Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists
- 作者: Jerome H. Barkow
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr on Demand
- 発売日: 2005/12/01
- メディア: ハードカバー
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さて社会科学が進化を無視しているとして,では進化心理学とはどういうものかの解説をバーコーは始める.ここでももう一度遺伝的決定論ではないことを念押ししている.いくら強調してもこの誤解は容易には解けないのだろう.
進化心理学は遺伝子を調べるのではなく適応によるメカニズムを調べるもので,ある行動のための遺伝子というのは比喩だと解説した上で「社会科学者にとってはある行動傾向が自然選択の結果かどうかがわかれば十分で,それに関する分子的な詳細は本来不要なはずではないか」とも述べている.これは「遺伝子が行動に関与している証拠がないなら受け入れられない」などという批判に対するもののようだ.
ここで進化心理学が調べている「適応メカニズム」についてどのようなものかが解説される.無意識的に作用している心理メカニズムというところが強調されている.
ではこの「適応メカニズム」は社会科学にどう関係するのか.
よく社会科学のテキストでは「環境変化に対して,動物は進化で遺伝的に対応し,ヒトは文化的に対応する」などと書かれてあるが,これは間違いで,そもそも文化的に対応するために心理メカニズムがあるはずだ.心理メカニズムなしに文化はあり得ないというのは考えてみれば当然だと思うのだが,二分法的な考えに陥るとそこが見えなくなるということだろうか.
また進化的に考えれば,今ある文化に盲従するという行動パターンは,周りに操作されやすいということで非常に危険なはずだ.だから脳はこのリスクをマネージするように進化している.年長者には時に反抗し,自分たちの中からリーダーを選ぼうとするのはその一つの例だ.
次に社会構築主義は進化心理学と実は親和的であると主張する.
肥大した文化能力の説明,感情の説明などがそうだ.特にどんな文化でもあり得るのだという強い文化相対主義的主張が実は事実と一致しないということの理論的な基礎になるだろうという.社会構築には制限があり,どのような制限かということを説明するには自然淘汰が最もよい理論ではないかということだろう.
ちょっと興味がわくのは,現在普通の社会科学者はどのような文化でもあるわけではないことをどのように説明しようとしているのだろうというところだ.あまりそういう問題意識は持たないのだろうか.
ここでよく誤解される部分についてのコメント.
<ヒトの行動や文化は適応的なのか>
進化心理学は常に適応的だと考えるわけではない.
非適応的になりうる要因としては以下のようなことがあげられている.
- 通常の適応は「平均してうまく働く」というもので,当然平均から外れているものがある.
- 過去環境と現在とのミスマッチ
- 相手による操作
- 誤伝達(これも一種の平均してうまく働くという現象だろう)
- ミームの利益
<ヒトの本性とは何か>
進化心理学の言うヒトの本性とは本質主義ではない.ある種の典型的な特徴と言うこと.特徴のクラスター.
これは社会科学がこれまで民族間の違いを問題にて来たので理解しにくいところではないかと述べている.
では社会科学に進化心理学を取り入れるとどんな良いことがあるのか.バーコーは3つほどあげている.
- 無理筋の議論を刈り込むことができる.:社会科学は雑草だらけ.自分の創設した派を成功させるのが目標になる.男女は同じなどの前提がおかしい議論を排除できる.
- 実務的になれる:ラトゥールの現代思想の分類によると,自然主義,社会主義,脱構築主義.の3つはそれぞれ排他的だということだ.そして進化的な考えは自然主義だとされている.ラトゥールはしかし進化的な考えの包括的な性格がわかっていない.これはより物事を実務的に捉えることができる.(例としてコミュニケーションと信号理論があげられている)そして統合しても社会科学は自然科学と同じにはならない.より複雑な問題を扱えるのだ.
- いまある教育プログラムの穴を埋められる.
最初の部分は辛辣だ.特にフェミニズムに対する率直な思いがにじみ出ているようだ.2番目の部分もなかなか歯がゆそうだが,私の感じでは進化の包括的な性格が理解されないというのは,そもそも何を説明したいのかが異なっているということなのだろう.根源的な理由が知りたいなら進化は包括的なフレームになるはずだ.
さらにバーコーはとりあえず面白そうなリサーチプログラムも提示している.これは今の社会科学の提示する回答に不満があるということの裏返しなのだろう.
「肥満問題を過去環境との差から説明する」「メデイア論」「政策の巧拙の判定;資本自由民主社会はライバルの体制よりヒトの本性にあっているか」「広告とマーケティング」などがあげられている.
またメタナレイティブとしてのダーウィニズムについてもふれている.
天地万物の説明を行うよい方法は何か.ヒトは物語として物事を理解するのが得意.そしてもっともよいフレームワークはダーウィニズム.ライバルはあえて言うと宗教のみフレームワークの大きさが共通するといっている.宗教はしかしコンテンツが虚偽だということはぐっと抑えてふれていないが,そういうことだろう.
またポストモダニズムがメタナレイティブ自体を否定するだろうが,その否定そのものが1つの言説ではないかと皮肉っているのも面白い.この手の進化生物学側からの社会科学についての言説では,フェミニズムと並んでポストモダニズムが攻撃されるのがお約束だが,バーコーはこの一言だけに止めている.そしてもちろん進化的な仮説に対して批判的に考えてよいし,社会科学者からの真摯な反論はむしろ有用だと最後に付け加えている.
バーコーのまとめを箇条書きにすると以下のようになる.
- ダーウィニズムを無視する社会科学は,政治革命を無視した社会科学と同じになるだろう.
- 基礎理論は社会科学にとって重要.
- 社会科学者の業界は小さくまさにバンドの世界.マーカーが付くというのはわかる.
- 問題は批判ではなく無視.
ヒトの本性のリサーチは運命論にくみすることではない.私達は常により良い社会を作るために努力すべきだし,そしてヒトの本性を理解していればできることは多いのではないだろうか.
基本的にこうすればもっともっと社会科学は「世界がこうなっている根源的な理由」を知ることができるし,応用も広がるよということを説得している.具体例も示していてある意味説得的だが,片方で「そこは違ってるんじゃないの」という嫌みのような部分も感じられてしまうだろうか.これを読んだ社会科学者の反応が知りたいところだ.それともまさに無視されているのだろうか.