「先史時代と心の進化」


先史時代と心の進化 (クロノス選書)

先史時代と心の進化 (クロノス選書)



原題はPrehistory.歴史以前の歴史ということであり,「先史時代」,そしてそれを解明しようとする 「先史時代学」の両方の意味があるようだ.著者はインド=ヨーロッパ語の拡散と農耕を結びつけて論じて著名なコリン・レンフルーであり,書店で手に取ったときは言語の話が中心かと思ったのだが,読んでみるともっと広いスコープの本だ.

本書では,最初にこの先史時代学の成立の歴史が語られ,その後現在の先史時代学のレンフルーの考える課題(先史時代学はただ生じたことを並べ立てる学問であってはならない,ヒトの心の起源についてアプローチできるはずだ),それへのアプローチが語られるという構成になっている.



まず先史時代学の歴史は学説史として大変面白い.そもそも人類に歴史以前の歴史があると理解され始めたのはガリレオにはじまる科学革命以降であり,はっきり認識されるようになったのは19世紀半ばあたりだという.そのころ古代の遺物の発掘から(これもそもそもは古代の歴史が正しいことの証明が動機だという.まさにシュリーマンの世界だ)石器・青銅器・鉄器の時代区分が認められるようになり,片方で地質学が発達し,そしてダーウィンの進化理論が世に出てきたのだ.これ以降初めて歴史以前の人類についての学問が成立するようになったのだ.
このあたりの記述ではフリント製の打製石器が雷によって形成されたとまじめに論じられていたなどというエピソードが満載で楽しいところだ.


いったん成立した先史学は,1940年まで緩やかに発展する.文字以前の古代文明,氷河期の人類(クロマニヨン人や洞窟壁画)などが理解され,各地における利器の発達や農耕の開始などが解釈・体系化されるようになった.現在から見ると当時の解釈には絶対年代が不明なことから来る制限,各地で並行的に生じていることをどう捉えるかについての考察が浅いこと,民族的な偏見などの限界があったということになる.


そして放射性炭素革命が生じる.これにより遺跡の絶対年代が正確にわかるようになった.これは考古学の理論や解釈に幅広い科学的根拠を求めるアプローチを生む.これらは微量元素分析,民族植物学,動物考古学,気候変動調査などなどの新しいリサーチと一体になり,先史時代の研究は膨大な量の科学的技法の上に成り立つようになった.



ここまでが先史学の歴史である.そしてここからレンフルーの問題意識となる.現代の先史学は膨大な量の正確な事実をひたすら記述していく学問になってしまっている.しかし先史学はもっとなぞを解き,理解を深める仕事をすべきだというのだ.



片方で人類進化,拡散についての最近の知見を紹介しつつ,レンフルーの提示する解くべきなぞは「現生人類がホモ・サピエンスとして成立した20-15万年前から,1万年前の新石器革命までの時間差は何を意味するのか」だ.要するに農業革命はなぜ生じたかということだろう.

これにあたっては,ヒトの心の起源に迫らなければならないとし,認知考古学のアプローチが望ましいというのが本書におけるレンフルーの主要な主張だ.レンフルーは15万年前以降ヒトの認知における大きな遺伝的な変化はないのだから,これはダーウィン的進化学では捉えられないとし,ミームや文化進化のアプローチも不適切だという.なぜミーム的な分析が不適切なのかについてはあまり書かれていないが,要するに「もの」との関係においてヒトの心,認知を考えるというアプローチ(認知考古学)のほうがより適切だと考えているということだろう.


ここから認知考古学の理論的なフレーム,そしてなぜそれがよいのかが示されるが,象徴や記号などの議論が続いてちょっと読みにくいところだ.どうやらレンフルーはヒトの心は複雑なものであり,それを考えるには認知が何か「もの」に積極的に働きかけている局面を捉えるのが有効ではないか,であれば「人類と物質世界の間で作用する『関与』と呼ぶべきプロセス」を通して認知を考えるのがよいと主張しているようだ.


そこから西アジアにおける定住の開始,農耕の開始などについて具体的に説明されている.ちょっと面白いのは,「象徴は物質化することにより強力になり宗教が永続した基礎にもなっているのではないか」という示唆だ.そして初期農耕社会の中には平等主義的な文化とそうでないものがあるが,平等主義的な文化においても巨大構築物が見つかることがあることをその延長で解釈している.またさらに進んで記念物がより強い共同体をつくるという機能をもつだろう,そして最終的には支配者の権力の象徴になるし,宇宙を理解したいという関心が産む記念物は宗教と結びつく,とも考察している.実証は難しそうだが,これにはインダス文明という注目すべき例外という事実もあって面白い論点のように思う.

また不平等の起源と財貨の発生が,誇示的消費,金銭の象徴性,計量システムとあわせて議論されている.このあたりは原因と結果がいりくっているような解釈ではないかとも思えるところだが,興味深い議論だと考える人も多いだろう.


本書は最後に文字の発明とそれが心に与えた影響を考察して終わっている.言語のサピア=ウォーフ仮説の議論とも似ているし,さらにここでは,表音文字表意文字の違いも議論されていてちょっと面白い.レンフルーは,文字は様々な物質的現実,制度的現実とあわせてヒトの心に影響を与えているはずだと主張しているようだ.このあたりは議論の残るところのように思う.



全体としては老大家による大きな学説史の総説に加え,現状の行き詰まりと今後の展望が描かれていて,その「後世に伝えたい」という思いがよく伝わってくるスケールの大きな書物に仕上がっている.一部同意できない議論もあるが,興味深い議論もあって,なかなか独創的な本だと思う.



関連書籍

Prehistory: The Making of the Human Mind (Modern Library Chronicles)

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原書

ことばの考古学

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同じくレンフルーによるインド=ヨーロッパ言語の拡散と農耕を結びつけた有名な本.


考古学―理論・方法・実践

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このような本も昨年訳されているようだ.未読



農耕起源の人類史 (地球研ライブラリー 6)

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農耕の起源を扱った大著. 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080911