ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第2章

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

The Descent of Man (Penguin Classics)

The Descent of Man (Penguin Classics)


第2章 人間と下等動物の心的能力の比較


第2章と第3章でダーウィンはヒトの心的能力を問題にする.ここはウォーレスに賛同してもらえないところ*1の1つで力が入っているようだ.


まずダーウィンはヒトと動物では心的能力は大きく違っているようだが,しかし心的能力も連続しているのだと主張している.*2


1. 本能
そのことを考察するためにダーウィンが始める最初のトピックは「本能」だ.「ヒトに本能的な行動が少ないのは動物とのあいだで断絶があるからなのではないのか」という疑問に答えようとしている.ダーウィンは本能の定義を示していないが,おおむね,意識や熟慮をしなくともできる行動パターンという意味で使っているように思われる.
ここではまず単純な本能から複雑な本能が自然淘汰で生じうることを説明している.不妊のアリやハチが複雑で本能的な行動をみせることから見てそれ以外の説明はあり得ないと言っている.ここでのポイントは本能と知能で同じ脳のリソースを取り合う可能性があることを指摘しているところだ.知能をつかってアリやハチのようなことをするには非常に大きな能力を必要とするだろうということだ.だからヒトは類人猿に比べて本能的な行動が少ないのだが,しかしそれは連続しているという議論だ.

ここはダーウィンの議論の仕方の面白いところだ.本能が少なくなることは単純な自然淘汰では説明しにくい(つまり自説の弱点)と感じていたのだろう.そこで限られた脳のリソースの節約という議論をしているわけだ.そのような論点を最初に持ってくるところがいかにもダーウィンらしい.


2. 感情
次のトピックは「感情」になる.ダーウィンは動物の行動は感情によりコントロールされていると考えていたようだ.ヒトや動物の行動が単純に行動パターンとして遺伝するのではなく,感情という中間コントロールがあるという理解は非常に先進的だ.(未だに行動と遺伝子が1対1で対応しているという誤解を前提にした様々な生物学批判があることからもダーウィンの深さがわかる)


ダーウィンはイヌやネコに喜び,苦痛,幸福,惨めさの感情があるのは明らかだとしている.アリにも喜びがあると言っているのはご愛敬というところだ.イヌやネコが喜んでいるかどうかを客観的定量的に示すのは確かに難しい.しかしイヌを飼ったことのある人には当然わかるはずだということだろう.ダーウィンの擬人的態度としてよく批判される部分だが,私達は後のスキナー達の行動主義な態度になおひきずられているのかもしれない.「イヌを飼ったことのある人なら,証明されていなくてもイヌに感情があるという方がずっとありそうだと感じるだろう」というのは直感的には頷ける態度のようにも思われる.


ここから初めてダーウィンは多くの例を挙げている.恐怖,母親の子供への愛情,嫉妬,退屈,ヘビへの恐怖,模倣,注意力,記憶力,想像力(これはイヌやネコが夢を見ているだろうと主張されている),理性(イヌが氷の薄いところを避けることなどの逸話に基づく)などだ.面白いものもあるが,ややスロッピーだと評価せざると得ないだろう.


3. 知的能力
老いたキツネほど罠にかかりにくいこと,チンパンジーの道具使用などが紹介されている.チンパンジーの例は適切だろう.


4. 言語
サルに何種類かの音声信号があると考えられること,イヌに何種類かの吠え方があることが言語の萌芽だと主張している.
鳥のさえずりが,「言語獲得の本能がある」という点で言語学習に近いだろうと考察しているところは,言語自体ではなくその獲得本能を問題にしている.まさにチョムスキーの先取りであり非常に鋭いと評価すべきだろう.
またヒトのプロト言語は,テナガザルの歌のような求愛と感情表現の声からではないかと考察されている.これもなお様々な考え方があるところであり興味深い.


なおヒトの間にある様々な言語について,これは系統性があること,どの言語が効率的かという点で自然淘汰を経ている可能性があることなども指摘している.ある意味文化進化の概念の先取りだろう.ここもダーウィンの先進性が窺えるところだ.


5. 自意識
老いたイヌがかつての獲物のことを回想していないとは言い切れないだろうとの指摘がある.さすがにこのあたりを説得力をもって示すのは難しかったようだ.また美しさへの感覚やきまぐれも動物に観察できると主張している.前者は本書の大きなテーマ「性淘汰」に絡むものだけに力が入るのだろう.


6. 宗教
ここで宗教が出てくるのも興味深い.ここは相当センシティブな論点だったはずだがダーウィンは取り上げている.(もっとも全能の神が存在するかどうかという議論は上手に避けている)
まずヒトの宗教感覚には,全能の単一神を信じる一神教多神教,単に霊的な超自然的存在を信じるという段階があることを当然とし,動物にも最後の段階の萌芽があるのではないかという議論の組み立てだ.
ヒトが霊的存在を信じるのは,想像力と好奇心,特に「物事の説明を求める心」で説明できるとしている.様々な自然現象を説明しようとするときに便利な仮説が霊の存在だという議論だ.これはまさにパスカル・ボイヤーやスコット・アトラン,さらにデネットドーキンスの宗教理解の先駆けだ.
そしてイヌも夢を見るだろうこと(このような迷信は,夢由来である可能性がある),イヌが人がいないところでパラソルが動くと吠えかかったこと,イヌは主人に深い愛情を抱くこと,などをヒトと動物の宗教感覚の連続性を示すものとして取り上げている.さすがにイヌを飼ったことがある人もここはちょっと苦しいと思うかもしれない.

*1:ウォーレスはヒトの知的能力は自然淘汰の産物ではないと議論している.http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090503参照

*2:このような説明をするときにダーウィンは“文明人”と“下等な未開人”と対比して,しかし心的能力はあまり違わないといういう言い方をしている.要するに「文明人>未開人>>>>類人猿であるが,しかし連続している」ということを説明したいのだ.ダーウィンはこの時代の水準ではウルトラリベラルだが現代的には不適切な表現と言わざるを得ないだろう.