読書中 「The Stuff of Thought」 第6章 その8

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


新語を巡る音と意味についてみたあとにピンカーはスティーブの話に戻る.スティーブの栄枯盛衰は何を教えてくれるのだろう.確かに子供の名前と普通の新語とは少し違う.人の名前にはギャップはない.ニックネームをつけることはあっても他人の両親のつけた名前を拒否することもない.そしてほとんどの場合親ははすでにある名前のどれかから選んでくる.とは言っても最もよくある現象でデータもそろっているので,それは単語がどう広がるかについての情報の鉱脈だ.


ここからピンカーはアメリカで見られる名前の流行現象について説明を始める.「ヤバい経済学」よりもう少し古い時代からという感じだ.
ある名前をいわれれば,ほとんどの人は彼女がいくつくらいか想像できる.エドナ,エセル,バーサはシニアだ.スーザン,ナンシー,デボラは中年のベビーブーマーだ.ジェニファー,アマンダ,ヘザーは30代で,イザベラとマディスンとオリビアは赤ちゃんだ.女性の名前は男性の名前より回転が速い.
ロバート,デイヴィッド,マイケル,ウィリアム,ジョン,ジェームズはいつもある名前だ.それでもイーサン,クラレンス,ジェイソン,スティーブなどには流行がある.名前の流行サイクルは一定不変ではない.多くの西洋諸国には聖人の名前をつける風習があるが,それも男の子の方が多い.でもいつも変化があり,20世紀には変化率が上昇した.


日本ではどうか,明治安田生命のランキング表を眺めてみよう.http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking/


男性では大正時代には正の字の使用が目立つ.正,正一,正二,正三,正雄,これに一郎,三郎,義雄,秀雄などが多い.そして一文字の清,茂,実が少しづつ増えてくる.これが当時の新鮮な名前だったのだろう.大正後期から昭和の初めは一文字の名前が圧倒的に多い.清,茂,実,勇,弘,博,昭,進,隆,稔たちだ.戦時中には当然,勝,勲,武などが増えてくる.この一文字名の傾向は昭和30年代ぐらいまで変わらない.使われる文字は少しづつ変化して誠,修,功,明,徹,豊,浩などに変わっていく.
もっともこのランキングは漢字が変われば別の名前として集計しているので,2文字の名前より1文字の名前が上位に入りやすいというバイアスがあるだろう,そのためこの時代の実際の男性の名前の多くが1文字であったわけではないだろう.実感としては女性に子の付く名前が多かった時代には男性には「お」の付く名前が比較的多いのではないだろうか.
しかしそのようなバイアスの中でも昭和30年代後半から浩一,浩二,和彦,達也,哲也,直樹,秀樹のような名前が見え始める.個別では大輔,大介が50年頃からすごく人気が高くなる.一文字の名前は少しづつ減っていき50年代の後半からはランキング上も少数派になる.昭和60年頃から平成一桁までは「大輔」が切り開いた感覚の男子名が主流になる.翔太,拓也,健太,裕太,翔平,大樹たちの時代だ.
平成10年以降は現在流行の凝った名前の時代だ.翔,大翔,海斗,優斗,陸,蓮,翼,拓海.今後の注目は,さらっと自然な感覚の,空,太陽などの名前だろうか.



女性の名前は,大正のはじめはキヨ,ハル,フミ,ヨシ,きよ,はる,などのカタカナ,ひらがな2文字の名前が目立つ.ここに正子,静子なども見える.当時としては新しい華やかな名前だったのだろう.これが大正の10年頃になると久子,和子,貞子,清子,君子などの漢字2文字,子の付く名前が圧倒的になる.この傾向は昭和30年代まであまり変わらない.ただ頭の一文字には世相が見えて,昭和初期には昭子,和子,幸子などがみえ,戦時中には和子,陽子,に混じって勝子も見える.戦後は恵子,京子,智子,が増え始める.なお3文字の千代子,美代子,美智子という名前は戦前から常にあるようだ.昭和30年代になると,明美,真由美,由美などの子の付かない名前が現れ始める.これは当時新鮮な名前の響きがあったのだろう.40年代には子の付く名前と美の付く名前が拮抗する.由美子,直美,真由美,久美子などの時代だ.40年代後半から子も美も付かない名前が現れ始める.智子,陽子,裕子,それに真由美,理恵などの名前と,美香,香織,恵,美穂などの名前が形勢を3分する.50年代後半から一文字の名前に勢いが出てくる.恵,愛,彩,などだ,麻美,真美,麻衣,などがあらわれて子の付く名前が少なくなってくる.
平成にはいると漢字一文字の名前がさらに増えてくる.愛,舞,萌,遥,彩,茜,瞳たちだ.さらに新しい感覚の名前も見え始める.美咲,佳奈,菜摘,明日香などだ.
そして平成10年頃から急速に一文字の名前がへり,現在の流行の凝った名前が増える.優花,未来,七海,美月,結衣,琴音,陽菜,美優.注目すべきはひらがなの,さくら,ひなた,などの名前だろうか.


