読書中 「The Evolution of Animal Communication」第1章 その5

The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)



第5節は「帰ってきただまし」
スターウォーズ指輪物語なら「だましの帰還」とでもいうところだろうか.ここではポストグラフェンにおいては,ハンディキャップ理論が受け入れられ,興味の中心は「何故信号が正直なのか」から「信号の中にだましの要素はないのか」に移り変わっていったことが描かれている.


まずグラフェン1990b (Biological Signals as Handicaps) においてすでにこの点が議論されている.そこでは,発信者に2つのグループがあって,片方にとってよりコストが安かったり利益が大きかった場合には,片方はより誇張した信号を送るだろう,そして受信者の反応が「平均して」受信者に利益があるなら,この誇張(あるいはだましの混入)はESSであるだろうといっている.


受信者側の信号のクラスの区別の失敗によるものも議論されている.これは後に信号検出理論につながった.
これは推測統計における第1種の誤りと第2種の誤りに似た議論だ.

つまりある2つの信号がクラスは異なるが信号のある次元のみ異なる場合(たとえば信号強度)に,受信者は信号を区別するためにどこかで閾値を持たねばならない.これはファルスアラームの最小化とコレクトデテクションの最大化のトレードオフの問題になる.もしフォルスアラームのコストが低くて,コレクトデテクションの利益が大きいなら,「適応的なだまされやすさ」が進化するだろう.この場合受信者は閾値を越えた違うクラスの信号に反応する.これは受信者から見ればだまし信号になる.


図を書くと以下のようになる.信号1の楕円で示したところが受信者から見るとだまし信号となる.



サーシィたちはコメントして,一般的なESSモデルは正直な信号と不正直な信号はまったく区別できないとし,反応するのと反応しないのではどちらが適応的かを問題にするのに対して,信号検知理論ではアプローチが異なり,正直な信号と不正直な信号にたいして,受信者が完全には区別できないなかで,どの閾値を持つことが適応的かを問題にするのだといっている.そしてこのように種類が同じでレベルのみ異なる信号に対してもESSモデルを作ることは可能だが,実務的には両者の信号が同じに見えるため,なかなかこのアプローチはとれないのだといっている.

こはちょっと意味がとりにくい.少なくとも理論的には解析可能なら,何とかなりそうな気もするのだがどうだろうか?


続いてドーキンスとギルフォードの議論が紹介されている.
彼等は受信者側のコストから見て,よりコストの安い慣習的信号が,正直なハンディキャップ型の信号に置き換わるのではないかと議論している.
これまでのコストは発信者のそれが議論されているが受信者にもコストはあるというのだ.たとえばディスプレーを吟味するための時間だ.鳴鳥の雌はオスの歌が終わるまで辛抱強く聴かなければならない.
ドーキンスとギルフォードは要するに受信者のコストが大きければ信号の正直さが失われやすいといっているのだ.これは第3章で議論されるそうだ.いわゆるだましという語感とは違う問題のような気もするが,受信者側のコストが信号の信頼性に与える影響というのはこれまであまり考えたことがなかった.面白そうだ.



第1章 イントロダクション


(5)帰ってきただまし