「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅



カバーに描かれているのは著者シュービンが発掘した魚類から両生類への橋渡しである化石生物ティクターリクの復元図.カバーからは脊椎動物の陸上への進出過程を扱った書物のように見えるが,本書のスコープはもっと広いのだ.シュービンは現在古生物学と発生にかかるエヴォデヴォの両分野にまたがる仕事をしている学者であり,本書はボディプランの進化全域を守備範囲にし,シュービンの学者としての遍歴にもふれながら化石発掘と発生メカニズムがあわせて語られる面白い書物に仕上がっている.


冒頭は化石の初歩,北アメリカ大陸の地質学を解説しながら,著者のカナダ北極圏でのティクターリクの化石発掘の物語が語られる.北極圏での発掘の苦労話も面白く,読者は一気に引き込まれる.そして化石にある前肢の特徴がフォーカスされる.そこから本書は一気に19世紀に飛び,オーウェンによる脊椎動物の前肢の相同性の発見に移る.さらにいろいろな魚類と初期両生類の化石の前肢が示され,鰭から指への進化の道筋が示される.そこから話は遺伝子発現の秘密に移り,1990年代のZPA遺伝子の発見(親指と小指を異なったものに発生誘導する),ソニックヘッジホッグ遺伝子との関連が説明される.ここでもっとも衝撃的に示されるのは,サメの鰭のソニックヘッジホッグ遺伝子のスイッチを変えることで,鰭に鏡像的重複を引き起こせるのだが,その鏡像的重複がまさに原始的な指のように見えることだ.ここまでの前肢の物語は非常によく構成が練られており,非常に面白い.


ここから本書は,様々な脊椎動物のボディプランや器官の進化の系統的な道筋と,それが発生の遺伝子発現過程でどのように見えるかを次々に語っていく.


まずは歯.フィールドで化石を見つける技が初心者にどのように難しいのか,そしてそれを会得しプロになっていく著者の経験談(これもなかなか味があって面白い)を語ったあと,哺乳類の歯の進化,コノドントの謎などを語り,コノドントの歯(無顎類の歯)と甲皮類の甲皮の発生的な相同性を説明する.そして実は脊椎動物の乳腺,羽毛,体毛は歯と同じ発生的な仕組みを持っていることを明らかにする.


次は発生中の4つの䚡弓の物語.これらが顎や耳の骨,顔面神経や三叉神経に分かれていく様子と,それが現在の私達の解剖学的な特徴に,発生的な拘束として現れていることを説明している.そしてこれらは頭の進化に深く関連するものであることを解説し,最後に5億3千万年前のハイコウエラ(脊索を持つ最古の動物)の化石を紹介している.


次はボディプラン.高校の生物学で出てくる3胚葉,オーガナイザーの物語から,最新のHox遺伝子まで語り,その後化石記録を眺めながら,多細胞生物が成り立つ最大の鍵は細胞同士の接着の仕組みであることを説明する.このあたりは「ダーウィンのジレンマを解く」で説明されているコア・プロセスというわけだ.本書ではその分子的仕組みもいろいろと説明され,そして海綿動物と襟鞭毛虫の類似性などが議論されている.
ここでちょっと面白いのは紹介されているマーティン・ボラースの実験.単細胞性の藻類のコロニーに鞭毛を持つ単細胞性の捕食者をいれて1000世代以上飼育したところ,集塊を作る性質が進化し,最終的に8個の細胞が集まるという性質となったというのだ.多細胞性が対捕食者適応だというのも面白いが,わずか1000世代で集塊まで進化できるのに対し,本格的な多細胞生物に進化するのになぜ30億年以上かかったのか謎は深まるばかりだ.シュービンはエネルギーコストや酸素濃度が問題だったのではないかと示唆している.


続いて嗅覚の進化,視覚の進化,聴覚の進化と各論が続く.視覚のところでは,結局オプシンとは細胞外の情報を細胞内に伝達する分子だとか,脊椎動物の眼の様式と無脊椎動物の眼の様式は大きく2つに分かれているが,多毛類には両方持つものがあり,祖先型には両方あったのが,それぞれ1つに集約されたのではないかなどの興味深い話題がある.これは同じ遺伝子が脊椎動物でも無脊椎動物でも眼の発生をコントロールしている事実と合わせて考えると含蓄が深いものだ.聴覚のところではなぜ酔っぱらいが平衡感覚をなくすのかの分子的な解説があってちょっと笑える.
本書は最後に系統進化とその発生的な証拠を語り,私達の身体が発生的な制約の上にあることを説明している.この中でしゃっくりの進化的な起源がオタマジャクシの鰓呼吸時に肺に水が入らないようにする適応であることを示唆している.なかなか面白い議論だ.


本書の最大の魅力は,エヴォデヴォがいろいろな角度からわかりやすく語られているところだ.(発生にかかる本ではこのわかりやすさは貴重だ)著者の経験談も挟まって読者を飽きさせないし,ところどころきらっと光る興味深い議論が埋め込まれている.同じ研究室に化石発掘チームと遺伝子解析チームが同居しているというダイナミズムを感じさせてくれる本だと思う.



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脊椎動物の陸上進出を知りたいならこの本が本書でも紹介されている.残念ながら本書にあるティクターリクは発見前でふれられていない.


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