読書中 「The God Delusion」 第5章 その1

The God Delusion

The God Delusion



第5章は宗教の起源について.この章はデネットと結構かぶっていることが予想されるが果たしてどうか.


ドーキンスはまずダーウィン的な説明原理の説明からはいる.そしてダーウィン的な利益という場合に,当該行為個体の利益をさしているのが通常だが,例外として3つの場合をあげる.グループ淘汰,別個体や寄生体の操作,そして遺伝子以外の自己複製子だ.
そしてひとつずつ議論していく.


まず行為者の利益.
プラセボ効果を通じた健康上の利益が候補になる.ここで余談ながら現在のインフォームドコンセントに関する法規制が,プラセボ効果の妨げになっており,皮肉なことにホメオパス療法にメリットを与えていると指摘している.日本ではあまりポピュラーではないようだが,ホメオパス(ものすごく薄めた化学物質に医療上の効果があるとする民間療法)は欧米では結構盛んらしい.ドーキンス自体の考えは,宗教はストレスを増やす効果もあるはずだし,現在あるような宗教の隆盛がプラセボ効果だけでは説明できないと考えているということだ.

それ以外の行為者利益の説明(好奇心を満たすとか人生の慰めになるとか)はまったくダーウィン的なポイントからずれているとばっさり切って捨てている.

さらに支配階級の支配の道具等の政治的な説明も,(そのようにデザインされたかどうかは興味ある問題だと留保しつつ)ダーウィン的な説明であるためには被支配階級の人々がなぜそれで搾取されるような心理的傾向を持つのかを説明できなくてはならないと指摘している.


続いてグループ淘汰的説明.
この説明は,単純化すると宗教を信じているグループは殉教者をだしながらも戦争に勝ち,非常に多くの娘グループを産むという主張だ.グループ淘汰の概念には議論が多いと前置きしつつ,ドーキンス自体はグループ淘汰の推進者ではないが,理論的にそれが起こりうることは認めている.問題はそれが進化の歴史で主要な力になったかどうかだ,基本的には下位レベルの淘汰圧の方が大きいことがほとんどだろう.宗教グループの場合には殉教による個人的な不利益やただ乗り者のグループ内増加がグループの繁殖より遙かに素早く生じてしまう.グループ淘汰の条件は通常あり得ないほど厳しいというのがドーキンスの立場だ.
ここでダーウィン自身の「人間の進化と性淘汰」における記述についてのドーキンスのコメントがある.
これはグループ淘汰的な議論ではないかと引用されることが多いが,ダーウィンはあくまでそのような人たちがいる集団が勝つことによってそのような人たちが生き残る(殉教などのコストを考えていない)という視点で説明しており,厳密には個体淘汰的な議論であると説明している.



第5章 宗教の起源


マレク・コーン
進化心理学者にとって宗教儀式の普遍的な華やかさは,そのコストを考えると,マンドリルの尻と同じく,適応に違いない」


(1)ダーウィニアン規範


(2)宗教の直接的利益


(3)グループ淘汰