生物科学2007年5月号はイヌの生物科学が特集となっている.
3月号の「人類社会と社会性の進化」を見かけて購入したときに並んでいたので手に取ってみると,表紙はあのキクマルが飾っている.「イヌの生物科学」というのも面白そうなのであわせて読んでみた.読んでみて初めて知ったことだが,イヌについては生物学ではなく農学の守備範囲という暗黙の了解事項があり,これまで生物学系の研究者にはあまり取り上げられてこなかったそうである.ダーウィンの種の起源を読んだことがあればその区分には相当違和感があるだろう.また現代社会で,特に都会生活をしていれば,もっとも身近な生物はイヌであろうし,それは残念なことだ.実際には犬種によって行動特性が違うことがわかっているとされているイヌは行動遺伝学的にはとても興味深い対象生物になるといことで見直されているそうだ.巻頭の長谷川寿一の総説では,イヌの生物学は今後基礎科学,応用化学,人間・社会科学それぞれの観点から興味深く,領域横断的研究が「イヌ学」として開花する日は遠くないだろうとして結んでいる.
最初の記事は茂原信生による「形から探るーイヌ」
頭蓋や歯列の特徴が記されている.また日本在来犬の祖先について縄文時代以降の出土骨等から見てニホンオオカミとは別の系列(中国等のアジア起源)が示唆されている.
2番目は石黒直隆にょる「イヌの分子系統進化」
イヌの祖先が何であるのかについて,血清タンパク,ミトコンドリア,核DNAなどによる研究がいろいろと紹介されている.結論から言えば,まだ不確定な部分は残るにしても,イヌの祖先はオオカミであることは確定的であるが,どの系列のオオカミかということについては,単一起源ということはなく,むしろイヌとオオカミは分子的には明確に区分できない同一種と考えた方がよいということのようだ.要するに多くの犬種の多くの遺伝的部分は東アジアのオオカミ起源でありそうだが,それとは異なるヨーロッパオオカミや北アメリカ,インドのオオカミから起源したり,その影響を受けている犬種も混じっているということのようだ.
3番目は村山美穂による「イヌの行動を遺伝子から解明する」
イヌのドーパミン受容体遺伝子の方とイヌの行動特性(性格)の関連を調べたもの.イヌの行動特性は獣医師や訓練士などへのアンケート調査によっている.
多くの犬種に関して遺伝子を調べると,ドーパミン受容体D4のアレル頻度について短グループと長グループの2グループにくっきり分離できた.そして性格との相関では攻撃性と社会性に相関が見られたという結果になっている.これは結構驚くべききれいな結果だ.
今後の応用としての作業犬の適性予測,そして一般的な行動遺伝にかかる研究分野を上げている.
4番目は藪田慎司による「イヌの性格の行動学的研究に向けて」
動物やヒトの行動特性の研究分野において,行動シンドロームの相関分析,因子分析の問題について総説的にまとめた後,イヌの犬種についてのリサーチを紹介している.これによると大きく5つの因子が抽出されたということである.
5番目は中島定彦の「イヌの認知能力に関する心理学的研究」
動物の心理学における認知主義革命はヒトに遅れること10年,1960年代から始まったそうである.最初の取り組みとしてソロモンによるビーグル犬への罰を扱った者が紹介されている.最近では探索行動を利用した研究が行われており,いくつかの認知科学的な実験が紹介されている.実験の実務的な困難点として,イヌへの動機付けの問題,臭いをうまく消すことなどに触れられている.これによるとイヌは可視移動,不可視移動どちらの問題も完全ではないがある程度解決できるようだ.
次にイヌがヒトの言葉をどれだけ理解できるかについて.Ricoという”天才犬”は200以上の単語を区別できたそうだ.また指さし,視線を使ったコミュニケーションではチンパンジーより成績がよいことが紹介されている.
6番目は大田光明による「イヌー人関係の生物学」
イヌについての概説の後,人の健康に果たすイヌの役割がまとめられている.高齢者,入院患者などへの好影響,ストレス軽減などが取り上げられている.
その後に遠藤秀紀によるエッセイが収録されていて,独特の味を出している.イヌが家族の一員となるにつれて,死亡したイヌの解剖にかかる飼い主の同意がとれなくなり,10万円でビーグル犬をかってきている実態が語られている.
なかなかバラエティに富んだ特集で楽しめた.確かにイヌは行動特性が犬種によって異なっていると一般には受け止められているので,いろいろな分析が有効だろう.ますますコンパニオンアニマルとして人気もあるので,一般の家畜とは違った研究費の集め方もあるのかもしれない.いろいろ面白い研究の進展を期待したい.