読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その7

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

ヒトはなぜ間接的に話すのか,まず自分がよく思われたいために誰かをけなしているようなことは直接的にいわない,そして相手に何か要求するときは「礼儀正しさ」として婉曲的に尋ねるということを見てきた.これらは話し手と聞き手が協力していることが前提だ.
しかしそれ以外の間接スピーチを理解するには話し手と聞き手にコンフリクトがある場合を考えなければならないとピンカーは言う.


ピンカーは警官に賄賂を渡す場合のゲーム理論的状況から説明を始める.贈賄側は相手の警官が協力的(不正直で賄賂を受け取る)か敵対的(正直な警官)かを事前に知ることができない.すると贈賄側の利得行列はこうなる.この場合一義的に有利な解はない.合理的な戦略は違反切符の額と贈賄罪の大きさ,正直な警官の比率などのパラメーターによって決まる.

    不正直な警官   正直な警官
何もしない   違反切符   違反切符
賄賂   自由   贈賄罪で逮捕


ここで言外男を考えよう,彼は言外の意味を使用することができる.「すると,たぶん,一番いいのは,これをよく注意するって言うことですよね」彼は,警官がこれを賄賂の申し出と考えることができ,さらにこれでは裁判で贈賄で有罪にできないことを知っていると考えている.するとマトリックスはこうなる

    不正直な警官   正直な警官
何もしない   違反切符   違反切符
賄賂   自由   贈賄罪で逮捕
言外の意味   自由   違反切符


3番目の戦略がもっともよい戦略に一義的に定まる.私達は言外男の進化を説明できる.


では正直な警官から見たらどうなるか.警察側のコストは贈賄で逮捕して有罪にできなかった場合,不当逮捕とされて警察全体にダメージがかかることだ.

    不正直なドライバー   正直なドライバー
逮捕しない   違反切符   違反切符
逮捕   有罪判決   不当逮捕


ピンカーはこういう形でマトリクスをあげているが,正確に言うと不正直と判事(あるいは陪審)が判断するドライバー,正直と判事が判断するドライバーということになるだろう.これは一義的な解がなく,合理的な戦略はそれぞれの結果の警官にとっての価値と正直ドライバー(と判断されるドライバー)の比率に左右される.ほのめかしのようなことを言う正直ドライバーが多くなれば(あるいは判事がなかなか贈賄を認めなければ)逮捕しないという判断に傾くだろう.
これこそは言外男が警官を動かせる力なのだとピンカーは言う.言外男は不正直警官には賄賂とわかり,正直警官にはそう確信できないような言い方を選ぶことができる.


ピンカーは明示的に述べていないが,この場合,言外男と不正直警官は協力関係にあり,言外男と正直警官がコンフリクト関係にあるということになる.だから正直警官のマトリクスが問題になるのだ.動物の信号理論でドーキンスとクレブスが想定した互いに相手を操作しようとしている関係と同じだ.
ピンカーは特に信号理論との関連を議論してはいない.しかし考えてみると,動物の信号理論ではこのような婉曲的な信号は恐らく観察されていないだろうし,議論すらされていない.もちろんそもそも動物界には公共のために罰するパニッシャーはいないので,このような状況が生じないということかもしれない.しかし基本的に同様な利得マトリクスがあれば,このような婉曲的な信号が生じてもおかしくないはずだ.
ここでよく考えると,上記状況で言外男が有利になるような反応を正直警官がせざるを得ないことに非常に効いてくるパラメーターは,ほのめかしをいう正直ドライバーの存在だろう.正直ドライバーにとってほのめかしをいうメリットは(このマトリクス状況の中では)全くない.だからこのような行動は単純な状況下では進化し得ないだろう.恐らく動物界でこのような婉曲的な信号が生じない理由はそういうことではないだろうか.
言語を使うヒトではまったくメリットがないにもかかわらずほのめかしをいってしまう正直ドライバーがいるのだ.恐らくそれはヒトの心理がもっと広い状況下で,社交的なことや,時に謎めいていることが有利に働くことがある複雑な社会に適応しているからだろう.なかなか面白い問題だ.


ピンカーはこのような状況が実生活上でも解決の難しい問題になっていると解説している.

実生活では,このようなベールをかぶった賄賂の申し出は法執行と法システムにとっての難問だ.アメリカの法廷では常識に従って,このような申し出も賄賂の申し出と判定する.もし被告が「賄賂を申し出る気はなかった.ここで簡単に払える方法はないか聞いただけだ」と主張しても,それはギグルテストをパスできないだろう.だから実生活の賄賂の申し出はさらに慎重な言い回しであることが必要で,不正直な警官にもわからない可能性があるようなものになる.


ここでいうギグルテストとは,アメリカの法廷で,何らかの弁明,議論が,失笑をよぶようなものの場合には採用しないという原則のことを指すらしい.陪審があるアメリカならではの面白い訴訟法原則だ.日本ではこのような個別の原則はなく,全面的に裁判官の判断に任されている.もっとも実際に婉曲的に申し出て相手が賄賂を受け取らなかったらまず起訴はされないだろうし,相手が受け取ったら簡単に賄賂の申し出と認定されるのではないだろうか.


ピンカーは1980年のイリノイ州の実際の事件(ワンダ・ブランドステッターという名のロビイストイリノイ州議員に対してイコールライツアメンドメントに賛成してくれるように働きかけていた.彼女は「Mr. Swanstrom the offer for help in your election plus $1000 for your campaign for the pro-E. R. A. vote」と書いたカードを送り,検察官はこれを賄賂の申し出だと主張し,陪審員も同意した.)を紹介して,これは本当にロビイストが間抜けだったために有罪になったまれなケースであり,実際にはロビイストたちは婉曲的なうまい言い方(「ご存じのように,「いま」が政治キャンペーンに献金することを決める時期です.ところで,傾向として私達の目的にマッチする投票を行ってきた人に,私達は献金しています.ちなみに現在の私達の目的はE. R. A. voteを可決することですわ」)で贈賄での訴追を逃れていると解説している.


確かに政治献金が絡むとその外側で賄賂の申し出があったかどうかはきわめて重大になるだろう.日本でも適正に処理された政治献金であれば,上記ワンダのような間抜けでもなければ,賄賂と認定されることはきわめてまれなのではないだろうか.(もっとも婉曲的な申し出が証拠として残ることも(内部告発者がテープでも撮っていない限り)あまりないだろうとはおもわれるが)


第8章 人が行うゲーム


(3)ぐちゃぐちゃに混ぜろ:曖昧さ,否定可能性,そしてその他の戦略