日経サイエンス ダーウィン記念特集 その1

shorebird2009-02-27


ダーウィン生誕200年,「種の起源」出版150年を記念し,各誌で行われているダーウィン特集.日経サイエンスでは4月号に「進化する進化論」という特集を組んでいる.本家サイエンティフィックアメリカンの題は「The Evolution of Evolution」
雑誌として一般にもわかりすい言葉でちょっと小粋な題にしたいというところは仕方がないところであるのだが,意味的には「進歩する進化学」とでもすべきところが直訳では「進化する進化」.そして実際には「進化する進化論」と題されていて,ちょっと気になるところだ.表紙はダーウィンの写真にいろいろな写真がコラージュされたものだが,ちょうど眼のところがチンパンジーの眼のコラージュになっていてなかなか面白い.



冒頭は「進化する進化論」
サイエンティフィックアメリカン編集部のスティックスによる記事.原題は「Darwin's Living Legacy」素直に「今も生きるダーウィンの遺産」とでもしておけばよいのに日経サイエンス編集部はよほど「進化する進化論」という言葉が気に入っているのだろうか.「進化論」という言葉の使い方は私的には気になるところだ.

あまり焦点の定まらない記事だが,ダーウィンフィンチのつかみから始まり,ダーウィンの考えが現在に至るまで耐え抜いたものであること,本特集の趣旨,ダーウィンの生涯,その考え,その後のこの考え方の広がりを紹介している.
本文記事はどうというところもないものだが,コラムでダーウィンの名言集が載せられていてその中の1つが面白い.曰く「私が私の課題に没頭するのと同じぐらい誰かがある課題に没頭してしまったとしたら,それはその人が呪われた悪魔に取り憑かれたようなものだ.」



2番目はH. A. オールによる「ゲノムから見た自然選択のパワー」
原題は「Testing Natural Selection with Genetics」「遺伝学を用いた自然淘汰の検証」ぐらいの感じだろう.
さてこの記事は結構問題含みだ.

最初に自然淘汰の概念を説明し,そのゲノム的な意味,集団遺伝学における取り扱いを解説している.
続いて問題として「自然淘汰は集団の全体的な遺伝子構成の変化にどれぐらい関わっているだろうか」ということを取りあげる.オールは1960年代までは「ほぼすべて」と考えられていたが,木村資生の中立説は一般的に分子進化は中立的な浮動で生じると主張したと解説する.さらにこの中立説の主張は受け入れられていたが,最近得られている知見では自然淘汰がほとんどの中立進化論者の推測よりも遙かに大きな役割を果たしていることが証明されたとしているのだ.ビガンとラングレーによるショウジョウバエの2種の遺伝子比較を統計的な手法で検証したリサーチが引かれていて,6000個の遺伝子の19%は中立進化でないとわかったというのだ.
私はこのリサーチについては知らないが,なかなか微妙な話ではないだろうか.(個人的には「統計的手法」の詳細が気になるところだが)反論もありそうだし(これは監修という名で三中信宏先生もやんわりと注を入れられている),19%という数字の解釈も微妙だ.

別の問題として「適応や種分化についてどの程度の数の遺伝子が変化しているのか」ということをあげている.ここでシェムスケとブラッドショーのミズホオズキの生殖分離の研究を取り上げて単一遺伝子で自然淘汰さらに種分化が起きうるのだと結論づけている.確かに単一遺伝子の変化で花の色が変化し,送粉者の組成が変わる(マルハナバチとハチドリで花の色に対する好みが異なる)ことが示されている.しかし単一遺伝子でも大きな変化が生じうるのは当然で,本当に興味深い問題は,単一の場合,複数の場合,多くの遺伝子の場合がそれぞれどのような割合なのか,性質によってその組成が変わるかということではないだろうか.

いずれにしても2つの問題ともまだまだ未解決だという印象で,あたかも解決済みのような記述には首をかしげざるを得ない.


なおこの記事のコラムには,サイエンティフィックアメリカン編集部による「群淘汰」の解説記事がある.このコラムはD. S. ウィルソンの見解を紹介しているのだが,これにより「血縁淘汰」の考え方が影響を受けるだろうなどと記述され,あたかもウィルソンが新しい理論を打ち立てているかのような書きぶりで,誤解を招きやすいものだろう.「血縁淘汰」理論の拡張はその提唱者ハミルトンによりより一般的に記述された包括適応度の理論として1975年段階で明快に確立しており,遙か最近になって定式化されつつあるウィルソンのマルチレベル淘汰は理論的にハミルトンの1975年の理論と等価である.(ウィルソン自身も等価であることを認めている)いわば「ものの見方の違い」に過ぎないことをきちんと紹介すべきであると思われ,大変不満の残るものだ.
(D. S. ウィルソンの見解とハミルトンの包括適応度の関係についてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080330参照)



3番目は発生生物学者のD. M. キングズレーによる「多様性の源:複雑な生物を生む力」
原題は「From Atoms to Traits」大まかにいうと生物のいろいろな特徴が分子レベルでわかってきていることを説明している記事だ.
最初のつかみは「種の起源」初版本に関わるもので,いかにも特集記事らしい風情だ.出版当時の著名な自然哲学者ハーシェルに献本された「種の起源」にはハーシェルの書き込みがあり,自然淘汰の源にある「変異」がどこから来るのかが示されていないことからダーウィンの考えに納得していなかったことがわかると紹介されている.そしてそのような変異の源が今や解明されつつあるという趣旨だ.
メンデルの法則の再発見,DNAの発見,遺伝子によるタンパク質合成,その発現の調整などの知見が解説されている.そして遺伝子レベルでの変異が生じる仕組みやその変異がどのような経路を経て特徴としての変異になるのかと進んでいる.最後は人類に見られるいろいろな変異の解説もある.
自然淘汰の源となる「変異」を主題にするとして,発生生物学者ということでこのような記述になるのだろうが,もっと究極的になぜ変異が保たれるのか(なぜ自然淘汰でもっとも適応度が高いものだけになってしまわないのか)という疑問こそ,ダーウィニアン的なものであり,そこの解説がないのはちょっと寂しいところだ.



4番目は「人類の系図」と称して1ページの記事に,サヘラントロプス・チャデンシスからホモ・サピエンスまでの人類の系統樹が3ページの絵巻物になっている.ちょっと小粋なインターミッションというところだ.


(この項続く)