読書中 「The Stuff of Thought」 第5章 その10

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


メタファーは感覚が共有されているものや,抽象的なアイデアの骨格が似ていることで結びつき,古いアイデアを新しい領域で使うことを助けるのだというのがピンカーの考えだ.


これに対して恐らく認知心理学者は反対するだろうとピンカーは言っている.人々は表面的な類似にだけ気を奪われて骨格には気がつかないと予想するだろうと.


ピンカーはその実例を詳しく説明している.
有名なハノイの塔の問題と論理的には同じお茶会の席次を巡る問題がある.
しかし実際にはヒトにとってお茶会問題はハノイの塔問題より難しい.人々は本質的に同じ問題に対して別の難易度を感じる.そして直接手で操作できなければ,別の類似問題に応用することは難しいのだ.


別の例はゲシュタルト心理学者のカール・ダンカーに示唆されたものだ.
あなたは患者の治癒不可能な胃の腫瘍を破壊しようとしている医師だ.放射線の細い強いビームを当てて腫瘍を破壊できるが,それは健康な組織も傷つけてしまう.どうすればよいか.このパズルには10人のうち1人しか正解にたどりつけない.(弱いビームを何本もいろいろな方向から当てて腫瘍のみ集中するようにする)
何十年もたって,認知心理学者のマリー・ギックとキース・ホリョークはこの解決法がアナロジーによるのかどうかに興味を持った.被験者にまずヒントを与えてからこの問題を解かせてみたのだ.
ヒント:小さい国を独裁者が要塞から支配している.解放軍の将軍は,手持ちの戦力で要塞を攻略できることは知っている.しかし要塞に至る道には地雷があって少しの兵士しか通れない.将軍は兵力を分けていろいろな別の道から要塞に集合させた.
しかし35%しか腫瘍問題には正解できなかった.3倍以上にはなったがまだ少数派だ.


要するにヒトは単に背後にある構造だけではまれにしかアナロジーによって閃かないのだ.
多くの人が閃くには表面上も似ていなければならない.(例えば脳腫瘍問題を教えてから胃の腫瘍問題を解くなど)そしてそこまで似ていればもはやアナロジーとは呼ばないだろう.バーガーキング注文できれば,マクドナルドで注文するのにアナロジーは不要だ.


このようにうまくいかない理由の1つの要因は慣れだ.人は慣れた問題は,アナロジーにより,より早く理解できる.
また実験によると,実生活でアナロジーを見つけるよりお話の中に埋め込まれたアナロジーは見つけにくいことが示されている.


で,ピンカーは結局何が言いたいのか?ピンカーの結論はこういうことのようだ.

メタファーは言語においてきわめて力強いが,多くのものは今日の話し手の心の中では実質的に死んでいる.そして生きているメタファーも,たとえているものとたとえられているものの類似性と異質性を捕まえる抽象的な概念構造で構築されていなければ,教えられることも理解することも使うこともできない.
そして,こういうわけで,概念メタファーは真実と客観性を廃れさせたわけでも,哲学的法的政治的な論説をライバルフレーム間の美的コンテストにしたわけでもない.


それでもメタファーは思考と言語を説明する鍵だ.人の心は,表面の後ろにある抽象的な構造を貫く能力を持っている.いつでもできるわけではないし,常に正しいわけでもないが.それでも人の状態を形作るには十分な洞察力を持っている.私達のアナロジーの力は古い神経構造を新しい主題に適合させることができる.自然における隠れた法則やシステムを発見したり,少なくとも言語そのものをより表現力高くすることができるのだ.


言語はそのデザインにより,よく定義された,限定的な機能を持つ道具だ.
しかし世界をデジタル化することにより,言語はロスのある手段になっている.経験のスムーズな複数次元のテクスチャーを伝えることができない.言語は,香りや音の繊細さを伝えるには不便な道具だ.そしてはっきり区分された集合的な物事以外の知覚を伝えることも難しいだろう.全体的な洞察のひらめき(例えば数学や音楽の創造性),感情の波,瞑想の瞬間などは,私達が「文」と呼ぶビーズのつながりによって捉えることはできない経験なのだ.


しかしメタファーは,私達が言いようもないことを言う方法を与えてくれる.おそらく,言語経験の中でもっとも楽しいのは,熟練した書き手のメタファーの力にひれ伏し,別の人の意識に入っていけるときだろう.それは数学的天才の経験がどんなものかまで伝えてくれる.同じところを何度も回る,そのうちに明確に単純になってくる,そのときは次々につながっていく.


最後にピンカーは見事なメタファーの例をいくつか示して本章を終えている.


要するに私達の思考はもちろんすべてメタファーではないし,すべてのメタファーがいま生きているわけでもない.しかし言語には伝えきれないものがあり,特に感覚や抽象的な構造などはメタファーを使うことが非常に有益だということだろう.本章の感想としては,長々と解説してきた結果としては結論は中庸的で常識的なものだが,まあ真実とはこういうことかもしれない.



第5章 メタファーのメタファー


(6)メタファーと心