読書中 「The Stuff of Thought」 第6章 その9

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


子供の名前は流行は何を教えてくれるのだろう.親たちはどのような理由で同じ名前をつけるようになるのだろう.これは商業的な陰謀でも,特定のモデルに追随するのでもないらしいことを見てきた.


ピンカーは次の理由候補として大きな社会トレンドを検討している.そしてこれにも否定的だ.

ナショナリズムや宗教,ジェンダーロールなんかは?これも想像とは異なる.最近の10年では聖書の名前が復活している.ジェイコブ,ジョシュア,レイチェル,サラなどだ.これは宗教の上げ潮と関係があるのだろうか?しかしリーバーソンは宗教の動向と名前の動向は逆であることを示した.そして聖書の名前をつける親が特に宗教的でないことも示した.
フェミニズムは?これも両義的だ.花の名前に由来する女の子のいくつかの名前は(ローズ,ヴァイオレット,デイジー)は1970年代から下降気味だ.でもリリーやジャスミンは増えている.男性の名前から派生したような女の子の名前も同じだ.いくつかは減り(ロベルタ,ポーラ)いくつかは増えている(エリカ,ブリアナ,ミカエラ,そしてもちろんステファニー)

確かに日本でも後付のような文化現象の説明はよく聞くが,根拠は直感だけで検証なしという話しは多いような気がする.日本の名前でも社会現象で説明できそうなのは,戦時中の 勝,勲,勝子 などの名前ぐらいかもしれない.(もちろんこれも私の直感だけなので実は・・・ということかもしれないが)


ここからピンカーは文化の変化について詳しく解説を始める.

多くの人は文化変化について間違った理解をしている.彼等は文化は外からの要因によって予測可能な方向に変化すると考えている.要因とは政府や広告,有名人,経済,戦争,車,テクノロジーなどだ.そして文化変化には意味があると考えている.なぜ文化がそうなったかについては完璧な説明が可能だと.

誤解の例としてピンカーは男性が中折れ帽をかぶらなくなったことを取り上げる.人々が直感的に取り上げる説明にはいろいろあるが(ケネディの影響,車に乗る時間が増えた,若い世代の反発・・・),ちゃんと調べれば,帽子現象は1920年代から始まっている大きなフォーマリティの衰退現象(ドレス,身繕い,公式の態度,人に対する呼び方(ファーストネームの使用))の一部であり,この原因を特定するのは難しいという.


リーバーソンは文化の変化に対してどう説明すべきかについてもう一度考え直す必要があるといっている.「トレンド」というのは何百万人もの人が,別の人がどう判断しているかを考えながら,それぞれ独立して判断していることの集積だ.これは内部にダイナミックスがあることを意味する.


このダイナミクスの1つの例として,エリートの差別化と陳腐化現象を波として捉える議論が紹介される.ピンカーが引いているのは経済学者ソーステイン・ウェブレンと芸術批評家クエンティン・ベルによる説明だ.エリートは自分自身と他人の差別化を目に見える形で図りたい.しかしそのすぐにいる人たちはそれを真似し,コピーの波はどんどん下に降りていき大衆にまで達する.そこでエリートは別の差別化戦略を発動し,また同じことが繰り返される.そして流行の波が生じるというわけだ.

これは「ヤバい経済学」でレヴィットがいろいろな階層における名前の下方推移流行現象の説明として提示しているものだ.私が最初にこの手の説明を見かけたのは,バブルの頃の都会人が行きたい飲み屋がどんどん入り方がわかりにくく会員制になっていく現象の説明だった.


また別のダイナミクスとしては,正のフィードバックによる発散的なトレンドが何らかの限界にぶつかって逆にふれ,それを繰り返す振り子現象をあげている.
リーバーソンは,ファッションの利点はある方向に行き始めたときに,有効である限りその傾向が続くと指摘している.途中で引き返すことは負けにつながりやすいからだ.だから変形にはモーメントがある.しかしどこかでそれは実践的な限界を超える.(スカートはガーターベルトより短くはなれないし,6メートルになれるわけでもない)そしてエリートは傾向を逆転させざるを得なくなる.そして振り子的になるのだ.
リーバーソンは傾向逆転させるときには,流行遅れに見えないように,エリートは何らかの別の要素を付け加えるといっている.



第6章 名前には何があるのか


(4)プロジェクトスティーブ再訪