読書中 「Moral Minds」 第4章 その2

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong



第3節は私たちの脳が,道徳判断を行う対象「事件」をどう認識しているかについてだ.
時間は連続的に流れているが,私たちの脳はいろいろな出来事をどのように区分して認識しているのか,考えてみるとなかなか面白そうな話だ.音素と単語のように意味を持たない要素から意味を持つ要素に統合されているというのが本書の説明だ.ただこの切り分け方は背景知識により異なってくることを認めている.


哲学者が作った例が引かれている.

ジョンは指を曲げた.それにより銃の引き金が引かれ,銃弾が発射され,ピエールが殺された.

この例に対しての解説は以下のようになされている.

指を曲げるのは音素に該当する.これだけでは事件としての意味はない.銃の引き金を引くために指を曲げると目的を持った行動であり意味が出てくる.弾倉に弾丸があるかないかでまたこの行為の意味は異なる.そして銃が何に向けられていたかでまた意味は異なる.

そういうことのような気もするし,ちょっと言語の例に引かれすぎたこじつけのような気もする.


ハウザーは続いて,このような認識能力がどう発達するかを考察している.タオルを拾おうと腰をかがめて途中で止まる画像をみせられると,幼児は(拾う画像より)驚くそうだ.ハウザーは幼児は連続した事件を要素に分解できると結論づけている.そしてこのような能力は,原因と結果を考え,さらにそこに意図があったのか偶然の結果なのかを考えるために必要な能力だと説明している.
確かにそれはそうだろう.しかしそれ以外にもこの能力は有用そうだ.ハウザーも道徳専用の能力とは言っていない.


第4節では自己の認識について議論される.
自己認識は道徳の本質に関連している.つまり心と目的と自由意思を持つエージェントは,自分自身に対して,そして他に対して責任を持つものだというのだ.


ここから幼児がどれぐらい早くから自己認識を見せるかについて様々な知見とともに説明されている.自分の鏡像と他人の鏡像を区別できるようになるのは18-24か月,(鏡像に映った口紅を見て自分の頬を拭くようになる)(何か不都合があったときの)当惑,共感の最初の兆候,ごっこ遊びなど他の「自己認識」の兆候も同じ時期に現れるそうだ.足でおもちゃをけることができるというのは自己コントロールの認識ということなのだそうだ.そんな気もするがよくわからない.おそらく私に発達心理学リテラシーがあまりないことによるのだろう.


ハウザーはこの自己認識は正義にとって重要だと力説している.

ロールズ的には自己とは政治的な概念であり,正義の感覚と,善を理解できる能力を授けられている.個人は政治権力から,人生を生きるに値する基本的への価値のアクセスと,意見を言う権利を与えられなければならない.自由とは各個人が自分の利益について表明できる能力から来ているのだ.
アメリカで奴隷制が否定されたのは,奴隷が反対したからではない.社会全体がそれを個人にとっての不正義だと考えたからなのだ.


この3,4節では道徳能力の基礎になる能力が概観されたということのようだ.


第4章 道徳器官


(3)事件でいっぱい


(4)自己の内省