読書中 「Moral Minds」 第3章 その6

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong




第5節は本章の主題「暴力が許されるかどうか」についての判断の構造に立ち戻る.


ハウザーは自分では自分が誤っていたのかどうかよくわからないことがあるという.周りの反応からそれを知るケースの例として人気テレビ番組「デセパレートな妻たち」,ルインスキー事件のクリントンイラク戦争のブッシュが引かれる.また他人の行動を評価するときも結果しかわからないことが多いと付け加える.そして道徳は出力しかわからないので構造的な分析が必要だと進む.
このあたりは第1部の復習なのだろうか.要するに人は道徳判断はできるが,どうしてそう判断してるのかは意識的にはわからない(ロールズ的モデル)という話だ.しかし自分の行動が誤っていたことがわからないという話はちょっと違う話のような気がする.これは認知的な自己欺瞞の話であって道徳とは別の現象のような気がするがどうだろうか.ちょっと大統領を揶揄したかっただけなのだろうか.


ハウザーはロールズ的な判断の構造解析の手始めに,デニスとフランクの話に戻って,許されるかそうでないかだけでなく,義務なのかもあわせたダイナミックスを取り上げる.デニスは5人の命を救うために1人を犠牲にすることが許される.しかしこれは義務ではないと普通の人は感じる.しかし5人の数を上げていくとどこかでそれは義務になるという.私の感覚だと50人ぐらいからだろうか.ハウザーはこれは一つの隠れたパラメーターだという.
また子供の命を金で売るかどうかという問題について,普通の人の答えは常にNOだが,金額をどんどん上げていくと人は正邪の問題からタブーの問題に切り替えるのだという.ここはよくわからない.1兆円だろうが100兆円だろうが正邪の問題ではないだろうか.その金で別の子供の複数の命が救えるということならそうかもしれない.これもハウザーによると隠れたパラメーターだという.文化によってトレード可能なものの種類は異なり,人はその理由は説明できないのだという.


第3章は構造のわかりにくい章だった.まず暴力についての道徳判断はホンの小さな条件で答えが左右されることを示し,続いてユニバーサルと文化差を見た.その中では道徳判断の構造を人が知ったときにそれに盲従するのかという深い問題提起がなされている.各論では殺人が許されるケースを取り上げて,それには社会規範が大きく影響を与えることを示し,殺人が義務になるような社会規範を批判している.最後に道徳判断の構造の中には隠れたパラメーターがあることを示して終わっている.




第3章 暴力の文法


(5)自然の勧告