「人は意外に合理的」

人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く

人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く



アリエリーの「予想どおりに不合理」と同じ時期に出版されていて,日本では比較して書評されていることも多いようだが,本書は人が合理的かどうかをひたすら問題にしているわけではないし,行動経済学を批判しているわけでもない.原題の「Logic of Life」からわかるように,むしろ人がミクロ的なインセンティブに如何に反応しているかを追求した知的試みだと評価できるだろう.(そういう意味では邦題はミスリーディングだ)


とはいえ,最初に取り上げられるのは行動経済学の知見にかかるものだ.カーネマンやトヴェルスキーによって取り上げられた「所有効果」により人はいったん所有してしまったものを高く評価する.しかし熟練したトレーダーはそれを克服できることを示した実験が紹介されている.
もっとも行動経済学者も心理学者もこのことには異論はないだろう.まさにゲアリー・マーカスが強調しているように,人には直感的な評価システムと意識的な熟考によるシステムがあり,意識的な熟考システムはトレーニングにより無意識的に使えるようになる.当然熟練したトレーダーは直観的な判断を上書きできるようになるのだ.

この問題に関して本書が面白いのはここからだ.これまでブラックジャックの戦略(カードカウンティング)が紹介されたものはよく見かけるが,本書ではポーカーの戦略が取り上げられる.ポーカーでどのような場合にブラフを用い,どのような時にレイズし,そしてオールインをするかについての最適戦略がゲーム戦略的に解かれ,直感に頼らずにトレーニングを重ねたプロがそのような戦略を応用した話が紹介されている.(顔の表情やくせなどでブラフを見抜くことはできないという前提での戦略なので,残念ながら素人がこれを利用するのは難しいだろう)


次の話題は薬物中毒だ.これは人の不合理性の典型のようなものだが,ハーフォードはどう合理性を読み込むのだろうと興味を持たせるところだ.ハーフォードは,このような双曲割引的な判断は1人の人間の中に2つのプレーヤーがいてゲームをしていると解釈すれば分析でき,長期利益プレーヤーとして合理的な戦略が立てられるという.1人の人格の中に2人のプレーヤーがいること自体は不合理としか表現できないだろうが,そこを突き抜けているところが面白い.


ここからはインセンティブを通じて物事を分析するといろいろな事象が理解できるという事象が次々に紹介される.まず恋愛市場において男女は様々な状況に「合理的」に反応していることが描かれている.このあたりの話題は進化生物学になじみのある人なら非常に納得的だろう.マンハッタンのような競争社会には金持ちの男性が集まり,その魅力にひきつけられ結果的に女性過剰になること,ピルは男性により簡単にセックスできる状況を作り出し結婚のインセンティブを低下させ,女性はより競争が厳しくなり,女性の高学歴化の圧力になること,また家事が簡単になることで,女性にとっての保険としての就職率が上がり,離婚という選択肢が浮上するにつれて男性のDVが減少することなどが語られている.


次に人事評定のパラドクス.ここで面白いのは,昇進が仕事をするインセンティブだとすると,上司はさぼっていて高給を取っているほどそのインセンティブが強くなるという指摘だ.まさか現実の会社の多くはそこまでナイーブではないだろうが,一面の真理があるようで面白い.ハーフォードは最近のCEOの高給はエキュゼクティブたちへのインセンティブだと議論していて,なかなかシニカルだ.ここではストックオプションを巡る状況も詳しく解説されていて興味深い.


ちょっと重い話題としては人種差別の問題が取り上げられる.ほんのちょっとしたインセンティブで都市がスラムとそうでない地区に分離していってしまうことや,同じくちょっとした平均値の差が,雇用者側にラベル付けの合理性を与え,それが被差別側の向上のインセンティブを減じる悪循環のメカニズムを取り上げたあとで,アクティングホワイトの問題が論じられる.アクティングホワイトとは,「白人の真似」というほどの意味で,アフリカ系アメリカ人の子どもたちの間では勉強することがいじめの原因になっているという現象,あるいはそのような現象が本当にあるのかという問題を指していて,アメリカでは真剣な議論があるようだ.ハーフォードは,まず適切な調査方法で調べればその現象の実在は疑い得ないと述べたあと,マイノリティグループの中で1人脱出計画を持っている者は周りから信頼されなくなるというメカニズムを指摘している.ハーフォードはいくつかインセンティブをうまく作るような改善策を提案しているが,いずれも問題の根の深さを感じさせる.(その中には本を読んだら直接お金を払うというものまである)


次は都市について.都市は実は非常に魅力がある場所だと説明する.その人を引きつけるもっとも大きなインセンティブは,多くの人と簡単に出会えることだという.そしてデジタルテクノロジーはその魅力をさらに増加させていると議論している.(インターネットで知り合った人とさらに簡単に会うことができる)都市は一人あたりエネルギー消費も効率的で,環境問題を真剣に考えるなら,今の都市からの締め出し政策(ゾーニング規制など)は間違っていると論じている.


次は政治過程について.選挙への無関心はミクロ的には合理的(選挙に行くコストに対して,結果を1票が変えられる可能性はきわめて小さい)だとし,少数派の重大な利益に関してロビイストや圧力グループが生じる事象を説明している.
そして革命はそのような局所的な問題をフォーカルポイントにして権力に勝利したあとのコミットメント問題だと分析してみせる.つまり誘拐犯のジレンマと同じで,権力に約束を守らせるにはどうしたらいいかという問題だというのだ.そして個別の政策ではなく,制度問題にしてしまえばそれの変革は難しくなるので,そのような解決方法がとられることがあるのだと議論している.なかなか面白いとらえ方だ.


ここからハーフォードはさらに野心的に歴史の分析にも踏み込む.名誉革命の真の意義は,国王の権力を制限したために,国王の約束は信じてもらえるようになったことだ.(絶対的な権力を持つ国王は借金を踏み倒すことが合理的になる)だから英国は王権が弱まった結果として資本を導入でき,産業革命に一歩先行することができたのだ.そしてヨーロッパが,1500年から1800年にかけてグローバルな視野から見て決定的に裕福で強力になったのは制度が原因だと論理を広げる.新大陸との交易のあと伸びてきた商業資本にたいして財産権の保護と法の支配を認めたことが重要だったという指摘だ.
最後にハーフォードは,マルサスの間違いは,技術進歩が等差的にしか進歩しないと考えたことだと指摘する.ハーフォードによれば進歩スピードは人口に比例するのだ.(ちょっと面白そうな微分方程式が生まれそうだが,そこまで議論されているわけではない)それが新大陸と旧大陸の差だったのではないかという指摘だ.なかなか面白い論点で興味深い.


本書は様々な事象を取り上げて,インセンティブに反応する人がどのようなダイナミズムを社会に与えるかを議論している.ハーフォードのスタンスは時にシニカルで,時に真摯だが,取り上げる話題は非常に知的好奇心を刺激するものが多く,人の選好や社会について興味ある人には大変楽しめる一冊になっていると思う.



関連書籍

原書

The Logic of Life: The Rational Economics of an Irrational World

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同時期に出版されたアリエリーの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090201

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

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