読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その4

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

ヒトはなぜ間接的に話すのか.2番目の例は礼儀正しさだ.


礼儀正しさは聞き手の体面への脅威レベルにより調整される.そしてこの脅威レベルは親密さ(より親しいほど脅威レベルは下がる)と地位・力(より下から上へなされるほど脅威レベルは上がる)によって変わる.


この親密さと力が明瞭に現れるのは呼びかけだという.
ここでピンカーは2人称代名詞の話を始める.欧州の言語は2人称代名詞を2つ持つことが多い.(フランス語の tu, vous, など).英語もかつては thou と ye という2つを持っていたが,thou は祈りと古い様式の時に限られてしまった.これらを言語学者はT, V, と呼ぶそうだ.この違いは親密さと権力によるもので,Tは親密な人,目下の人に使われ,Vは敬意を持ち,知らない人,目上の人に使われる.

ここは日本語話者にはあまりなじみのない二分法だ.日本語では2人称代名詞はたくさんあって親密さや権力によって連続的に変わっていく.このような状況に関してより繊細で,敏感だということなのだろう.敬語の発達も恐らく関連してるのだろう.


さて心理言語学者のロジャー・ブラウンと英文学者アルバート・ギルマンは,ほとんどの西洋言語は容赦のない傾向を持つことを示しているそうだ.権力は親密さに道を譲り,すべての知らない人はVで呼ばれる.(例えば,顧客が店員を呼ぶとき)そして親密な人は目上であってもTで呼ぶ(自分の親を呼ぶとき)

日本語でもこういう傾向はあるのだろうか.店員を2人称代名詞で呼ぶことはあまりないし,目上の親密な人をどう呼ぶかは状況依存だが,ニュートラルなら目上向けの呼びかけになるのではないだろうか.


変遷の傾向はともかく,これは体面への挑戦に使用できる.例えば普通Vで呼ぶ人をTで呼べば敬意のなさを表すことができるし,逆は冷淡さを示すことになる.


さらにピンカーは言語学者らしく蘊蓄を披露している.この敬意を示すV代名詞は,よく2人称代名詞複数形から派生し,その言語の中で二義を保つのだそうだ.これは権力を持っている人に対しては,まるで単なる1人の人でなく背後に恐るべき側近が控えているように扱うから,そして聞き手にその呼びかけを無視する機会を与えるからだろうと解説している.


ピンカーは英語では一般にthouとyouの区別はなくなってしまったが,別の方法でこの繊細さを表現しているという.例えば,「ピンカー教授」と「スティーブ」の呼びかけにはエチケットがあり,前者は大勢のコースでの学生や,会ったことがない人が使うべき呼びかけで,後者は研究室での学生や,卒業生,同僚が使うべきものだそうだ.
肩書きのない大人に対して敬意を持って呼びかけるときには,ミスター,ミズなどが使われる.しかし子供や目下の人や親密な人には使わない.だから「ファーストネームを呼び合う仲」なのだ.

アメリカでは研究室の学生は教授を「スティーブ」と呼ぶのがエチケットと言うことらしい.日本語ではファーストネームで呼び合う仲というのはあまりないが,あだ名で呼び合う仲というのが近いかもしれない.



またスティーブ・ポットによると英国の会社の社長が部下を呼ぶ時はこういう感じだそうだ.
常務 マイク
執行役員 マイケル
部長,課長 ミスターイェーツ
アシスタント イェーツ
絶対必要な秘書 ミスターイェーツ
新入社員  マイケル
夜警  マイク


あえて英国の例としているのは,もしかしたらアメリカ人はみんな「マイク」と呼びかねないからだろうか.以前英国人に聞いたことがあるが,アメリカ人が職場中で「ウィリー」とか「チャーリー」とか呼びあっているのは幼稚園みたいだと言っていた.確かに日本の職場で「まことちゃん」「ゆうきちゃん」と呼び合っていたらそういう感じだろう.


日本の社長だとこんな感じだろうか.
常務  山田さん 山田君 (親しければ「山ちゃん」もありか)
執行役員 山田さん 山田君
部長,課長 山田部長,山田課長 山田さん 山田君
アシスタント 山田君 (体育会系の企業風土なら「山田」もありか)
絶対必要な秘書 山田君
新入社員  山田君
夜警  山田さん (いくら親しくても職場で「山ちゃん」は無理だろう)
ある程度傾向は似ているだろう.


ピンカーはこの呼びかけが時代とともに変わる現象も取り上げている.

VTの代名詞と同じように,呼びかけの敬称も時代とともに変わる.昔は卒業生も「教授」と呼んでいたし,私の祖父の世代では親しい友人でも「ミスター」などをつけて呼んでいた.病院でよく聞く苦情は,若い医者が年寄りの患者をファーストネームで呼ぶことに対してお年寄りが馬鹿にされたと感じるというものだ.

日本でも少しづつ移り変わっているようだ.20年ぐらい前には,上の人に対しては「さん」付け,下の人に対しては「君」付けと明快に分かれていた会社が多かった.だんだん下の人に対しても「さん」付けで良いということに変わってきたように思う.礼儀正しさとは別の話だが,病院ではいまや個人情報保護とかで一律「患者様」と呼びかける様になりつつある.


さらにピンカーは肩書きインフレについてもちくりと皮肉っている.

面白いことに,人々は実際にはよい肩書きで呼ばれることは減っているにもかかわらず,公式には良い肩書きを許されている.今日ほとんどすべての大学の職は「学部長 dean」がついているし,会社では管理職は「副社長 Vice president」だ.この肩書きインフレはトップでもっとも先鋭だ.彼等はかつてより良い肩書きを何とかつけようと必死だ.
エチオピア皇帝だったハイレ・セラシエは「王の王,神に選ばれしもの,ユダのライオンの征服者」と名乗っていた.スペインのカルロス王は「アテネ公」「Sovereign Grand Master of the Golden Fleece」を含む38の肩書きを持っていた.北朝鮮金正日にいたっては「我が惑星の守護者」「21世紀の指導原理」のほか自分用に千個以上の肩書きを考案している.

いまや「バイプレ」は上級ヒラだと言うことが知れ渡ってしまった.いずれ「マネージングディレクター」も同じ運命をたどるのだろうか?
日本の普通の会社では肩書きのインフレはあまり見られないように思う.むしろ「チームリーダー」とか「チーフ何とか」というよくわからない肩書きが増えている印象だ.このあたりの文化の違いはちょっと面白い.


第8章 人が行うゲーム


(2)敏感に,敏感に:礼儀正しさの論理