読書中 「The Stuff of Thought」 第2章 その6

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature



第4節でピンカーは動きと変化についてさらによく見ていこうと提案している.
ヒトの心が,同じ状況をいろいろなフレームに捉えているとするなら,ある状態に置かれた人がどのようなフレームで考えているかを周りから予測するのが難しくなるだろう.ヒトの言語はコミュニケーションをとる上でどのようにこれを克服しているのだろうか.


まずある動詞を動きと捉えるのか状態変化と捉えるのかを考えなければならない.ピンカーは「なぜ子供は nail という動詞を「表面に傷という変化を作る」と覚えずに「何かに釘を打つ」と覚えるのだろうか.」と疑問を提示している.


具体例として最初にピンカーが取り上げるのは smear (油などを塗る,油などで汚れる)だ.

これは油と,それを塗る表面の両方を直接目的語にとれる.
 smear grease on the axle
 smear the axle with grease


このようにどちらの構造もとれる動詞には
brush(ブラシをかける), dub(たたく,つつく), daub(塗る), plaster(漆喰を塗る), rub(擦る), slather(こってり塗る), smear(油を塗る), smudge(汚す), spread(広げる,散布する), streak(筋をつける), swab(雑巾をかける) がある.

そしてcontent-locative構造のみ許す動詞
dribble(したたる,たらす), drip, drop, dump(ゴミを投げ捨てる), funnel(じょうごを通す), ladle(ひしゃくですくう), pour, shake, siphon, slop(こぼす), slosh(はねとばす), spill, spoon


ピンカーはこう言っている.

何が違うのだろう.どちらも何かを何かに対して動かしている.しかし物理的に良く考えよう.前者は物質を強制的に何かに接触させて動かし同時に影響を与えている.後者では重力に仕事をさせている.
直接何かに原因を与えているのと,間接的に影響を与えているのとの差だ.同時か,ほんの少し後のタイミングかの差だ.

では日本語ではどうだろうか.確かに「塗る」は両方を「ヲ格」にとることができる.


 グリースを車軸に塗る.
 車軸をグリースで塗る.


ブラシを掛けるという単独の動詞は日本語にはない.しかし仮に「ブラッシュする」という動詞を作ってみても.ブラシや刷毛を「ヲ格」にはとれないだろう.「たたく,つつく,汚す」は「BをCに移動させてCに変化を起こす」場合,Cにあたる「容器」側しか「ヲ格」をとれないようだ.逆に「散布する」「広げる」はBしか「ヲ格」にとれない.
「打つ」は通常Cしか「ヲ格」をとれない.しかし「鉄砲」は「ヲ格」にとれ,このときは両方とれる動詞になる.(もっともこの場合には主に「撃」という漢字が使われるようだから「撃つ」は同音異義語で両方とれるということかもしれない)


 熊を鉄砲でうつ.
 鉄砲を熊にうつ.


「射る」「刺す」も同じように両方とれる場合がある.


 矢を熊に射る.
 熊を矢で射る.


 ナイフを熊に刺す.
 熊をナイフで刺す.


「突く」は微妙だが,私の語感では両方とれない気がする
 銛でサメを突く.
 *銛をサメに突く.



英語で中身のみ直接目的語にとれるとされた動詞でも,「したたる」だとBにあたる液体が「ガ格」をとる.もっとも「たらす」「おとす」「注ぐ」であれば液体のみが「ヲ格」をとる.Cの容器についてはいずれも「ニ格」しかとれないようだ.


前回も見たが,この部分については日本語と英語で状況が少し異なっているように思われる.日本語は「格構造」について重力に仕事をさせていないからといって両方のフレームがとれるわけではない.強制的に何かをしていても両方のフレームをとれない動詞の方が多い.もっとも重力に仕事をさせて,かつ両方のフレームがとれる動詞は無いようなので,間接的な作用であれば容器を「ヲ格」にとれないということは言えそうだ.十分条件ではないが必要条件ということで,やはり重要なポイントの1つなのかもしれない.


結局日本語ではBの移動を重視している動詞についてはBを「ヲ格」にとり,Cの状態を重視している動詞についてはCを「ヲ格」にとる.(さらに作為がない「したたる」のような動詞は「ガ格」をとると言うことだろうか)
そして,その中に(おそらく例外的に)「塗る」「満たす」「埋める」「刺す」のような両方とれる動詞があるということであるようだ.この両方とれる動詞がなぜそうなっているかは興味深い.今の私にはよくわからない.英語では「重力にさせているかどうか」がポイントであったように,「塗る」と「染める」,「刺す」と「突く」あるいは「つつく」では何かが異なるのかもしれない.



ピンカーはさらに強制的に何かしている動詞をあげて,これが両方とれることを示している.
inject(注入する), shower, spatter(はねかける), splash(はねかける), splatter(はねかける), spray, sprinkel, spritz(噴出させる), squirt(噴出させる)


やはり日本語では「注入する,はねかける,噴出させる」いずれもBの液体しか「ヲ格」にとれない.
「シャワーする」「スプレーする」という動詞を無理矢理作ってみると両方とれるのかもしれない.

 プラモデルにガンダム専用塗料をスプレーする.
 ?プラモデルをガンダム専用塗料でスプレーする.


ピンカーの次の例はちょっと下品な動詞も混じっている「何かが何かの内部から排出される」動詞.これらは排出される中身のみ直接目的語になる.
emit(放射する), excrete(排出する), expectorate(吐く), expel(排出する), exude(しみ出す), secrete, spew(へどを吐く), spit, vomit


これらは日本語でもほぼ同じで,排出されるもののみ「ヲ格」になる.



第2章 ウサギの穴に


(4)動きと変化の思考