読書中 「The God Delusion」 第2章 その3

The God Delusion

The God Delusion



ここからが本章の本題,不可知論について
まずドーキンスは不可知論を2つに区別する.
ひとつはまったく知ることも議論することもできないという,永遠に不可知だというもの.これをPAPと呼んでいる.たとえば,私が感じている赤はあなたの赤と同じかというような問いについてこのスタンスをとることはあるだろうという.
次に,本来は証拠によって解決できるのだが,今は証拠が得られないので,実践上一時的に不可知と扱っておこうという立場,これを一時的不可知論,TAPと呼んでいる.

そして神が実在するかどうかについてはTAPで議論すべきであり,PAPをとるべきではないと主張している.そして証拠がないとしてもどのぐらいの確率かの議論ができると主張する.

そして面白い例としてバートランド・ラッセルがあげた地球と火星の間の軌道を回っているティーポットをあげる.これは現在の技術力ではそのようなものが回っていないことを立証することは不可能だが,まずあり得ないと考えることができるだろう.そして挙証責任はありそうもないことを主張する側,つまりそのティーポットがあるという人たちが果たすべきであり,どちらかわからないから責任が半々ではあり得ないという.

要するに西洋では神の実在を否定する側に挙証責任があると主張する人が多いし,それが結構まともにとられていると言うことなのだろう.なかなか大変だ.そしてそのようなありそうもないものについての挙証責任を非存在を主張する側に押しつける態度への,きわめて優れた反撃としての「空飛ぶスパゲッティーモンスター」教を紹介している.これは知らなかったが,超傑作だ.
要するにインテリジェントデザインを学校で教えろという人たちへの反撃として空飛ぶスパゲッティーモンスターも同様に扱えと主張する運動らしい.

興味のある人は以下のサイトへどうぞ

http://www.venganza.org/
http://en.wikipedia.org/wiki/Flying_Spaghetti_Monster
http://ja.wikipedia.org/wiki/空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(うまくURL認識できませんがwiki/のあとに「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を入れて,たどってみてください)



さて次は宿敵グールドの考えについて
グールドはその著書Rocks of Agesで宗教と科学は重ならない領域を持つ,科学は事実について,宗教は価値についてと主張している.(これをNOMAと呼ぶ)どうもこの考え方は宗教側にもあまり受けはよくないようだ.何しろこの考えを突き詰めると宗教側は天地創造などの事実を論じることができなくなるはずだからだろう.もっとも本書ではこの点についてはあまり触れられていない.

ドーキンスはさらに過激にグールドの考えに反論する.グールドは科学は神の自然への監督について審判できないといっているらしい,そしてドーキンスはそう考える根拠はない,科学はティーポットや空飛ぶスパゲッティーモンスターについて事実の問題として議論できるのだと主張する.またなぜ宇宙が存在するかについては宗教の範囲だと主張する人もいるが,どうして宗教にそのような深遠な問題を考えることができると思うのだろうかと厳しく問いかける.確かに科学の範囲を超えたからと言って宗教に属さなければならない理由は何もないだろう.この辺は先ほどの空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の皮肉が効いていて説得的だ.


そしてドーキンスはさらに厳しく,(科学が価値について論じることが適当でないとして)だからといって,ではなぜ宗教が価値について論じることができるのかと問いかける.曰く「宗教が何ら知識獲得に役に立たないと言うことが,我々がどうするべきかについて我々に指示するライセンスを与える理由にはならないだろう.仮に与えるにしてどの宗教に与えるのか?聖書にしても矛盾と悪行だらけだ.どんな基準でその宗教を選ぶのか?もし選ぶべき何らかの基準があるならそれをそのまま価値判断の基準にすればいい.なぜ宗教などという余計な中間物が必要なのか?」ここは非常に舌鋒鋭く,仮借のない議論だ.


ドーキンスはいったん引いて,要するに神が実在するかどうかは科学的に決着がつけられる問題であり,今は証拠がないからNOMAが唱えられているにすぎないのだと説く.そもそも普通の「神」は数々の奇跡を起こしたりして自然界に干渉するのだから,NOMAが念頭に置いている神とは異なっているし,もっと控えめな,当初世界と自然法則をつくり後は干渉しないNOMA的な神の存在も科学的な仮説だと断じる.要するに究極的なデザインがあったという仮説はすべてが進化により生じたという仮説と違った性質があり,それは基本的には証拠で決着がつく問題だという議論のようだ.


この辺はドーキンスも肩に力が入っている.定義にもよるがなかなか決着がつかないような問題も相当あるような気がする.本日のところでは科学の範囲外だとしてどうしてそれを空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に任せる気になるのかという問いかけがひたすら説得的だった.なお最近この教団のゴスペルが邦訳されたようだ.


翻訳されたゴスペル

反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書

反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書


訳者まえがきあとがきはこちら

http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-1340-6.html





第2章 神の仮説


(4)不可知論の貧困


(5)NOMA (グールドの用語,重ならない執権)