読書中 「The God Delusion」 第10章 その2

The God Delusion

The God Delusion




次に宗教がそれでも有用ではないかという擁護論の本命「宗教は心の慰めになるから良いではないか」について.
死の床にある病人や,愛する人に先立たれた人にとって宗教はかけがえのない慰めだろうという議論だ.ドーキンスはここでビートルズナンバーのエレノア・リグビーを引き合いに出している.


まずドーキンスは釘を刺す.仮に慰めになるからといって宗教の内容が正しいかどうかとは別だと.これはよく混乱した議論をふっかけられることから来ているのだろう.議論としては当然だ.これはデネットが信仰の信仰として問題にしたところと関連している.


そして慰め論に対しては,無神論者がより不幸である証拠は何もないとする.ドーキンス無神論者が何故絶望する必要があるのかと問いかけている.おそらくこれは非常によくされる議論の中身なのだろう.


続いてドーキンスは「慰め」とは何かと議論を進める.まず直接の生理的な慰めは,神への信仰よりも科学に基づいた薬のほうがより確かだろうと議論から除外している.

次に,ものの見方を変えることにより得られる慰めはどうだろうか.ドーキンスはこれに対して「誤った事実を信じることによって得た慰めはそれが誤りとわかるときまでは慰めだ.しかしこれは非宗教的なものでも同じだ.医者は病気が重くないといって患者に慰めを与えることができる.死後の生についての信仰はそれが真実かどうかがわからないから幻滅の時はこない.」と説明している.
アンケートではアメリカで95%が魂の不滅を信じていると回答するらしい.この数字も驚異的だし,そう答える方向にバイアスがかかっているとしても,それ自体日本から見ると驚きだ.ドーキンスは一体どれぐらいの人が心の底から死後の生を信じているのだろうかと疑問を提示する.そしてここからがドーキンスの切れ味鋭い攻撃だ.

もし本当に魂が不滅なら,人は近しい人の臨終を喜ぶべきだし,ましてや安楽死に反対する理由はないはずだというのだ.そしてさらに死後に天国が待っているなら,そもそも殺人が罪になると考えること自体おかしいのではないかと皮肉っている.要するにそれがフィクションであることは皆うすうす知っているのではないかとほのめかしているのだ.これは実は鋭いところをついているのではないだろうか.


ドーキンスの矛先は安楽死を否定する宗教への非難に続く.いわく「私自身はもし死の床が苦痛に満ちているのなら安楽死させて欲しいと願っている.イヌになら許されるその望みは,私が英国にいる限り満たされることはないだろう.何故オランダやスイスのように啓蒙的な地域は少ないのだろうか.それは主に宗教の影響だ.」


そして看護師の証言,死をもっとも恐れるのは宗教的な人らしい.さらにヒューム枢機卿の最期の言葉「諸君さようなら.また,たぶん,煉獄で合おう」には懐疑的な響きがあるのではないかと読者に問いかけている.そして「煉獄」という概念が免罪符とセットになって如何に詐欺的かについての糾弾.最後は宗教側の「煉獄の存在証明:もし煉獄がなく,人が天国か地獄に行くだけなら,死者のための祈りというものに意味がなくなる.だから煉獄はなければならない.証明終わり.」のあまりにもコミカルな幼児的な議論への皮肉がくる.まったく見事な連続攻撃だ.
もっとも本当にこれが公式の宗教側の煉獄の証明なのかどうかは私にはよくわからない.本当であれば確かに幼児的だ.煉獄という概念(煉獄とは主にカトリック教会の教義において、死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪のチェックを受け,天国へ行く前に清められるために赴く場所)自体確かに何となく怪しい香りに満ちているような気がしてくる.プロテスタントではどうなっているのだろうか?


この節の議論は要するに魂の不滅以外の慰めは本質的ではないし,それ自体皆本気で信じていないのではないかということだ.もっとも,だからといって,「本気で信じて慰めを得ている人もいるとすればそれについてどう考えるか」というもっとも本質的なところについては,ドーキンスも反論はしていない.宗教によらずして同じ慰めを得られるとしても,なお宗教で慰めを得ている人がいるというならそれをどう考えるかは別の問題だ.そこは最終的に宗教の利点ではあるのだろう.そしてそれがその他のデメリットを補うかどうか,あるいは偽りを告げることによる慰めが倫理的にどうかと言うことが問題になるのだろう.

基本的にドーキンスの立場はすべての人が無神論になるべきだということではない.無神論者は自信を持ってカミングアウトしようということだから,少なくとも慰めが宗教によってしか得られないものではないと言えればそれで良いのだろう.それは次に語られることになる.



第10章 とても必要とされたギャップ


(2)慰め