「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」


恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた

恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた



本書は「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」という邦題がついているが,恐竜本ではない.さらに「なぜ」鳥に進化したかについての本でもない.邦題のつけ方や装丁は,書店の恐竜本の棚に入って売れてくれと言わんばかりのちょっとあざとい印象だ.
原書の題は「Out of Thin Air」.「薄い大気の中から(現れしもの)」ぐらいの感じだろうか.本書は,古生物学で体制(ボディプラン)の進化や系統間での栄枯盛衰の説明として,これまでは主に捕食,被捕食の効率から説かれていたものを(例えば偶蹄目は奇蹄目よりセルロース消化の効率を上げたために繁栄したとか,カンブリア紀の大爆発は眼の進化と捕食被捕食の爆発的なアームレースの開始によるものだとか(光スイッチ説)の説明様式)まったく新しい観点,酸素呼吸の効率から説明しようという野心的な本である.(もっとも原書も副題は「Dinosaurs, Birds, and Earth's Ancient Atmosphere」だから邦題ほどあからさまではなくとも「恐竜」というキーワードを強調している点では同じだが)


さて本書はまず,カンブリア爆発の解釈や現在の生物が現在の体制を持っている理由についてグールドによる偶然を強調する考え方とサイモン・コンウェイ・モリスの適応と収斂を強調する考え方を対比し,後者に親和的な説明を行うと宣言する.
そして前振りとして,呼吸の意味,肺と鰓の区別,哺乳類より鳥類の方が呼吸効率がよいことなどを説明する.そして最新のデータから得られた5億5千万年前からの大気中の酸素濃度,二酸化炭素濃度の推定値をグラフ化して示している.このグラフはなかなかの驚きだ.なんと酸素濃度はカンブリア紀以降驚くほど変化していて最高で35%,最低で11%の幅で変動しているのだ.これなら当然生物は,この環境から大きな淘汰圧を受け,これに対して適応するだろう.
本書を貫く著者の主張は,「生物の体制の進化の最大の要因は呼吸に関する適応だ.低酸素環境下では呼吸効率の良さにかかる多くの新しいデザインが現れる.高酸素環境下では多様性が高まる.大量絶滅は酸素濃度が急激に低下したときに観察される」というものだ.そして低酸素下で進化した代表例が鳥,高酸素下で進化した代表例が哺乳類ということになる.


ここからは地質年代ごとにいろいろな議論が行われる.
まずは最初の「動物」が現れる5億4千万年前あたりから始まるカンブリア紀(これまで10億年前という考え方もあったがほぼ決着がついたそうだ).5億2千万年前は低酸素下だが,観察される動物の90%は節足動物だ.節足動物の特徴である体節化は効率的な酸素呼吸のための適応であることが詳しく解説される.その他の海綿動物,棘皮動物,脊索動物,軟体動物の呼吸適応もそれぞれ解説される.
次のオルドビス紀も低酸素環境という点では同じだ.ここでは大型化と石灰化が特徴で,オウムガイが解説される.


シルル紀デボン紀は高酸素環境になる.ここでは陸上への進出が考察される.陸上への進出は,呼吸効率と乾燥耐性がトレードオフになり,そして高酸素環境だから実現できたというのが本書の主張だ.またシルル・デボン紀に陸上進出できたのはクモやサソリなど一部グループのみで,いったん直後の酸素低下により陸上進出は途絶え,その後史上最高酸素濃度に達する石炭・ペルム紀脊椎動物をはじめ多くの動物群が陸上進出したのだという.
石炭紀に史上最高酸素濃度に達するのは超大陸と植物の埋没(これが石炭になる)によるもので,動物は巨大化する.ここでは脊椎動物の系統間での呼吸適応の差が説明される.原始両生類・爬虫類は体幹運動中には呼吸できない.これを解決したのが,直立した双弓類と単弓類だ.そして単弓類は高酸素下にもっとも適応し巨大化する.


