読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その10

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


人々が間接スピーチを使うのはなぜか.ピンカーの解説は進化社会心理の説明にはいる.私達は対人関係を進化的過去に根ざした3つのカテゴリーで処理し,間接スピーチは受容可能な偽善の動機になっているのだ.


共有・団結に続く2番目の関係は「権威のランク」だ.
「権威」の理屈は「私のじゃまをするな」であり,その生物学的なルーツは,動物界によく見られる優越のヒエラルキーだ.ピンカーによると(「共有」が血縁,同じ有機体の一部という直感生物学の領域で感知されるのに対して)権威のランクは直感物理学の世界で感知される.
優越する人物,(チーフ,プレジデント,僧侶,シャーマン,将軍)は下位者を引き連れて歩き,先に入出し,高いところに立ち,(プラットフォームやバルコニー)大きくみえ,(帽子,ヘルメット,かつら)実際に大きく(リーダーは実際に大きい傾向があるのだ)大きく描かれ,(肖像画銅像)大きなオフィス,宮殿,モニュメントを持つ.何百ものメタファーがこれにしたがって表現している.


そして優越は地位,ステイタスに結びつき,究極的に,優越やステイタスは自分や他人がどう思っているかという社会的構築に依存している.ピンカーはこれこそがブラウンとレヴィンソンがうまくいかないにもかかわらず振り回している「体面」という概念の真実の姿だろうと指摘している.彼等の「負の体面」(邪魔されたくない)は優越地位の主張だし,「正の体面」(認められたい)はステイタスの主張なのという.この解説で初めて「負の体面」という意味がある程度わかったりする.


そうすると「体面」は「地位」と結びついた「通貨」だということになる.そしてこの価値は様々な相手とのやりとりで決まる.ピンカーは次のように表現している.

それぞれは相手がしっかりとそこを確保していると思えば引き下がるし,相手が引き下がると思えばがんばるのだ.もちろんそれぞれは相手の鋭気を瀬戸際政策でテストすることができる.しかしそのコストは高くなる可能性がある.押し出しと自信,それに対する周りの服従,尊重が決定的な武器になるのだ.この尊敬は周りが評価するアセットを持っていることや,前の闘いで勝ったことにより得ることができる.公開の場で負けることや軽蔑されることでこれを失うこと(=体面を失うこと)は大変痛い結果になる.


だから人々は自分の「体面」を守ろうとするのだ.そしてこれに挑戦するつもりが無い場合には礼儀正しさのテクニックを使う.また自分の体面を守るためにも「言外の意味」は使われる.謝罪や譲歩は相手にさえ分ければいいので周りに知らしめる必要はない.この場合にも間接スピーチは使われる.ピンカーはこれを「犬笛」のピッチと表現している.

映画「クリムゾンタイド」ではハックマン扮する潜水艦艦長と若い副官が登場する.彼等の関係は互いにリスペクトフルだが,白々しい.奇怪なプロットの中で,彼等は間違いなく第3次大戦を引き起こす「核ミサイルを発射せよ」と言うねじ曲げられた公式命令を受け取る.副官は艦長に反抗し,ののしり合いと殴り合いとその辺のものをぶっ壊す立ち回りのすえにミサイル発射を防ぐ.映画の最後,反乱の疑いが晴れた副官に向かってハックマンは言う.「君が正しくて,私が間違っていた.」副官は眉を上げる.「リピッツァナー種の馬だが,あれはスペインから来たのだな,ポルトガルじゃなく」
言語学者デボラ・タネンは「なぜ男性は謝らないか」という記事の中で,この映画を引き合いに出して,怒りとともに書いている.「なぜ,艦長は単純に謝らないのか『私は間違っていた.君が正しかった.核戦争を始めようとしたのは誤りだった』と」
タネンほどの鋭敏な学者でもそのとき艦長は謝っていたことに気づかないのだ.しかしそれはたぶん男性にしかわからない超音波で発せられていた.そしてその文字通りの意味では艦長の優越性を放棄することにならないのだ.これは「男性と女性は違う方法(言葉や文法が違うのではなく言外の意味が異なるという意味で)でコミュニケートしているというタネンの理論をむしろ支持するものだ.


