読書中 「The Stuff of Thought」 第7章 その8

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

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冒涜語のプラグマティックス(語用論)


英語におけるもっとも有名なののしり言葉は「Fuck you」だそうだ.ピンカーはこれを理解するにはセックスについてのタブーを良く理解する必要があるといっている.


そしてまず「ジョンがマリーを○○した.John verved Mary. 」という他動詞表現をセックスについて考えることから始めている.


このような文型にはfuck, screw, hump, ball, dick, bonk, bang, shag, pork, shtupなどの単語は,おどけた感じや失礼な感じあるいは攻撃的な感じを与えうまくフィットしないそうだ.通常の会話ではhave sex, make love, sleep together, go to bed, have relations, have intercourse, be intimate, mate, copulateなどが使われる.


この通常使われる表現はすべて自動詞であることが注目される.その多くは実質のない軽動詞have, make などを使ったイディオムだと解説されている.


なぜ単語の選択だけでなく文法の構造にまで影響があるのだろうか.ピンカーはこれは第2章で解説した動詞のマイクロクラスに関係があるという.

この礼儀正しいイディオムにはいくつもの文法的特徴がある.はっきりした動作を示す動詞のルートを欠いているので行動を特定することができない.直接目的語を欠いているので影響を与えられたり状態が変化するエンティティを特定できない.さらにそれらは意味論的に対称だ.つまりジョンがマリーとhave sexしたのなら,マリーがジョンとhave sexしたことになる.これらは共同の自発的な行動を意味しているのだ.これらは dance, talk, trade, work などと同じなのだ.まとめるとこれらの表現は,どのような行動か特定できず,関係する人が自発的に共同で行っている行動だということになる.


そして他動詞表現は目的語に何か影響を与えることを意味している.

fuck は第2章でみた5つの類型にはうまく当てはまらないが,動き・接触効果を持つマイクロクラスの動詞と似ている.
それは能動格(conative),所有者与格(possessor-raising),中間態(middle construction)の使い方ができる.しかし接触所格的(contact-locative)だったり,非使役変形(anti-causative)だったりはできない.

ピンカーはそれぞれの文型の分析をあげている.もっとも第2章の分析だと動き,接触効果のある動詞だと所有者与格はとれて中間態はできないはずなのだが,ピンカーは逆のようだと言っている.このあたりの細かい部分はなかなか難しい.
いずれにせよピンカーの分析ではFuckは動きと接触のある動詞ということになるようだ.


ここまで分析しておいて南ハノイ工科大学のQuang Fuc Dongが登場する.
最初はよくわからなかったのだが,ウィキペディアによるとこのQuang Fuc Dongなる人物はジェームズ・デービッド・マコーレーの筆名で,架空の大学「南ハノイ工科大学 (SHIT) 」のQuang Phuc Dongを名乗り、雑誌Languageで初めて風刺的な論文として認定された'English sentences without overt grammatical subject'を執筆したということらしい.なかなか味なことをする学者らしい.

Quang Fuc DongによるとFuckは主語に男性をとることが遙かに多い.彼はまた.二人の男性の間の性行為において,Boris fucked Lionel. という場合,Borisが上にいた場合にこれは文法的に正しく,二人の女性の間の性行為において,Cynthia fucked Gwendolyn. という場合,Cynthiaが張り型を使ったときに文法的に正しくなると指摘している.またこの動詞の目的語は人間の女性である必要はなく,人や動物である必要すらない.
ううむ.要するに攻めと受けについてはっきりとした用法があるというわけだ.


そして動詞のマイクロクラスから目的語に対して利用搾取される影響やダメージを与えることが意味されるということになる.
このfuckされることがひどいダメージになる意味となる例として第二次世界大戦中の陸軍のスラング:snafu (Situation Normal All Fucked Up) tarfu (Things are Really Fucked Up) fubar (Fucked Up Beyond All Recognition) があげられていて面白い.


まとめるとセックスを巡る心理は2種類あるということになる.

1つは性教育カリキュラム,結婚マニュアル,その他の認可された見方だ.セックスは共同行為であり,詳細は問われるべきではなく,二人の対等な関係者によって行われる.
もうひとつは暗黒面の視点であり,哺乳類の社会生物学ドウォーキンのラディカルフェミニズムの間にあるような視点だ.セックスは強制的な行動で,より行動的な男性がしかけ,受容的な女性に強いられ,彼女を搾取し,ダメージを与える.
両方ともはっきりとしたものの見方であり,前者は社会として認められているのに対し,後者はタブーであり,でもプライベートには受け入れられているということになる.


ここでピンカーはfuckがタブー語だが,rapeがタブー語ではないことをあげて,タブー語の微妙さをさらに解説している.ある言葉がタブー語かどうかということは,単純に暗黙の意味にのみよっているのではなく,ほかの人がその言葉をどう扱っているかということに依存しているし,ある言葉がタブー語だということ自体がその単語を感情的に活気づけるということらしい.


そしてこのような感情的な活気づけによって,shit, fucking などの語を文章の間に挟むという用法が成立するということらしい.
この単に挟む用法というのは英語ではよく見かけるがあまり日本語では見かけないように思う.「くそったれ」というのを挟む用法が最も近いのだろうか.「このくそったれウィンドウズがまたフリーズを起こしやがった!」雰囲気はあるが,あまり聞かないような気がする.


