読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その6

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


人の心がどのように空間を認識しているか.


ピンカーの説明を簡単に言うと,一つ一つのものがそれぞれの次元構造と形を持ち,それが軸上に並んでいるという言うのが基本的な空間認知と言うことになる.
形は軸に刺した塊のような略図に認知的にメルトダウンしていくという説は,もともとコンピューター神経科学者のデヴィッド・マーからきている.人は風船で作ったものも動物の形だと認知してしまう.マーは実際に私達は心の中で軸上の塊の連なりとして形を認知していると提唱している.


ピンカーによるとこのような認知が論理にも現れるという.人は画鋲の詰まった箱とろうそくを与えられて,壁にろうそくを固定してくださいと言われると,箱を空にしてろうそく立てにすることを思いつけない.箱は何かを詰める3次元物体で,ろうそくを立てる棚とのしての2次元物体ではないからだ.


さらにピンカーはこのような認知はユニバーサルであって,略図モデルは英語だけでなく他の言語の空間に関する語彙を決めている幾何学だと主張している.
前置詞や後置詞はあるものと別のものの相対的な位置関係を表す.そしてそうすることにより指し示しているもの,レファレンスのものの形を表している.
英語で言うと,たとえば in, on, near, at は指し示している物体の形については言及が無く,0次元として扱っている.そしてレファレンスのものはある前置詞に対してある形を持っていなければならない.in に対しては2次元か3次元の窪みが必要だ.along に対しては1次元の線が必要だ.虫は along a pencil とは動けても along a CD とは動けない.through に対しては2次元の穴か,何かの集合体が必要だ.inside に対しては何らかの囲い(通常3次元)が必要だ.実際の空間の関する言葉は,線上の連続串刺し形状モデルと,空間語彙の次元限定性の上に成り立っている.例えば,湖は2次元として認識されるので,swim inside the lake とは(幾何学的にはあっていても)言えない.water, ground も2次元認識なので,underwater, underground というときに単に囲まれているだけでよいということになってしまう.
次元性の制限はそれを修飾する語句にもかかる.A big CD は大きな直径を持っていなければならない,厚みがあっても駄目だ.A big lake は深さには関係なく,表面積が大きいことを意味する.


このあたりは日本語ではどうなのだろうか.いわゆる「てにをは」の世界だが,空間の並びに関しては,の上に,の中に,のそばに,にそって,あたりが問題になるのだろう.「Aの中のB」と言うときにAには窪みが必要でBはゼロ次元だと言われればそのような気もするが,もう少し曖昧な気もする.なにかの中を通るためには穴か集合体でなければならないのは英語と同じが,ちょうどthroughにあたるような便利な言葉はないようだ.もっとも確かに虫はCDに沿っては動けない.
湖,水,は日本語では必ずしも2次元ではないようで,湖の中を泳いでもかまわないようだ.日本語では地面,水面となって初めて2次元みたいだが,「地」は微妙で,地中探検という場合には3次元だが,地下鉄となると2次元的だ.もしかしたらundergroundの直訳からきたのだろうか.


レファレンスのものがいくつかの線やシートや塊になれば,それを串刺ししなければならない.そしてそれをレファレンスとして示すには人体の比喩がよく使われる.英語は表面を表す一般用語として back, face, head を用いる.さらにより生き生きとした用法としてeye (台風の目,針の穴), nose (飛行機の先頭部),foot (山すそ,テーブルの脚),mouth (河口)がある.このあたりは日本語でもほぼ同じような用法があって興味深い.


もちろん身体メタファーだけではない.様々な言語は,そして同じ言語内でも様々なレファレンスフレームをとる.
重力フレーム above,地球フレーム 東西南北,もの中心フレーム 左右,自分フレーム 手前 後ろ


フレームの多様さは私達の視覚の器用さからきている.そしてピンカーは私達の空間の言語がとても曖昧なのは,レファレンスのものがどのような軸を持つかについて自由度が大きいためだと説明している.同じ場所がフレームによって上になったり下になったりできるというわけだ.結局話し手と聞き手が同じフレームを共有していないと正確に理解されないことになる.そして例としてin front of が様々な状況を指し示しうることを示している.
ピンカーによるとこれは正確性と学習しやすさ,語彙の数のトレードオフであって,言語によく見られる妥協的性質の一つと言うことになる.また不連続点があるときにはそれは有用性の観点から設定されることが多いとして,庇のそばか下かは雨に濡れるかどうかで決まるという例や,氷の上(fall on)で滑ったのか,氷を突き抜けて(fall through)水中に落ちたのかの区別を示している.


そして実際に人がどの前置詞を使うかを調べたリサーチでは,純粋の物理的な位置よりも,その「もの」が何ができるのかという有用性の観点で使い分けているという結果が出ているそうだ.例えば電灯とソケットでは,それが点灯できる場合に in をつかうということらしい.日本語ではどうだろうか,直感的には英語より物理的な位置重視のような気もするがどうだろう.


最後にピンカーによる空間認識のまとめがある.

言語の空間概念は,カントにより経験のマトリックスとされたユークリッド的な連続したものとは異なるのだ.それはデジタルなシンボルにより構成され,「もの」を棒やシートや塊に分類し,軸上に並べて構造を作る.そしてそのシンボルは単に空間にあるのではなく,容器や留め具の使用,さらに道具の目的に反応するのだ.
空間概念というのは,基底には視覚や想像のハードワイヤードされた脳があり,その上に学習された幾何学の知識が乗っているのだ.

第4章 大気を切り裂く


(2)インチを争うゲーム:空間についての思考