読書中 「The God Delusion」 第9章 その3


宗教による子供への洗脳について.
続いてドーキンスは最近の英国政治におけるスキャンダルを取り上げる.この問題がどの程度英国で騒がれたのかはわからないが,ある程度問題になったようだ.スキャンダルというのはトニー・ブレア肝いりの制度が悪用されたというもの.英国では教育への大口寄付を行えば,政府がその10倍の税金による補助を行い,寄付者の意向によるいろいろな教育ができるようにするというシステムがあるらしい.そしてその学校,ゲイツヘッドのエマニュエルカレッジでは,寄付者に取り入った創造論者がノアの洪水やら世界の創造が1万年前より新しいとかというナンセンスを教え込んでいるというのだ.
ドーキンスの立場からは噴飯ものだろう.彼は同僚科学者と首相に手紙を書いたそうだが,返事は木で鼻をくくったようなものだったと憤然としている.善意を信じた制度が悪用された形だが,ことに宗教が絡むと英国でも行政側は及び腰になるのだろうか.推進した政治家は何とかして逃げを打とうとするだろう.この辺は洋の東西を問わずに同じ構図だろう,目に見えるようだ.


さらにドーキンスは重ねて,子供に宗教のラベルを貼るべきではないと繰り返し,そのひどい実例としてアイルランドでは4歳の子供がカトリックの学校に通うのにプロテスタントの一派があざけりと罵声を投げ,子供は警察と軍に守られてバリケードの中を学校にはいるという話を紹介している.


そして子供には洗脳ではなく,宗教の比較を教えることを提案している.そうすれば世の中には多くの信念システムがあることがわかり,自分の両親のものもその一つにすぎないとわかるだろうというのだ.(ドーキンスも最初に宗教に疑問を持ち始めたのはそれがきっかけだったと言っている)これはそうかもしれない.実際に英国ではカトリックとプロテスタントの教義の違いとかはどのように教えられているのだろうか?興味のあるところだ.日本ではどうだろうか,確かに日本史の時間では仏教の各派の教義を,そして世界史でイスラム教やキリスト教の教義を各1.2行で教わった気もするがそれ以上は何もない気がする.やはりこれ以上つっこむのは日本でも政治的にリスクがあるので教師が二の足を踏むのだろう.


最後にドーキンスは,子供の洗脳には反対するが,文化的な教養として聖書の物語を教えることには賛成する.実に多くの英語の表現が聖書から来ていて,荘重な英国文学も,軽いコメディもこのリテラシーがなければ楽しめない.(ヨハネの話を知らなければ,マイフェアレディのイライザのファンタジー”どうもありがとうございます.王様,私が欲しいのはエンリー・イギンズのエッドです”のおもしろさもわからないだろうと示唆されている.恥ずかしながら私はドーキンスに指摘されるまで気づかなかった)これはギリシア神話やローマ神話と同じく,尊重されるべきだし,その中身を真実として信じるかどうかとはまったく別のことだと立場をはっきりさせている.



第9章 子供,虐待と宗教からの脱出


すべての村には灯り(:教師)と消灯機(:聖職者)がある. ヴィクトル・ユーゴー


(3)教育のスキャンダル


(4)再意識覚醒


(5)文字文化の一部としての宗教教育