ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第1章

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)



ダーウィンの信じた道」を読んだ直後であり,ダーウィン生誕200周年の今年,この新しい視点も踏まえて,もう一度「The Descent of Man and Selection in Relation to Sex」を読むには良い機会だろう.ということで10年前に刊行された文一総合出版の「ダーウィン著作集」の輝かしい第1巻「人間の進化と性淘汰」を再読してみることにした.原題は”The Descent of Man and Selection in Relation to Sex".通常日本では「人間の由来」あるいは「人間の由来と性淘汰」と呼ばれている.「ダーウィンの信じた道」の書評にも書いたが,Descentというのは先祖から子孫に血統が下ってくるイメージだから「家系」あるいは「血統」とするのが訳としては近いのだろう.確かにEvolutionや,Originという単語は使っていないが,「由来」というのはこうしてみると中途半端な訳語のような気もする.ダーウィン著作集の訳者長谷川先生は,背景を知らない読者にはこの方がわかりやすいでしょとばかりにエイヤっと「進化」という邦題にしている.「種の起源」を読み返したときと同じく読書ノートを綴ってみたい.


まず巻頭に「ダーウィン著作集」刊行にあたっての編集委員会からの決意の表明がある.
現在の生物科学が分子生物学に代表されるように著しく進んでいる一方で,それが生命の全体像を一般社会に提示できないために,反還元主義という装いをまとった非合理主義が蔓延していると指摘し,「生物進化」を考えることが生命と人間についての統合的な問いに答える道を与えるのだと主張している.そして進化による生命像全体の体系的な説明に取り組んだダーウィンの業績を紹介したいとその熱意を語っている.
このシリーズは中断して久しいが何とか再開して欲しいものだと願わずにはいられない.



第1章 人間が何らかの下等な種に由来することの証拠


ダーウィンは「種の起源」で提示した自身の理論がヒトにも適用できるのかをまず取り扱う.ダーウィン自身当然適用できると考えていたのだが,そこを丁寧に1つずつ見ていこうという趣旨だ.
なおダーウィンは「種の起源」では生物に高等とか下等とかという区別はないのだと言っているが,本書では随所に高等生物,下等生物という記述がある.ダーウィンがややスロッピーになったようにも見えるところだ.読者の一般的な理解に歩み寄ったと考えるのはひいきの引き倒しだろうか.


さてダーウィンは,まずヒトが動物から進化してきたことの直接の証拠を3つの点から並べている.

  1. 肉体の構造
  2. 胚の発生過程
  3. 痕跡器官


身体の構造としては脳についてまず触れた後,病気や寄生虫が霊長類のものに類似していることをあげている.さらにコーヒー,タバコ,酒への嗜好が類人猿に見られることをあげているのはなかなか面白い.クモザルがブランデーを大喜びで飲んだあと二日酔いになり,その後は手を出そうとしなかったエピソードを紹介し,ヒトより大いに賢いと皮肉っている.
また求愛や繁殖の仕方という行動生態面をあげているのもダーウィンらしくて興味深いところだ.


胚についてはイヌと類人猿とヒトを比較し,ヒトの胚の発生過程がイヌのそれより類人猿のそれに近いと指摘している.


痕跡器官ダーウィンが重視していた特徴だ.
頭の筋肉,耳たぶの内側の突起(耳がとがっていたことの名残),嗅覚全般(ここでは匂いとともに忘れていた場所や風景を思い出すことがあげられており興味深い),体毛,特に胎児に一時期現れるもの,親不知,盲腸の虫垂,上腕骨の上顆状窩,尾骨などがまずあげられている.それぞれ目の付け所が面白い.また性に絡んだものとして,オスの乳首,オスの前立性小室などもあげられている.これは進化の筋道で消えなかったものというわけではないが,オスにとって不用なものがついているということも神による創造を否定する根拠としては重要なポイントだったのだろう.
ダーウィン痕跡器官がなぜ成長の経済性を越えて小さくなりうるのか(大きな器官が小さくなるのは,それを作るためのリソースの節約という観点から自然淘汰で説明できるが,もはや十分小さくなった器官もさらに痕跡化することは自然淘汰で説明できないと感じていたようだ)を問題にし,このため自分はパンジェネシス説を唱えたのだと言っている.自然淘汰のパワーをもっと信じていればよかったのにという感想を持つほかないが,この痕跡の議論とパンジェネシスの関連も興味のある部分だ.この部分の説明はこの前著にあたる「家畜と栽培植物の変異」の後半部分にあるようだから,いつか読んでみたいものだ.


ダーウィンはこの3点からいってヒトが動物から進化したことは疑い得ないだろうと結論づけている.