読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その10

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature



ピンカーの考え,概念意味論(conceptual semantics)への極端な対立仮説3,言語決定論の続き.
ここからはちょっとまともに考えた方がよい論点を含んだ主張になる.



6.どんな計算システムも計算の途中結果を保存する方法が必要だ.コンピューターはRAM(あるいはHDD)に情報をため込む.頭の中で行うときに,心理学者はこれをワーキングメモリーと呼ぶ.
もっとも印象的なワーキングメモリーはメンタルイメージと心の中の1人語りの一部だ.(視空間スケッチパッド,音韻ループと呼ばれる)言語が音と発音という物理面を持っていることは,脳の中でいったん情報を音声とモーター管理部分に渡せるため抽象的思考部分を空けることができ,ワーキングメモリーとして役に立つ.
また複雑な概念に名前を付ければそれを扱うときに楽に考えられるようになる.それはより長期メモリーに入れられるのだ.


これは確かに面白い主張だが,言語決定論とはかなり離れた主張のように思われる.ピンカーもそういっている.
ピンカーの最初の反論は,語彙は話者の在庫として閉じているわけではなく,拡大し続けているという点だ.要するにワーキングメモリとしての使われ方は言語の中の単語の使われ方のごく一部に過ぎないということだろう.


次に計算をする際にもし53+68が120と150のどちらに近いかという問題ならメンタル数直線を使い,正確にその数が121か127かと聞かれたら母語によるワーキングメモリーを使うという現象を取り上げる.これも言語決定論の論拠として主張されることみたいだ.ピンカーはこれも一種の計算術のトリックとして言語リソースを使っているだけだと主張している.


要するに両方とも,記憶のトリックの1つとして音韻ループを使っているだけで,思考のごく一部を言語のごく一部をつかっているだけだということだ.ピンカーは続けてほとんどの脳の計算,そして思考は無意識下で行われていることを指摘している.



7.すべての言語は文を作ったり解釈するときにいくつかの特徴に注目するように話者に強いている.
英語では時制に注意しなければならない.トルコ語では事件について自分自身で見たのか誰かから聞いたのかに注意しなければならない.


このほかにも英語ではinとonの区別と韓国語での中身と容れ物のフィット感の区別の差,動きを表す動詞における方向と態様の表し方を巡る英語とスペイン語の差なども例として紹介されている.


このような言語の差が,話者の思考を制限しているという主張がここで問題にされている.これも私には言語決定論からは随分離れた主張のように思われる.
とりあえずピンカーはまともに取り上げて,何かに注意することを一生続けることにより,「考えるための思考」(単に表現するだけではなく,事件や物事について推論するときに)に影響を与えるかのだろうか,英語話者は別言語話者に比べて,自分で見たか,誰かから聞いたかの区別がつけにくくなるのだろうか?と問いかけている.


ウォーフ説支持者はこれについていろいろな実験をしているようだ.
英語話者と韓国語話者が,ものをカテゴリー分けするときに,容れ物と中身のフィット感をどれだけ区別するかを比較したりするらしい.結果は出ても弱いものというのがピンカーの評価だ.


そして,言語の制限がどうなっているかより,実生活でどう影響するかの方が,遙かに重要なので,そのような差はでないか出たとしても弱いのは当然だと主張している.


日本語には仮定法がないので,「もし○○なら」というときに,それについてどういう仮定なのかについて曖昧なまましゃべれるという利点とはっきり区別できないという不便さと両方あるし,ある意味仮定について鈍感である場合が増えるだろう.しかしそれが重要な場合には心の中で仮定の性質をきちんと把握することには何ら問題がない.ピンカーの主張はおそらくそういうことだろうと思う.


ピンカーは続けて英語が時制にセンシティブだとしても,話者の思考がそうなっていないことを示す例として,裁判での被告の証言が墓穴を掘った例を紹介している.自分の子供は誘拐されたと言い張っていた女は"My children wanted me. They needed me. I can't help them." と過去形でしゃべることで,子供が死んでいることを知っていることをほのめかしてしまったのだという.
お間抜けとしか言いようがないが,日本語話者でも同様の失敗を犯すだろうか.ちょっと考えにくいが,興奮していればやるのかもしれない.


第3章 50,000の生得的概念(そしてその他の言語と思考に関するラディカルな理論)


(3)言語決定主義