「イネの歴史」


イネの歴史 (学術選書)

イネの歴史 (学術選書)


最近「農耕起源の人類史」を読んだこともあり,書店で気になって購入した一冊.生物学というより農学の本ということになる.著者は遺伝学を専門とし,この分野では第一人者の1人であるようだ.調べてみると多くのイネ関係の著書がある.
考えてみれば毎日食べているコメについて,うるち米だとか,インディカ米だとか,コシヒカリだとかいういろいろな品種についての断片的な知識はあっても,イネという植物自体を真剣に生物として考えたことはなかったので,雑学的な知識も多く得られる楽しい読書となった.


まず.イネの野生種のグループを巡る旅が描かれる.イネはオリザ属に属し,そのグループの起源はニューギニア・オーストラリアを含むオセアニアにあるという.そしてそのグループは森林の日陰のしめったところに生える多年草だというのだ.これは相当な驚きだ.その後森林の中の攪乱環境に適応した仲間が現れ,さらに林縁部の攪乱環境に進出していったものがイネの祖先種ということらしい.これらのオリザ属の植物に巡り会う東南アジアのフィールドへの旅が楽しく描かれている.


さらにイネは人類に栽培化されていく.本書によると稲の栽培化は7-8000年前の長江周辺で生じたもので,当初の栽培化種はジャポニカだったという.そしてかなり後に,熱帯よりの地域で,ジャポニカと野生種の交配からインディカが生まれただろうということだ.
その大きな歴史物語とあわせて栽培化とはいかなるプロセスだったと考えられるのか,また遺伝学的にはどのような現象が生じるのかが語られて本書の読みどころになっている.栽培化において重要な形質は,種子の非脱落性,種子生産性の向上から1年草化,自家受粉性などがあり,緯度を超えて広がる際には開花時の短日性の変更が問題になる.また遺伝子が機能しなくなるような劣性遺伝子の固定が生じることが多いので非可逆的な変化となる(野生化しても元に戻らない)などの記述は大変興味深いところだ.

雑学的にはジャポニカとインディカの違いを巡る蘊蓄が面白い.ジャポニカとインディカは,遺伝学的な多くの形質がクラスターになっていることから規定されていて,起源的に異なっているもので,通常いわれるような短粒・長粒や,ねばねばとぱさぱさが常にこの2つと相関しているわけではないという.だからジャポニカでも長粒でぱさぱさのものがあるというのだ.アメリカのミシシッピ沿いで栽培されているのはジャポニカであるということで,ニューオーリンズジャンバラヤにあったあのコメはインディカではなかったのだ.また熱帯生まれのインディカには短日性を喪失しているものがあり,これは二期作の第1期に植えるイネとして重要だったということだ.


世界各地のイネ巡りもあわせて語られていて愉快だ.東南アジア浮き稲の生態,田植えと直播きの違い,中国のハイブリッドライスの現実なども興味深い.最後に現代日本のイネについてのいろいろな問題にも触れている.著者は今後は減農薬・減肥料に向けた品種が重要なのではないかと示唆している.遺伝子組み換え技術についても「シビリアン・コントロール」を条件に肯定的なようだ.このあたりは農学者・遺伝学者としての矜持だろう.


進化や自然淘汰についてはやや大まかな理解が気になる部分もないではないが,農学の本としては十分ということだろう.とにかくイネ一筋の深い蘊蓄が本書の価値だ.毎日コメを食べている日本人なら退屈しない読書時間になることだろう.



関連書籍

農耕の起源を総括的に扱った大著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080911

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著者の一連のイネ関係の本

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