読書中 「The God Delusion」 第9章 その2

The God Delusion

The God Delusion


では宗教と子供についてどう考えるべきだとドーキンスはいいたいのだろうか.ドーキンスはニコラス・ハンフリーの考え方を紹介する.ハンフリーは敵意があったり有害なスピーチを禁じるべきかということについて明確に否と答えた.言論の自由はそのような検閲によって失われてはならないと.しかし子供に対しては例外が許されると続けた.子供はばかげたナンセンスによって心を混乱させられない権利を持つと考えるべきだと.だから社会は子供を守る義務があり,両親が子供に暴力をふるったり監禁したりするのを防ぐのと同じように,聖書が字義通りの真実だとか惑星の動きが人の運命を決めるだとかを子供に吹き込むのを防がなければならないと.


ドーキンスはこれに続けて,要するにある人が何を信じるかはその人の自由であって,その両親の自由ではないというところが要点だとしている.そして信じる自由の前提条件は証拠に基づく事実を教えられ,成人していることだと続けている.


この価値判断の考え方はよくわかる.しかしなかなか難しいところだ.両親には子供に対してどこまでの権利を認めるべきなのだろうか.サンタクロースのお話を吹き込むこともよろしくないのだろうか.宗教側は胎児の生命に対しては親の自由を認めず,子供の洗脳については親の権利を認めていることになる.解釈の難しいねじれ現象だ.おそらくミームの繁殖効率という観点からは一貫しているということなのだろう.日本では文化的に親の自由を広く認める傾向があるのでドーキンスの主張はどこまで受け入れられるだろうか.


続いてドーキンスは文化相対主義的なものの考え方から派生している子供に対する態度を非難し,文化の多様性のために人権が侵されていてもやむを得ないというような考え方はおかしいと正面から議論している.たとえば生け贄になったインカの少女と,それを文化的に美しいと賞賛するようなテレビ番組を例に挙げて議論がなされている.ドーキンスの議論の要点はもし少女がすべての情報を与えられていたら自発的に生け贄になろうとしたかどうかだというものだ.そしてインカの聖職者の無知は責められないが,幼い子供に太陽信仰を教え込んだことは責められるべきだ.そしてそれを賞賛するようなテレビ制作者も責められるべきだと結論づけている.


英米でのリベラルな人は文化相対主義に非常に好意的であって,その文化がそのほかのリベラルな価値観(特に人権など)と相反するときには混乱してしまうらしい.特にそれが強く出てくるホットイシューは女性の陰核除去の習慣で,リベラルな人はこれを文化相対主義的には支持しなければならないのかと考えてしまうらしい.ドーキンスはこれは現代英国でも行われており,オーソリティは人種差別主義といわれるのが怖くて見て見ぬふりをしているのだと憤慨し,要点は娘の陰核除去をする権利が親にあるかどうかということだと切って捨てている.
同じような問題は文化の多様性を保つためにジプシーやアーミッシュのような生活習慣を保護すべきか,そしてその中に親の意向に従って彼等の子供にそのような習慣を続けさせるべきかというところにもある.


ドーキンスのまとめは,またも厳しい.

文化の多様性や宗教的伝統のために子供を犠牲にしてよいと考えるのは,他人を見下した非人間的な態度だ.自分はコンピューターや自動車のある生活を満喫し,風変わりで面白い文化が我々の人生を豊かにしてくれるというわけだ.


第9章 子供,虐待と宗教からの脱出


すべての村には灯り(:教師)と消灯機(:聖職者)がある. ヴィクトル・ユーゴー


(2)子供を守るために