読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その6

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ヒトはなぜ間接的に話すのか.その一つの説明としての「礼儀正しさ」の表現にある理論構成,微妙な要求をするときのその前提の1つが内容になっている婉曲表現を見てきた.


しかしヒトはしゃべっているときにそれを意識しているわけではない.言外の意味は通常慣習の中にとけ込んでいる.ピンカーはそれに気づくときの例として,不機嫌な13歳の女の子が,Can you pass the salt? といわれて Yes と答えたきり何もしなかったりしたときというのをあげていて笑わせてくれる.


さらに要求の婉曲表現の意味は単に前提条件であるだけでなく,それをもっともらしく否定できる可能性を示していなければならないと指摘している.
心理学者ハーバート・クラークによると,要求を質問の形で言うときに,話し手は少なくとも,(拒否する場合の)答えがありそうもないことになるようなものは避けているということになる.例えば時間を教えて欲しいときには「今何時か知っていますか」と尋ねるが,相手の名前を尋ねるときには「知っていますか」とは聞かない.それは自分の名前を知っているのは当たり前で,これは回答拒否の可能性を与えないからだ.


続いてピンカーは「オンレコ」と「オフレコ」の議論を始める.慣習的な表現は実は要求だということが世間にわかっているためにこれは「オンレコ」になる.「塩をを回すことができますか」と聞かれたらそれは礼儀正しい要求だということが周知なのだ.

しかしブラウンとレヴィンソンによると,その場で作られた新しい即興的な表現は「オフレコ」効果を作る.話し手が「このスープは味が薄いね」とか「このレストランには十分な数のソルトシェーカーがないようだね」などの新しい間接要求を思いついたときには,聞き手は明白に要求を拒否するということなくコメントを無視できる.ブラウンとレヴィンソンはここから,その場で考えつかれた新しい間接要求(ヒント,控えめな表現,緩い一般化,レトリカルな質問)はもっとも礼儀正しいものだと評価している.つまりブラウンとレヴィンソンの理屈は「聞き手にとって拒否しやすい要求ほど礼儀正しい」ということだろう.



では実際に人々にある表現を聞いてもらって礼儀正しさを評価してもらうとどうなっているだろうか.ブラウンとレヴィンソンの仮説の多くはデータに当てはまったが,当てはまらないものもいくつか見つかった.


ブラウンとレヴィンソンは体面は一次元のスケールを持つと仮定していた.力の差,社会的距離,侵入の度合いを足しあわせたものだと.彼等は3つの種類の礼儀正しさは1つのスケールで表示できると主張した.しかし実際にはそうではなかったのだ.人々はある種の脅威に対してある種の礼儀正しさを使うのだ.


ピンカーは例として,例えば友達を批判するときには親密さを強調するが,大きなものを要請するときには別の礼儀正しさを使う,PCを借りようとするときには別の表現になるということをあげている.確かに批判するときにはややなれなれしく,何か負担になることを頼むときにはやや真剣な顔つきで礼儀正しく頼むだろう.


また人々はオフレコの間接的な要求を最高の礼儀正しいやり方だと評価しない.
ピンカーは実際ある種の場面ではそれはまったく無礼になりうるといっている.「私はあなたに昨日部屋を片付けなさいと言っていませんでしたか?」「あなたはパーティに誰が来るかを私に言う必要が無かったのでしょうか?」
確かに即興的な表現だからといって,否定しやすいからといって,礼儀正しくなるわけではないようだ.


ピンカーはこう説明している.

1つの理由は,聞き手のコンピテンスや意思が余りに率直に疑問にされると,それは聞き手が非協力的になり得ないことを示唆するのだ.また間接要求は,聞き手が,要領が悪い,あるいは容易に操作できるという印象を与えることができ,聞き手に多くの心理的な推量仕事を押しつけるからだ.これがトッツィーにおけるジュリーの不満の中身なのだ.


さらに間接的な表現はすべて礼儀正しさに関するものではない.ベールをかぶった脅し,曖昧な賄賂の提供,性的な誘い文句などはこの理論では説明できない.


またさらにオフレコ要求にはジレンマがある.もし言外の意味がわかりにくすぎれば話し手は機会を失うだろう.聞き手はもしその意味がわかれば応じる気があったかもしれないのに.逆に分かりやすすぎれば,誰にでもそれが要求とわかり,そもそも「オフレコ」でなくなってしまう.


ピンカーは,要するに礼儀正しさ理論は良いところをついているが,この理論は話し手と聞き手が協力していることを前提としているからその適用範囲に制限があるのだという.
次節からは話し手と聞き手がコンフリクト状態にあるときの話になる.



第8章 人が行うゲーム


(2)敏感に,敏感に:礼儀正しさの論理