そして英語でshit, fucking が挟まれている部分はもともとれっきとした宗教的なものだったものが置き換わっていると解説されている.


Who (in) the hell are you? → Who the fuck are you?
I don't give a damn. → I don't give a fuck.
Holy Mary! → Holy shit!, Holy fuck!


ということであればなぜ日本語でこのような用法があまりないかの理由にもなっているのかもしれない.


ここでもう一度Quang Fuc Dongの登場だ.

最初にこれが説明されたのはアカデミアでもっとも奇妙な記念論文集『左翼発の研究:マコーレー33歳-34歳記念論文集』(1971)においてだ.マコーレーはレイコフやロスととも生成意味論を主張している言語学者である.彼の著作には,難しい分野へのガイド「文法における3億通りの学説」初心者へのガイド「言語学者が論理学について知りたかった(でも恥ずかしくて聞けなかった)ことのすべて」「食べたい人への漢字入門」(中華料理店の漢字で書かれたメニューをよんで,中国人が食べているほんとうにおいしいものを食べる方法)などがふくまれている.

bloodyやfuckingのような間投詞は,意味論,統語論的にはあまり内容がないが,おそらく普通の会話の中で最も多く使われるタブー語の用法だという.100年前の英国のスラング辞書にもbloodyについての下級階層の人の乱暴な言葉として2,3シラブルごとに現れるというこの用法がある.これは現在見られる「ファック語法」というものと同じだそうだ.


挟まれるfuckingは形容詞ではない.またタブー語の expletive 卑属間投詞表現は副詞でもない.

ほんとうの形容詞(たとえばlazy)であれば,Drown the lazy cat. を Drown the cat which is lazy. と言い換えることができる.しかしfuckingについて変換すると,Drown the fucking cat. と Drown the cat which is fucking. は異なる意味になる.さらに別の2つのテスト.The cat seems fucking. How fucking was the cat?, very fucking cat も満たさない.

「左翼発の研究」では That's too fucking bad. とは言えても,That's too very bad. とは言えないことが指摘されている.また言語学者ナンベルグが指摘するように,How brilliant was it? にたいして,Very. という会話はあり得ても,Fucking. と答える会話はまず聞かれないだろう.

そして現される不満はその後に続く単語に対して投げかけられているわけではない.
例としてモンティパイソンがあげられている.

インタビューアー:なぜ英国の飯はまずいのでしょう
ジョン・クリーズ(モンティパイソンの俳優):だって私達はこのくそったれ帝国(a bloody empire)をやっていかなくちゃいけないんだぜ,わかるだろ.

クリーズは帝国に対して悪口を言っているのではない.クリーズはインタビューアーの質問に対してあざけるように怒っているのだ.


なぜ代替可能なのだろう.

この言語学的謎の解決の一部分は,このような卑属間投詞表現は,もとの意味が違っても互いに代替可能な性質を産むようなプロセスから生まれるということにある.
fucking scoutmasterやa bloody empireのような卑属間投詞表現は,もともとはGod-Damnedつまり神により永遠の断罪を受けたものというところからきている.(現在はDamn Yankeesなどの表現に残っている)(語尾の-edは発音の際に省略されるようになって,さらに意味的にも認知されなくなったものだ.ちょうど ice cream, mincemeat, box seat などと同じだ)もし何かが神から永遠の断罪を受けたのなら,それは糾弾されるべき,卑しむべきもので,この世の存在ではなくなったものだ.この言外の意味は,fucking, bloody, dirty, lousy, stupid などからくるものと共通だ.これらはdamnedが宗教的な色彩を失うにつれて同じような場所に収まってきたのだろう.

そしてQuang Fuc Dongは「Fuck you」をこの代替可能性から説明する.
彼によるとこれは命令形だといわれることがあるが,これは命令形ではない.命令形なら目的語はyourselfでなければならない.そしてほんとうの命令形が取り得るいろいろな変形ができない.例: *I said to fuck you.


またこれは「I fuck you」の省略形でもない.Quang Fuc Dongによるとまず文法的にはまったく意味をなさない.まず時制が違う.まぜ主語が省略されているかを説明できない.似たような構文はない.そして過去「I fuck you」が使われたという歴史的な証拠もない.


そしてQuang Fuc Dongの説明は,「Fuck you!」のfuckは昔の宗教的なののしり語の代替だというものだ.要するに Damn you! が代替されたものだということだ.結局 Damn you! にあたる日本語表現がないために日本人にとってはよくわからないニュアンスということになる.


ちょっと詳しく「Fuck you」についての語用論を紹介してきたが,宗教的なののしり語についてはやはり日本人には難しい.また英語が母語であってもタブー語がどういう仕組みや語源を持っているのかはよくわからないということもよくわかる.途中にあるが,結局多くの人がタブー語だと思っていること自体がタブー語に力を与えるというブートストラップ的な側面があるのだろう.なかなかメカニズムとしても興味深い.




第7章 テレビで言っちゃいけない7つの言葉


(4)冒涜する5つの方法