読書中 「The God Delusion」 第1章

The God Delusion

The God Delusion




第1章はとても宗教的なノンビリーバーと題されている.ここでは今後議論を進めていく上で前提となる概念を整理している.まあいわば議論を始めるための準備体操だ.


まず,ドーキンスの自然の美しさへの賛歌について,これを「宗教的」と評する人がいることについて触れる.(ナチュラリストという言葉まで宗教的と評されることにうんざりした様子で,「私たちは超自然の存在を信じないからこそナチュラリストなのだ」と言うところはちょっと笑える)
そして本書でこれから徹底的に取り上げる「宗教」の定義について整理する.ここでのドーキンスの定義は「超自然的な存在を信じるもの」だ.


特に取り上げられているのは「神はさいころを振らない」という言葉で有名なアインシュタイン.この言葉から,現代ではアインシュタインは神を信じていたとされており,宗教側から「アインシュタインも宗教を信じていたのだ」という宣伝に利用される.しかしアインシュタインは実は同時代の人には大変な不信心者と見られていたことが紹介される.


ここで用語の整理

theism 有神論 超自然としての神と認め,さらに奇跡,神の人格,人間への関心,干渉を認める.
deism 理神論 超自然の神と世界の創造のみを認めその他は認めない.
pantheism 汎神論 超自然の神を認めない.自然現象の説明に「神」という言葉を使う.

そしてアインシュタインはこの定義では汎神論的であったことがわかるとし,これは隠喩・象徴として使っていたと解説する.「そもそもこのように物理学者が隠喩・象徴として「神」という言葉を使うから誤解されるのだ,これらの神は奇跡を起こしたり,祈りに答えたりしないわけで,これを混同させようとするのは知性的な陰謀だ」と,切って捨てる.速くも戦闘スタイルだ.


続いて宗教について発言することを控える風潮についての批判がある.なぜ宗教であるという理由だけでいろいろなことについて発言を控えたり,その意見を尊重しなければならないのだろうと読者に問いかける.
よくいわれる説明として,我々の中には「宗教的な信仰は特に壊されやすいので特別に守られなくてはならない」という考え方があると言い,神聖なものについて悪口は言ってはならないというタブーがあると指摘する.


ここでSF作家のダグラスアダムズの解説

なぜ誰もがどの政党や政策を支持するか,ウィンドウズかマックかを議論できるのに,この世がどう始まったかについては議論を控えてその人の意見を尊重しなければならないのだろう.それはそうするものだという隠れた合意があるからだとしか説明できない.


英米の社会が宗教の横柄さを認めている例として,戦争時に良心的に反対できるもっとも容易な立場は宗教であること,(その考え方や宗教自身にについて説明できなくともいいらしい!)逆に何らかの争いがあるときにその参加者に宗教のラベルを付けることには臆病なほど慎重であること,(北アイルランドでは「カトリック」と「プロテスタント」の争いに「ナショナリスト」「ロイヤリスト」と名前を付ける.2003年以降のイラクの内紛は明らかにシーア派スンニ派の宗教抗争だが,これは民族紛争と呼ばれる.ユーゴ紛争もそうだ.)などをあげる.なかなか辛辣だ.


さらに倫理関係の公的な議論に宗教関係者が特権的に招かれていることを批判する.
いわく「彼等は倫理的な問題について,たとえば倫理学者や家庭問題の法律家に比べてどんな専門性を持つというのだろう?」!



2006.2.21にアメリ最高裁ニューメキシコ州の教会に幻覚剤の使用について麻薬取締法の適用除外を認めたことを紹介する.ホースカ茶を飲むことによってのみ神と通信できるという主張を認めたのだ.


そしていったい人種差別を主張する宗教が現れたらどうするつもりなのだろうと読者に問いかける.それに合理的理由がないというつもりだろうかといったん引き戻し,ここで痛烈なパンチ!「しかしすべての宗教の主張の鍵は合理的でないことだ.」


さらに実例の紹介.実際にアメリカでは宗教の自由を理由に同性愛者への差別を合法化しようとする動きがあるという.「ホモは罪でイスラムは嘘つきで中絶は悪だ」と書いたTシャツを着た学生と大学の争いで,裁判所は着る権利を認めたが,その際の主張は言論の自由ではなく宗教の自由だった(言論の自由では勝てなかっただろうし,勝てないものが宗教の自由を持ち出せれば勝てる.また宗教側からはこの種の訴訟に多大の資金援助がある.)というのだ.なかなか起こる可能性のあることは起こってしまうのだなあという感想を抱かせる.


最後に近時のデンマークのモハメッドの漫画を巡る騒動にもふれる.ドーキンスによるとこの騒ぎはデンマークにいた一部イスラム主義者がわざわざ漫画をイスラム圏に持ち出してさらに別の図まで付け加えて意図的に引き起こしたものらしい.これに対して,西側の新聞がイスラム側になされた攻撃と害についてのリスペクトと共感をイスラムに対し表明していることを厳しく批判している.とはいえ,ここはリップサービスでもしておかないと暴動がさらに燃え広がった可能性もあったのだから難しいところだと思う.


すでに前提の議論にしてこの快調さだ.読み進めるのが楽しみになる.
また議論の中身で言えば,確かにここは現代社会の矛盾のひとつだ.人権を認めない宗教にどう対峙すればよいのかは,宗教擁護派が真摯に答えなければならない問題だろう.




第1章 非常に宗教的な不信心者


(1)払われるに足る尊敬


(2)払うに値しない尊敬