読書中 「The God Delusion」 第5章 その2

The God Delusion

The God Delusion



宗教のダーウィン的な説明原理の説明候補その3は副産物説だ.


ドーキンス自体は副産物説に賛成だ.副産物の説明として炎に飛び込む蛾の習性は月などの遠い灯りをコンパスとして利用した適応の副産物だと説明している.この炎と蛾の話は別のどこかでも読んだ気がするが,思い出せない.いずれにしても秀逸な例だ.(ピクサーバグズ・ライフでは蛾がこの灯りの魅力にはどうしてもあらがえないのだといって殺虫用の灯りに飛び込んでいたことをおもいだした.これだと単純な正の走光性だということになろうが,それより飛行コンパスという方がとてももっともらしい.もっともこれを確かめた実験はあるのだろうか?)


宗教についてドーキンスのお気に入りの説明は,子供が親のいうことを信じやすい傾向が適応的だったというものだ.そして副産物は(特に荘厳な調子を持つ)両親や部族の長からの心のウィルスに冒されやすくなったことだ.そして宗教指導者は早期に子供を洗脳することの重要性に気づいていただろうと推測している.

そして副産物であれば,世界の地域ごとに異なった信仰が発生することが予測され,実際に文化人類学者が発見する様々な民族の様々な信仰は,その信仰を持たないものから見るとぎょっとするものばかりだが,これは信仰が副産物であればそうだと思われる特徴そのものだと主張している.


ここで面白いのはボイヤーのケンブリッジでの逸話だ.ある神学者相手に世界の各民族の様々な信仰を語ったところ,真顔で「そこが文化人類学の面白いところが,彼等が一体どうしてそのようなナンセンスを信じるようになるのか説明して欲しい」と話しかけられて仰天してしまったそうだ.彼等はマリアの処女懐妊やキリストの復活の信仰について非キリスト教徒からどう思われるかまったくわからないのだろうかというわけだ.



続いて副産物説は進化心理学の分野からもたらされたと説明し,それは宗教は脳の適応モジュールのうちいくつかが本来の用途外で反応したものだというアイデアであり,たとえば他人の心を読む,他人と集団を作る,内集団と外集団のメンバーを差別するモジュールなどだとしている.

そしてポール・ブルームによりヒトの心理は1.二元論に傾きやすい.2.自然淘汰より創造説を好む傾向があることが示されているがこれにどのような適応的な背景があるのかを議論していく.二元論が生得的である説明として,ドーキンス自身は徹底した一元論者だが,人の心が入れ替わる小説を楽しむことができる(「転校生」の欧米版のような小説F. AnsteyのVice VersaやP. G. WodehouseのLaughing Gasが紹介されている)としている.確かに「転校生」や「エヴァンゲリオン」のプロットラインはごく自然に理解できるのでこれが生得的傾向であることは納得だ.創造説への傾向についてはどうなんだろうか.私の心は神様がヒトをデザインしたというプロットはあまり自然には受け入れられないように思う.


適応的背景はデネットの意図的スタンスも引用して,ほぼデネットと同じ説明だ.外界のものをどう予測するかという問題に対しての適応だと詳しく説明している.


続いてデネットの説として誰かを愛すること自体が適応で,それが副産物として宗教を生んでいるという説の説明がなされる.この説明は特に一神教が強固に広がる説明としてすぐれいているのかもしれない.だから仏教とキリスト教で「愛」の力点が違うのだろうかとぼんやり考えてしまった.
我々は子供や友人は複数を同じように愛することができるが,異性のパートナーについてはそうでない.ある意味誰かがその次の異性より100倍以上素晴らしいと考えることは非合理的な性向だ.これはいったん誰かに決めたらお互いに乗り換えないことを保証して子供を一緒に育てていくための適応としてコミットメントの考え方を説明する.
宗教的な信仰は同じ特徴を持っている.愛されていると感じる暖かい感情,失うことの恐れなど.ローマカトリックの司祭の経験のある哲学者アンソニー・ケニーは司祭に除階された後数ヶ月の高揚とした経験をロマンティックラブに似ていたと証言していることが紹介される.このくだりはなかなか面白い.
そしてもともとの適応はだれか一人(一人というところが重要)を愛し,そのほかの異性には見向きもしないという特徴がある.これがミスファイアしてヤハウェ(あるいはマリアやアラー)だけに非合理的な愛着を持つようになるという説明だ.


それ以外にルイス・ウォルポートの非合理に何かに執着することは命がかかったような場合には適応的だったのではないかという説明,ロバート・トリヴァースの自己欺瞞について他人をだますには自己欺瞞を行っていた方が有利だという説明などを取り上げている.


このようにいろいろな副産物説があることを取り上げ,それらは互いに排他的ではないので,代表して「だまされやすい子供説」を議論していく.
だまされやすい子供説へのよくある反論は,だまされやすいとしてなぜこの特定の宗教ウィルスでなければならないのか.他にもいろいろあるではないかというものだ.その通り.ドーキンスの主張はウィルスはどんなナンセンスでもよいということだ.たしかに文化人類学には多くのナンセンスな信仰のサンプルであふれている.


ここからこのウィルスには傾向があるのか,また感染後のウィルスは自然淘汰的な餞別を受けるのかという問題が議論され,次の節のミーム説につながっていく.



第5章 宗教の起源


マレク・コーン
進化心理学者にとって宗教儀式の普遍的な華やかさは,そのコストを考えると,マンドリルの尻と同じく,適応に違いない」


(4)副産物としての宗教


(5)宗教感受性の心理