読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その9

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ピンカーの考え,概念意味論(conceptual semantics)への極端な対立仮説,その3は言語決定主義だ.言語決定主義というのは,言語こそが人の思考を決めているという考えだ.


ピンカーはこの節を「シェルムの老人とジェネンデルのキー」という童話の話から始める.
『その村の老人たちは祭りの時に出される料理のサワークリームが足りないと大騒ぎして争っている.ここで誰かが「今度から水のことをサワークリームと呼んで.サワークリームのことを水と呼ぼう」と提案する.』という話だ.

ピンカーの教訓は,これは人は使われる言葉とは独立に現実を理解しているということがわかっているから面白い話になるというものだ.ピンカーは,言語決定主義者はこんな当たり前のことが見えなくなった人たちだと揶揄しているのだ.


ピンカーによると,20世紀の行動主義者は,空中に浮揚しているような「信念」というものを嫌い,すべて言葉のような具体的な反応に置き換えようとした.70年代に一世を風靡した彼等はウォーフ仮説を提示し,言語が思考を形作ると考えた.その後の認知科学革命で,純粋な思考を研究できるようになり,言語は概念にたいした影響を与えていないことが明らかになり,この仮説は捨てられた.しかし,それにもかかわらず最近またよみがえりつつあるのだそうだ.


ピンカーはまず一発パンチを浴びせてから,丁寧に議論している.パンチはエスキモーは雪の語彙を多く持っているという有名な話にかかるものだ.エスキモーが雪についていろいろ感じているように英語話者は感じていないに違いないという言語決定主義的な考えがすぐ後に続く.
ピンカーによるとまずそもそもこれは事実として正確でない.数え方にもよるが英語にも様々な雪の形状性質を区別する語がある.そしてもっとも強烈なパンチは,「このような主張をする人は,語彙が多いということ以外にエスキモーが雪に注意する理由を思いつかないのだろうか?」というものだ.もちろん,エスキモーは雪の多いところで生活しているので雪に関する語彙が多くなるという因果関係の方が遙かにありそうだという意味だ.


このあとピンカーは言語決定主義者の10の主張を当たり前のものから興味深いものまで丁寧に見ていく.


1.私たちは読んだり,聞いたりして知識を得ているから,言語は考えに影響を与えている.


これは当たり前だ.ピンカーはカエサルガリアを征服したことなどを言語以外から得ることは不可能だろう.しかしそれは言語が何かを言い換えているにすぎないと切って捨てている.


2.文章は事件に枠組みを与えることができる.そして人々のその構成の仕方に影響を与える.


有名なトヴェルスキーとカーネマンのフレーミングの例が引かれている.ピンカーは,確かにフレームによって人は影響を受ける.しかしそれは言語がコミュニケーションの手段であれば当たり前だとこれも切って捨てている.なおフレーミングについては第5章でまた考察するそうだ.


3.言語の語彙はその話者が考えてきたことの反映である.


これこそがエスキモーの雪の語彙についての問題だ.ウォーフ側の解釈は因果と相関の取り違えの古典的な例だとしている.そしてスキーヤーが次々と雪の新語を造っていることを紹介している.(wet snow, sticky snow, hardpack, powder, dusting, flurries)

ピンカーは続けて逆方向には一切動きがないのかと問いかけ,それはあるかもしれないと認める.言語的に好奇心のある人が,新しい言葉を聞いてそれに興味を持って勉強することはあるだろう.しかしこの例でも結局は人の関心と知識と推理がプロセスを進めるのだという.鳥の名前をたくさん聞いたからと言って,バードウォッチャーでなければ左から右に流れていくだけだというくだりはわかりやすい.


ここからはよくわからない主張が登場する.


4.言語は意味を喚起し,意味は別の方法(観察,推理など)で来た考えと連続的だ.ここで「言語」について意味に関連した緩い使い方をするなら,言語は思考に影響を与えている,つまり定義により言語は思考になる.


私にはこの主張の意味がよくわからない.ピンカーによると,これはまったくつまらない主張で,「言語」の定義をいじっているだけだということだ.


5.人が何かを考えるときに,その他のことに加えてその名前を考えることができる.すると特に正しい答えがない実生活に関係のないぼやけた質問をされれば,その名前についてだけの反応をすることができる.例えば緑と青とその中間色のチップを2つに分類せよと言われたら,色の名前にしたがって分けるだろう.


これも私にはよくわからない主張だ.ほかに手がかりがなければ誰だってそうするだろう.だからどうしたというのだろう.ピンカーによるとこれは最もよく使われるウォーフ仮説の実験だそうだ.
ピンカーは当然にも,しかしこれはちゃんと推理で正しい答えが出せる問題,あるいは言葉で何かを決めることができないような問題については何も語っていないと反論している.



第3章 50,000の生得的概念(そしてその他の言語と思考に関するラディカルな理論)


(3)言語決定主義


1/30追記
optical_frogさんにご指摘をいただき,一部表記を訂正いたしました.ありがとうございます.