ペルム紀最後の大絶滅については直接の原因はなお謎としながら,その酸素濃度の急低下が特徴だとする.(著者は絶滅の大きな要因として硫化水素の影響もあったとしている)
そして中生代は低酸素環境なのだ.ここで内温性について詳しく考察される.内温性は高いレベルの持続的運動ができる有酸素運動の適応として説明されることが多いが,著者によるとこれは低酸素環境への適応なのだ.濃度が下がっていく酸素を効率よく取り込むために4室心臓,身体の表面の断熱などとともに進化したというのだ.代謝コストを払っても酸素呼吸の効率を保った方が有利だったという説明だ.ここで恐竜の内温性を巡る論争が概観される.最近の説として主竜類はいったん内温性を進化させ,後にワニや巨大化したものが内温性を失っていったという仮説が紹介され,いろいろな化石の証拠と符合しているとコメントがある.


中生代には低酸素環境・高温への適応としていろいろな進化が生じる.二枚貝アンモナイト,獣弓類,恐竜の呼吸適応が説明される.ここで肺のデザインについて肺胞式と隔壁式の2つのデザインがあり,哺乳類は前者,恐竜類は後者であること,鳥は後者から進化した気嚢システムにより対交流を利用した効率の高い肺を持っていることが紹介される.そして恐竜には気嚢があったのかという激しい論争が概観される.著者によるとこの論争はバッカー,ポールの勝ちで少なくとも竜盤目の恐竜に気嚢があったのは間違いないだろうという.
また恐竜は最初に進化してから適応放散が遅いことにも特徴がある.この放散パターンも三畳紀に低かった酸素濃度に強く影響されているだろう,特に鳥盤目は摂食効率は高いが気嚢を持たなかった可能性があり,だから酸素濃度が上がる白亜紀にはいるまで優勢にならなかったのだろうと説明している.
恐竜の卵の表面が皮状なものから石灰化するのも酸素濃度上昇への適応で独立に何度も進化している.これに関連して卵胎生も低酸素濃度で有利だっただろうと議論されている.
鳥の進化についてはごく簡単に触れられている.酸素濃度からみて最初の始祖鳥はまだ飛べなかったのではないかとコメントがある.


中生代の海では低酸素への適応として,様々な現象が生じた.二枚貝の単一床,アンモナイトカニ(ボディデザインの呼吸適応),石灰化プランクトン(チョークのもの)などの呼吸適応が紹介される.


新生代では哺乳類の放散パターンが,恐竜絶滅時と酸素上昇時の2度のピークを持つことが説明され,有胎盤類の妊娠には高酸素が必要であり,2度目のピークは高酸素環境への適応であることが示される.
最後に未来の展望があり,今後も大陸移動のパターン等に沿って酸素濃度は変動していくことが予想されて本書は終わっている.


生物のボディプランに呼吸が与えた影響の大きさについてはこれまであまり考えたことはなかったが,本書はそれについて目を開かせてくれる啓発的な書物である.鰓と肺がどう違うのか,いろいろなボディプランは呼吸からみるとどう見えてくるのかなど,新しい視点を読む人に与えてくれる.

もっとも本書の論旨はかなり強引なところもある.
確かに11%から35%に渡る酸素濃度の変動は大きな条件の変化だが,何千万年の間に少しづつ動くだけであり,捕食・被捕食のようなアームレース的な要素はない.急激な淘汰圧としてはやはりアームレース的なものの方が大きいような気もする.
また呼吸の淘汰圧による説明と,摂食効率,捕食被捕食関係にかかる淘汰圧の説明とが,すべてにおいてどちらかという排他的な説明になるわけでもないだろう.いろいろな適応現象を個別に淘汰圧を考えていくのが正攻法だろう.ともあれ,生物進化の大きなパターンについていろいろ楽しんで考えながら読むことができる本だ.



関連書籍


原書

Out of Thin Air: Dinosaurs, Birds, And Earth's Ancient Atmosphere

Out of Thin Air: Dinosaurs, Birds, And Earth's Ancient Atmosphere




1993年に出版された「メトセラの軌跡」の新装改題盤
同じ著者が化石や大量絶滅についてエッセー風に語っている.まだ酸素濃度仮説にはたどり着いていなくて,腕足類と二枚貝の盛衰を対捕食者戦略から解説している.オウムガイとアンモナイトについても基本の説明は同様だ.

生きた化石と大量絶滅―メトセラの軌跡

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その原書はこれ,もとのハードカバーは1992年出版だ.

On Methuselah's Trail: Living Fossils and the Great Extinctions

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