「ニッチ構築」


ニッチ構築―忘れられていた進化過程

ニッチ構築―忘れられていた進化過程



進化現象は通常生物集団内遺伝子プールの個別遺伝子頻度が環境に適応して変化していくことをいうが,生物自体は,当然ながら環境に影響を与える.すると環境と生物の遺伝子がそれぞれ影響を与え合い,かつ世代継承していくことになる.これを統合的に見て進化を理解しようというのが本書の主張である.


遺伝子と環境が影響を与え合っているというのは100%正しいだろう.おそらくそれは誰も疑っていないと思われる.そして問題はうまくモデルを作れるか,そしてそのモデルは通常の進化モデルにはできない現象の説明ができるのかというところだと思う.


本書の構成は半分がニッチ構築は理論的に重要だということを繰り返し繰り返し述べ,残りの1/4はモデルの説明,最後の1/4がそれを利用した現象説明の候補を検討するという内容になっている.


まずニッチ構築理論の重要性の提示部分だが,はっきり言ってつまらない.まず説明が難解だ.簡単なことを晦渋的な文章でつないでいる.(おそらくこれは訳の問題ではなく,原文がそうなのだろうと思う)また遺伝子と環境が影響を与え合うという現象があることは当たり前であって,通常の読者は誰もそれを疑っていないだろう.そこをこれでもかこれでもかとそのような現象があることを強調されても,冗長な印象を受けるだけだ.
さらに著者お気に入りのニッチ構築現象の候補として繰り返し繰り返し登場するのは,キツツキフィンチ(サボテンの棘をキツツキのクチバシ代わりに使うことを世代ごとに学習によって習得すると説明されている),酪農文化と乳糖耐性遺伝子の進化,ヤムイモ栽培とマラリア耐性遺伝子の進化(ヤムイモを栽培すると水たまりができやすくなって蚊が増殖し,マラリアが伝染しやすくなり,それに対してマラリア耐性遺伝子頻度が増加する)だが,どれもニッチ構築理論を持ち出さなくとも容易に説明できてしまうものばかりだ.本書では関連トピックとしてドーキンスの「延長された表現型」を取り上げ,しかしそれでは環境から遺伝子へのフィードバックの部分が考慮されていないと批判しているが,このような本書の取り上げる実例はほとんど「延長された表現型」で説明できるものばかりだと思われる.


真の問題は通常の進化モデルでは説明できないことを説明できるかということだ.そして理論的な可能性があるというのはモデル編を読めばわかる.そしてそのような可能性が生じるのは,ある遺伝子の表現型が,その遺伝子や別の遺伝子の遺伝子頻度に影響を与える場合に,それが,その遺伝子同士の回帰係数に線形に効かずに,(間に環境を通すために)非線形になっているかどうかというところだろう.環境側の継承様式や,遺伝子・環境間のフィードバックが複雑になるとそうなるだろう.それは確かに理論的な可能性としては興味深い.本書で紹介されている単純なモデルでも,環境との相互作用がない場合に比べてタイムラグが生じたり,適応が行き過ぎたりすることが示されている.


では実際の生物現象としてあるのか.本書の挙げる具体例はその点で物足りないものばかりだ.酪農文化と乳糖耐性遺伝子の例でいえば,酪農文化が生じ,乳糖耐性遺伝子の頻度が高まるところまでなら普通の進化モデルで何の問題もなく説明できる.さらに乳糖耐性遺伝子頻度が高くなったために酪農文化に何らかの影響が生じ,それがさらに遺伝子頻度の影響を与えるという状況にまで至って初めてニッチ構築モデルの出番になるのではないだろうか.本書では残念ながらそこまで詰めないと説明できないような実際の現象例は紹介されていない.


本書は今後の注目点についても見通しを示している.この部分はスリリングで読み応えがある.本書が上げているケースはすべて説得的だとは言えないが,そのうちいくつかは興味深い発展可能性があると思う.
まず自分に対して有利な環境構築を行う生物,不利な環境構築を行う生物に対して,それぞれ協力的,敵対的な行動をとる可能性を集団のモデリングに明示的に入れて考えることができる.社会性昆虫の性比予想などに面白い影響を与えそうだ.また適応地形や種分化の考察にも面白い論点を与えそうだ.また学習能力が高い主がニッチ構築を利用しやすいとすれば,前頭葉が比較的発達している鳥に何か有利なことを学習させると現実の生態系でニッチ構築の実験ができるかもしれないと示唆している.これも面白そうだ.


本書はきわめて関連が高いと思われる「ボールドウィン効果」についてはまったく取り上げていない.ここはちょっと不満の残るところだ.また生態学と集団遺伝学の橋渡しをしたモデルがこれまでないとも示唆しているが,私の考えでは,ハミルトンの有性生殖の有利さを寄生耐性で説明するモデルはまさに集団遺伝学と生態学をあわせたモデルであり,寄生と宿主という関係でニッチ構築をも含んだ先駆的なモデルではないかと思う.これも取り上げていないのは不満の残るところだ.


本書を一言で評すると,なかなか学会の主流に認められないのだが,しかし研究を続けて体系を作り上げた執念の労作ということになるだろう.ニッチ構築は理論的な骨子は間違いなく正しいのだから,あとはフィールドでデータを集めることだろう.そのようなデータが積み重ねられると,あとから振り返って記念碑的な著作ということになるのだろうか.くどいところも不満の残るところもあるが,読んでみて得るところも多い本だと思う.



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このニッチ構築を読むとどうしてもミーム論の現在と心象風景が重なってしまう.理論自体もきわめて近接したところ(あるいは包含関係)にあるし,面白そうなのだが,実際のデータが少ないというところも共通している.いずれも良いデータが見いだされることを祈るばかりだ.


ダーウィン文化論―科学としてのミーム

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