逆に権威に挑戦する間接スピーチもある.私達はそれを「ユーモア」と呼ぶ.政治家を揶揄するようなユーモアの例としてピンカーは2001年ディック・シェネイが不整脈で入院したときに,コメディアンが「事態は深刻だ.これでブッシュは大統領から心臓の一拍分離れてしまった」といったことを取り上げている.
どうもアメリカでは普通は大統領が倒れると,副大統領は大統領に心臓一拍分近づいたと表現するらしい.ここでは表現が逆転しているのだが,聴衆はコメディアンが「実際に政権を切り盛りしているのはシェネイであり,ブッシュはさらに深さを失うのだ」といっていることが理解できる.
ピンカーはこのようなユーモアについて侮辱を言外の意味にくるめば,挑戦はより有効になると解説している.それはその意味がわかった人はターゲットの弱点を知り,そしていっしょに笑っている人皆がそれを知っていることがわかるからだ.


しかし多くのユーモアは友達のふざけ合いや自己卑下を含んでいる.この場合笑いのターゲットは権威者ではなく,自分だったり,友達だったりだ.この理解の鍵は「権威」の減少だ.
友達に自分たちの関係は権威ではなく友情だと示す1つの方法は,自分のあるいは相手の権威無き傾向に注意を集めることであり,そして二人のどちらも将来に上下関係になることはないと示すのことだ.人々はこれにユーモアを使っている.
ピンカーは大学で実際に採取された友人同士のふざけあいのユーモアを示している.口語の微妙なニュアンスはちょっとむずかしいが,若い人がお互いにけなしあって楽しむのは日本でもよく見られる.


「共有」「権威」に続く3番目の関係タイプは「平等,平等マッチング:Equality Matching」だ.その理屈は「私の背中を掻いてくれたらあなたの背中を掻いてあげよう」というものだ.これは進化生物学的にはおなじみの互恵利他の基礎だ.
フィスケはこれにかかる心理学的装置としては「くじをひく」などの平等装置を求める心だと主張しているようだが,ピンカーは「言語」こそその世界を最もよく示しているといっている.たしかに「君がこれをしてくれたら,僕はこれをしてあげる」と表現できることが交換にどれほど役に立つかは良く理解できる.
さらにピンカーは言語は交換取引の重要な「信頼」の情報源としても重要だと指摘している.これはゴシップと呼ばれる.ピンカーは英語で,権威にかかる評判を表すときに「体面:face」という言葉を使い,フェアさに関しての評判を「名声:good name」というのは偶然ではないのだろうといっている.日本語ではこのあたりの微妙な差はどうなっているのだろうか.権威であっても「名望家」などという言葉があるようだし(これは中国語の問題かもしれないが)よくわからないところだ.



フィスケはさらに4番目の関係「市場価格」も指摘しているようだ.これは現代市場経済のあらゆるものが含まれる.通貨,価格,給料,利益,賃貸料,利息,信用,オプション,派生商品など.コミュニケーションの媒体は数字,数学的操作,デジタルな会計と物流,そしてフォーマルな言語だ.
ピンカーはこれはユニバーサルではないし,認知的に自然でもないと指摘している.一般に世界中の人はものにはそれぞれ個別の本質的な値段があると考えている(誰かがそのとき払う意思があればその値段になるわけではない).そして中間の商人は寄生者で,利息を取るのは非道徳的だと.(中間商人は遠く離れた地域から商品を運び買い手に提供するというサービスをしているし,お金はあるときにある人にとっては別の人にとってより価値があるという事実にもかかわらずだ)
これは「交換」の心理から出てくる誤解であり経済学の理解を困難にしているものだ.HBES2008でも同様な発表があったことを思い出した.
このようなヒトの本性にない仕組みのほかの例としては「民主主義」「会社」「大学」「NPO」などがあげられている.



第8章 人が行うゲーム


(4)分配,地位,取引:関係に関しての思考