こう見てくると日本でも新鮮な感覚の名前が流行を作っていることがわかる.名前を聞けばある程度年齢が推測できるという事情も同じだ.


アメリカでも日本でも多くの親たちが独立に同じような名前をつけるのはなぜなのだろう.
通常の流行の原因として持ち出される(商業主義的な)外部影響という理由はすぐ排除できる.ピンカーは,社会学者スタンリー・リーバーソンが娘にレベッカという名前をつけたが,多くの親が同じ名前をつけていると知り仰天した時のコメントを引用している.
「どこにも国立レベッカ協会によるキャンペーンはなかった.ペプシとコークのような競争が名前間にあったわけでもない.ウォルマートやニーマンマーカスによって赤ちゃんのファッションセットの一つとしてプロモートされたわけでもない.そしてレベッカと名付けたからもらえるリベートもなかった」


ではよくいわれるその名前のヒーロー,俳優,主人公などに影響されたのではという説明はどうだろうか.ピンカーはこれも違うと言っている.いわれる例をよく観察するとその名前はそのようなヒーローや俳優に先立って人気が上昇しているという.だから因果関係ではなく,同じ現象を原因とする相関だという説明だ.
上記のリーバーソンは名前の盛衰と有名人の登場退場を比較してみた.結果は,ほとんどの場合,セレブの登場に先立って名前が増えているのだった.リーバーソンはこれを「カーブに乗る」と表現している.


ヒラリー・クリントンはエヴェレスト登頂者の名前をつけられたとよくいわれるが,彼女の生まれは1947年,ヒラリー卿が登頂したのは1957年だ.
マリリンは1950年代による見られる名前で,ほとんどの人はマリリン・モンローの影響だと思うだろう.しかしマリリンは1946年にノーマ・ジーン・ベイカーがマリリンと芸名をつけるより前に,もうすでに人気のある名前だったのだ.実際にはマリリン・モンローが有名になると,マリリンという名前の人気は少し下がったのだ.両親はマリリンのセクシーなイメージを嫌ったのだろうか? これも違う.マリリンの名前がピークを打ったのは1930年代で,名前はすでに下降線だった.


もちろん実際に何かの有名な名前が影響を与えることはある.ピンカーが例外としてあげているのは「奥様は魔女」「スプラッシュ」に出てくる名前だ.
ダーリン Darren という名前は「奥様は魔女」で主人公の夫の名前として紹介される1960年代まで,英国にはない名前だった.そしてマディスンMadison という名は1984年にダリル・ハンナが映画「スプラッシュ」で人魚に扮して海から上がってきてニューヨークのマディスン通りのサインを指さしてそう名乗るまで,女の子の名前ですらなかった.


マディスンはそういうことだったのか.「ヤバい経済学」ではこの名前はいったいどこから来たんだといぶかっていたような気がする.(チェックしてみると「マディソンって何それ?」だった)日本ではどうなのだろう.美智子という名前は戦前からある名前だが,ご成婚の直後にランクアップしているのは事実のようだ.松坂大輔の大輔という名前は荒木大輔から来ているという逸話は聞いたことがある.「翼」という名前と「キャプテン翼」はどうだろうか.漫画の連載は1981年,アニメ化は1983年だ.最初の人気のピークは1983年から1985年頃だと思われる.Jリーグ発足は1993年.翼の名がランキング入りするのは1993年からだ.Jリーグ人気もあわせるとそうなのかもしれない.



また逆の否定的な影響もある.
リーバーソンによると,1930年代にHerbert(フーヴァー大統領)は下がり,Franklin(ルーズベルト大統領) は上昇し,Adolf(ヒットラー)は消えた.理由はあまりにも明白だ.



第6章 名前には何があるのか


(4)プロジェクトスティーブ再訪