから考えて決めることができるだけなら,やはりこの遺伝子は発現してしまうと思います.
ここで重要になるのがトリヴァースとバートが強調しているcis-actingのターゲットとtrans-actingのインプリンターの概念ではないかと思います.
ワーカーにあるこの利己的遺伝子は,母由来の場合にcis-actingのターゲットとして自分で発現した方が有利になります.しかしこれと連鎖していない母由来遺伝子はtrans-actingのインプリンターとして,この利己的遺伝子の発現を阻止した方が有利になります.
父由来遺伝子の場合には,世話の対象がオスの繁殖個体の場合,そもそも父由来遺伝子がないので血縁係数は常に0となり,感知のコストを避けるため,cis-actingのターゲットの利己的遺伝子としても発現しない方がよく,これと連鎖していないtrans-actingのインプリンターとしても発現を抑えた方が有利になります.メスの繁殖個体の場合は常に血縁係数が1となりますので,同様に感知コストを避けてcis-actingのターゲットとしても発現しない方がよく,trans-actingのインプリンターとしても発現を抑えた方が有利になります.

すると利己的遺伝子と連鎖していないtrans-actingのインプリンターである母由来遺伝子の立場から見て,ターゲットの繁殖個体の世話にかかる遺伝子,およびそれへのコントロールを行う遺伝子群にについて,まとめて父由来インプリントの発現を許すか,あるいは母由来インプリントの発現を許すかの二者択一しかないとすると,遺伝子間にコンフリクトの少ない父由来インプリントの発現を優先するtrans-actingのインプリンター遺伝子が広がりそうです.(この場合も青木先生が示唆されているように,父由来での世話行動を広く認めるとメスに偏った性比歪曲が生じるリスクがあるので,そういう作用は抑えつつ世話にかかる行動をコントロールできなければなりませんが・・・これはかなり難しいかもしれません)

このインプリンター遺伝子が,ターゲットの利己的遺伝子との発現を巡るコンフリクトに勝てば,利己的遺伝子は母由来で発現できず.父由来で発現しても不利になりますから遺伝子プールから淘汰されて無くなりそうです.その結果繁殖個体の世話についてえこひいきしない遺伝子が固定され,かつこれは母由来のインプリンターの作用で父由来インプリントを受けて発現するという現象が(少なくとも非利己的遺伝子が固定するまで,あるいはこの変異の潜在的可能性があるなら常に)観察されることが期待できそうです.


するとここで考えるべきインプリントは
哺乳類の胎児の成長に関わる遺伝子のように,ある遺伝子が父由来か母由来かで発現するかどうかをスイッチすることにより,その遺伝子自体が集団に広がるというインプリント現象ではなく,
ワーカーによる世話にかかる行動に関する遺伝子の発現を父由来にするようにコントロールすることにより,女王の(行動に関わる遺伝子領域に連鎖していない)遺伝子にとって有利な行動(つまりよりワーカー間コンフリクトの少ない行動)に関わる遺伝子が固定しやすくなる環境を作る現象ということになります.


このように考えると一応の納得が得られました.しかしどうも話が複雑で,考えているうちにどこか落とし穴にはまっているような気がします.トリヴァースとバートの指摘は本当にこういう意味なのでしょうか.

*1:実はこの半倍数体制のハチの父娘間の血縁係数が問題になるところではいつも身構えてしまいます.というのはHamiltonも1970の論文と1972の論文で,遺伝子の回帰係数としての血縁係数 r (父から娘にむけて0.5)と個体間トレードオフとしての血縁係数 r (同じく1.0)の2種類の考え方を示しています.どちらを使うかによってb, c の定義を変えれば同じ結果になるのだろうとは思いますが,なかなか難解で混乱してしまいます.また一般にオスの利他行為が問題になる文脈が少ないのであまり解説されていないようにも思います)