読書中 「The God Delusion」 第3章 その2

The God Delusion

The God Delusion



神の実在についての議論への反論その2


まず個人的な経験からの議論.多くの人が個人的に神にあったことを神の実在の証拠として持ち出す.実際に日本でも教会に行ってみた人の話を聞くと結構な割合で個人的にイエス様にあったことがあると信じている人に出会うという.
ドーキンスのこれに値する反論は「ピンクの象を見たことがある人がいればそれは実在するのだろうか?自分がチャップリンだと信じていたり,すべてが自分を殺す陰謀なのだという人がいても私たちは取り合わない.」とはじまる.宗教はそれを経験した人が多いということだけが異なる幻覚だというわけだ.
そしてヒトの脳がきわめて優秀なシミュレーションソフトを進化によって実装していると説明する.顔のようなもの,声のようなものは顔,声として認識するように働くのだという説明だ.要するに証言によっては奇跡は証明できないし,特にヒトの心理についてよくわかっている人は説得できないと結んでいる.


次に聖書に書かれているから神は実在するという議論.
ドーキンスの言い方は「聖書の記述が説得力を持つのは,『一体誰が書いたのか?どうして彼はそれを知っていたのか?その動機は何か?』という質問をしない人に対してだけだ.」というものだ.
そして新約聖書はキリストの死後非常に時間がたってから書かれたものであり,19世紀以降,多くの学者が福音書の記述は歴史的な事実について信頼できないとしていることを指摘している.

ここで面白い記述は,アメリカの聖書研究者バート・アーマンの「Misquoting Jesus; The Story Behind Who Changed the New Testament and Why」という本の紹介のついでに,この著者が聖書を信じるファンダメンタリストから出発し,研究者として大学の序列をあげるたびに懐疑主義者になっていく顛末(なかなか笑える)が紹介されているくだりだ.
最後にカトリック教会は「ダヴィンチコード」に反発しているが,フィクションという点では聖書も同じだと皮肉っている.


次は偉大な科学者も信仰を持っていた,だから神は実在するという議論.
まず,信仰を持っていた科学者の中にダーウィンまで持ち出す輩がいることに憤慨している.(確かにダーウィンの宗教への態度と知的誠実さを知っているものにとってそれはあんまりだ)

ドーキンスは19世紀までは社会的な制約もあり,自分が無神論者であると表明することはまず期待できなかっただろうという.そうした制約が減少してきた19世紀以降無神論者であることを表明する科学者が増えてくる,そして20世紀にははっきりした信仰を持つ一流の科学者はまれになるといっている.ドーキンスはほとんどの偉大な科学者は第1章で論じたようなアインシュタイン型の宗教観(超自然を認めず,自然の説明に「神」という言葉を使う.)だったと考えている.
そして科学者は一般人より宗教的でないというデータをあげる

実際に信仰を持つ科学者は非常に少なく,一般人に比べて明らかに比率が小さい.ノーベル賞受賞者700人以上の中にはほとんどいない.(あるウェッブサイトでは6人いると主張しているが,そのうち4人は受賞者ではなく,またのこりの1人は信仰を持っていないことを私は知っている)アメリカでは一般人は90%が超自然を信じているが,ナショナルアカデミーの会員では7%だ.(中間の科学者は40%)英国のロイヤルアカデミーでの調査では3.3%が個人的な超自然的な神の信仰を持っており,78.8%が全くそのような信仰を持たないと答えている.生物学者は物理学者よりこの傾向が強い.

最後の生物学と物理学のところはなかなか興味深い.


ここで面白いのはジム・ワトソンの昼食時の一言「信仰を持った科学者は非常にまれだが,しかし彼等にはまったく当惑させられる.私は啓示によって事実を信じる人を信じるわけにはいかないからだ.そういう人は信仰を持っていないと人生の意味がなく悲惨だというが,私も君も今楽しいランチをしているじゃないか」


第3章 神の存在の議論


(4)個人的な経験からの議論


(5)聖書の議論


(6)尊敬されている宗教的な科学者の議論