ウォーレスの「ダーウィニズム」 第1章〜第2章

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例


種の起源」に続いてウォーレスの「ダーウィニズム」についても気づいたところをノートしてみた.本書は昨年12月の出版だが,アマゾンでは既に新刊は入手できなくなっている.まだほかのオンライン書店では入手可能なようだが,あまり部数は刷っていないのかもしれない.確かにそんなに売れる本ではなさそうだ.


さて本書の構成だが,まずウォーレスはダーウィンの「種の起源」の説明順序を変えている.ダーウィンは「家畜にみられる変異と人為淘汰」「自然における変異」「生存競争」「自然淘汰」「遺伝と変異の法則」「学説の難点」と進んでいる.ウォーレスはまず「生存競争」から入り「自然における変異」「家畜に見られる変異」「自然淘汰」「学説の難点」としている.
ダーウィンはまずよく知られている家畜の例を出して生物が変化して行くものであることを理解してもらってから自然の生物に進んでいるが,ウォーレスは最初から自然の生物について議論して,家畜の例は傍証として扱っている.これは生物進化がある程度受け入れられているの中ではむしろ自然な順序だろう.確かに「種の起源」を現代の読者が読むときに最初に驚くのは家畜の話が最初に延々となされることだ.


第1章 What are “Species” and What is Meant by Their “Origin” 「種」とは何か,またその起源の意味するもの


最初にウォーレスはダーウィンの偉大さを強調している.ダーウィン以前にはどのような考えが世の中の主流だったか,そしてそれをダーウィンはいかに劇的に変えたのかということだ.ウォーレスのダーウィンに対する敬愛の情が伝わってくる.確かにダーウィンは20年間で世の中の認識を劇的に変えたのだ.


第2章 The Struggle for Existence 生存競争


ダーウィンは生存競争が厳しいものであることをいろいろ説明しているが,ここの説明戦略はウォーレスも同じだ.たいていの人は自然は穏やかで秩序正しく平和なものだと思っているがそうではないと強調している.
説明方法としては様々な例を挙げている.帰化植物との競争,捕食・被捕食関係,わずかな生態条件が大きく生物相を変えてしまうことなどだ.
具体的な例で面白いのは,ヨーロッパの森林の遷移についての説明だ.カバノキがブナ林に遷移していく様子を始め,モミとブナ,ヤマナラシとカバ,カシなどの競争について詳しい.恐らく一般には森林が遷移していくものであるということがあまり理解されていなかったということなのだろう.
アルゼンチンのパンパスでなぜ草原が卓越するかについては,干ばつ気候が重要で,その際に樹木は根こそぎ飢えた草食獣に喰われて定着できないのだと紹介している.この説明は今でも妥当しているのだろうか.

生物の幾何級数的増加については,まず小鳥を例にとっている.英国で小鳥の数が爆発的に増えないのは毎年5000万羽以上競争に敗れて死んでいるからだと説明している.小鳥好きの人には衝撃的だろう.(ここからくる帰結は小鳥の自然寿命が15年以上あっても平均寿命は1年あまりだということだ.)
またこのような制約がかからなかった例として,アメリカ大陸で野生化したウシやウマの初期の増加ぶりも紹介されている.50年ぐらいで結構増えたらしい.
繁殖速度が遅くても極めて多数になりうることにについて,ダーウィンはゾウの仮想例で示しているが,ウォーレスはリョコウバトの実例をあげている.当時はまだ大量に生息していたのだ.ここは歴史を感じさせる.


ダーウィンが強調している近縁種で競争が激しいことについてもいろいろな例を挙げている.ヤドリギツグミとウタツグミ,ドブネズミとクマネズミと身近な分かりやすい例を挙げている.


第2章の最後の部分ではこのような生存競争が激しいことについての倫理的な側面についてコメントがある.
じつはダーウィンは「種の起源」生存競争の章の最後で珍しく感傷的な一文をいれている.“When we reflect on this struggle, we may console ourselves with the full belief, that the war of nature is not incessant, that no fear is felt, that death is generally prompt, and that the vigorous, the healthy, and the happy survive and multiply.” ということで,生物に恐れはないし,活力があり健康で幸運なものが生き残るのだと考えて慰められるといっている.
ウォーレスはこの一文を拡大解釈ししようとしているようだ.ハクスレーはこれを自然に倫理はないと理解しているが,そうではないのだといい,動物に苦痛はないこと,感情や恐怖も無く,生きる喜びにあふれているのだと主張している.これはウォーレスの自然観というより宗教観の表れであるが,恐らくダーウィンとは相当距離があるだろう.ダーウィンの上記文章については,恐らくあまりに見も蓋もない現実について読者にちょっと気遣いしたのだというのが私の解釈だ.