「Natural Selections」

Natural Selections: Selfish Altruists, Honest Liars, and Other Realities of Evolution

Natural Selections: Selfish Altruists, Honest Liars, and Other Realities of Evolution



本書は行動生態学者デヴィッド・バラシュによる進化生物学にかかるエッセイ集のような書物だ.一つ一つの章は独立しているようで関連しつつ,進化生物学の解説であったり,ちょっとひねった視点からのエッセーだったりする.全体を通してのメッセージは,「進化生物学,特に遺伝子中心のものの見方を忌避したいという意見に理由がないわけではないが,人類はそれに向き合うべきだ.ヒトには本性があり,それにはいろいろな難しい問題もあるが,それを避けることはできない.進化生物学はそれを解決できるわけではないが,ジレンマがどうして生じるかを説明できるし,教育と自由意思で遺伝子を出し抜くことは可能なのだ.」というところだ.


本書の構成としては,まず最初に進化を否定する人間中心主義が環境破壊を助長してきたことを見る.そして進化を解説しつつ,現在アメリカに噴出している反教養主義の「進化」への誤解を眺め,この背後に進化が人間の尊厳を脅かすという誤解があるのだと指摘する.
そして何故このような誤解が生じるかの原因について,ヒトの認知傾向にある二分法,意識や知性を分析することの難しさ,論理より感情を大事だと考える傾向,自然主義的誤謬などを考えていく.


このあたりで面白いのは行動主義のスキナーへ捧げるオマージュと実存主義へのコメントだ.
バラシュによると,スキナーは科学的であろうとし,ヒトの行動も客観的にみようとした.その背景には深い考えがある.スキナーは原因のない行為こそその人に帰責できると考えた.それは「自由意思」の問題と深く結びついている.そもそもヒトに自由意思があると感じているなら,進化生物学や神経科学が何を発見してもその感覚は変わらないはずだ.むしろメカニズムを知ればより自由になれるだろう.心が物質であるからといって何も困ることはない.要するにスキナーは主観や意識を否定したのではなく,遠い将来までそれは解明できないからそれを科学では扱わないようにしようとしたのだという.
また実存主義については,「意思は何をしたかの実存で決まる.我々は自分で自分を選択できる.つまり人は自由であり意味を見つけることができるという主張」であると要約し,やはり進化生物学が何を発見しようと,ヒトは自由意思を持ち,遺伝子の影響を出し抜くことができるという考えと親和的だと解説している.この考え方は本書を貫くバラシュのバックボーンになっている.


利他性の進化生物学的な理解の進展を解説しながら,進化を教えることが嫌われることの理由について,ハミルトン,ドーキンスの遺伝子中心視点による解釈は非常にシニカルに受け取られ,また人間が自分が望むほどには利他的でないという事実から目を背けたいという気持ちがあるからだと解説している.しかし自由意思で自らを選択できるのであれば,進化生物学を避けるべきではないと説く.


後半は人類社会にあるジレンマの様々を見ながら,進化生物学がそれを説明できること,解決について進化生物学はある程度のガイドは果たせるが,最後は人間が自由意思で選択すべきものであることが主張されている.ジレンマについては利己と利他,個人と社会,暴力,嘘などが取り上げられている.面白いところとしては,ヒトが悪であるとけなしたい思想的傾向があるが,実際にはヒトは社会性昆虫と比べてそれほどではないという話題(同種個体殺し,戦争についてはアリこそがそのチャンピオンだ)や,環境問題は東西どちらの陣営も失敗しているので国際会議では西側は規制を唱え,東側は所有権による解決を好むという現象が出てくるというような話題だろう.


そして進化生物学がガイドできる点としては,ヒトの本性をあまりに不自然に抑圧する社会(愛のない繁殖,家族の否定,芸術の抑圧など)は最悪の社会になるだろうということをあげている.
最後にこのようなジレンマは文化現象が早く進みすぎてヒトの生物学的な本性が追いついていないことにより大きな問題になることを取り上げて,(大量破壊兵器:遠距離殺人に心理的抵抗がないこと,放射能に危険を感じないこと,百万人という単位を把握できないことから心理メカミズムとしての抑止が難しくなっている,環境破壊や肥満等による健康被害も同様)これは生物学では解決できないが,自由意思と教育で選択していくことはできるのだと主張して結んでいる.


進化の啓蒙書としてはトピックに統一がないし,全体として一貫しているわけでもない.しかし全体を通じてバラシュが進化生物学を実践してきて思い悩んだあとがよく出ていて深みを感じさせる本になっている.最終結論の「自由意思で選択できる」というのは少しナイーブに楽観的なような気もするが,本としては希望も込めてこう書かざるを得ないのだろう.本書は結論でなく,そこに至るバラシュの逡巡振りが読み所ということになろうか.