ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第7章

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

The Descent of Man: And Selection in Relation to Sex

The Descent of Man: And Selection in Relation to Sex


第7章 人種について


第7章は,「ダーウィンの信じた道」にあるとおり本書最大のトピック,「人種」についてだ.
ダーウィンはここでは「人種と呼ばれるもの」について描写するのが目的ではなく,その違いにどれほど意味があるのか,どのようにして生じてきたのかを探求するのが目的であると宣言している.


まずはその違いについて


ダーウィンはほかの動物における「種」と「品種」の違いについての話から始める.いわゆる【種】問題の議論であり,興味深い.ダーウィンはこの区別についての基準は大きく言って2つあり,様々な形質・特徴の「違い」の大きさ・一貫性という基準と,交配したときの不稔性,あるいは同一地域にいて交雑しないという基準があると整理する.


ここで人種にこれを適用するとどうなるかみようという.ここでダーウィンにはヒトの心には自分たちと同じものに対する識別力が鋭敏になっているという問題があるのだと注意している.(つまりホンの些細な差が大きな差だと感じられて誤解されやすいということを言っている)


そしていかにもダーウィンらしく,まず自説に不利な点(つまり人種が「種」であるという説にとって有利な点)から議論を始めようという.

<自説に不利な点>

  1. 形態,心的性質が異なる.
  2. (エジプトの記録からみて)少なくとも4000年前から黒人種は現在とほぼ同じ形態である.
  3. 地理的な分布がみられる.特にウォーレス線の東西でマレー人とパプア人という境界がある.
  4. 外部寄生虫(シラミ)が異なる.

交配基準については雑種の稔性が下がるという様々な主張がなされているが,ダーウィンはすべて根拠が怪しいと切って捨てている.


<自説「亜種説」に有利な点>

  1. 簡単に混じり合う.特に3人種の混血が何の問題もなく可能である.(これは普通の種においてはまず不可能な出来事だと力説している)
  2. 固有形質だと主張されるものも変異に富んでいる(一貫性がない)
  3. 交雑と無関係に連続して変異している.(通常の分類学者なら「種」の記載をあきらめる.自分が定義できないものに名前はつけられない)そして種と主張する人によって何種あるのかが異なる.(2,3,4,5,6,7,8,11,15,16,22,60,63種という主張がそれぞれある!)

以上のことからダーウィン分類学的には「亜種」が適当だと結論している.現在では連続的でありそもそも分類することができないという言い方が普通だ.人類は遺伝的には通常の動物の一亜種よりはるかに均質であるのでそのような理解でよいのだろう.もっともこれは政治的正しさへの配慮も大きいのかもしれない.



ダーウィンの次の議論は人類の単原発生論と多原発生論についてだ.これはちょっと前の人類の単一起源,多起源論争を思い起こさせてなかなか興味深い.もちろんここでは背後に奴隷制を認めるかどうかという問題があるのではるかに掛け金が高いのだろう.


ダーウィンはここでは一旦進化を認めれば,単原発生論しかあり得ないだろうと議論している.ここは結構丁寧に議論している.分岐し始めた時点ではほぼ同じだったはずだ,様々な相同形質,痕跡器官の状況を見ると各人種が一旦大きく分離した後に収斂した(そういう議論をしている学者がいたらしい)とは考えられない,2つの種類の類人猿からそれぞれべつの人種が進化したという議論は骨の形からしてあり得ないと細かく議論していて,この問題のダーウィンの心の中の掛け金の高さを示している.


では起源からどのぐらい離れているのか.ダーウィンは人種間に髪の毛の色,頭骨の形,全体のプロポーションに違いはあるが,身体全体を見ると数え切れないほど多くの点で互いに非常に類似していると指摘している.さらに心的な性質についても様々なことが言われているが,数多くの心的性質が同じであることはより強く当てはまるだろうと主張している.ダーウィンは個人的経験からもそうであると力説している.
ダーウィンが例示としてあげるのは以下のようなことだ.

  • 踊り,音楽,芝居,絵画,身体の飾りへの好み
  • 表情
  • 分節化された言語
  • 発明の才(弓矢が各大陸で独立に発明されていること)


ダーウィンはさらに「人種の起源はそれぞれ一組の男女だったのか」という設問に答えている.これは聖書のアダムとイヴを意識してのことだろうか.ダーウィンは人種は選ばれた2個体から意図的に作り出されたものではなく,形質が少しづつ有利な方向にずれていった多くの個体から生まれたのだと答えている.ここではダーウィンは人種というのは家畜の品種と言うより分布の広い種の地方的変異に近いのだと強調したいようだ.


またダーウィンは人種は絶滅するかという設問も取り上げている.
ダーウィンは人種の絶滅は部族同士・人種同士のあいだの競争によって生じただろうと答えている.ダーウィンはその勝ち負けは基本的には文明の程度によるのだろうが,詳細については謎が多いといっている.基本的にはこの後取り上げる「どのようにして人種は生じたか」の淘汰圧に関連するトピックと言うことになろうが,ちょうど大英帝国が世界各地を植民地化し,タスマニア原住民の悲劇などが生じていた時期であり.さすがに読むのにはちょっとつらい部分だ.


さてここまできてダーウィンは本書最大のテーマ「どのようにして人種は生じたか」にとりかかる.本書はこれ以降この問題にかかる非常に長い議論と言うことになる.


ダーウィンはなぜこの問題が難しいのかをまず説明している.

  • まず人種の分布は通常の動物の地理的な分布とは異なる特徴がある.南北アメリカでは基本的に似た人種が分布しているし,ヒンドゥー人とヨーロッパ人は同じアーリア系だが似ていないし,セム系であるユダヤ人とヨーロッパ人は似ている.
  • また単純な環境気候要因では説明できないところがある.肌の色は気候原因とされることが多いが,実際にはきちんと対応していない(アフリカと南アメリカでは気候が似ていても肌の色は異なる)し,移住しても変わらない.
  • あるいは寄生虫感染への自然淘汰が原因ではないかと考えて調べたが,その証拠は得られなかった.


そして説明原理として満足できるものがないという.

  • 気候環境,栄養条件,生活習慣など生活条件の違いが直接働いたことでは説明できない.
  • 用不用でも説明できない.
  • 相関の原理も説明としては役に立たない
  • では自然淘汰で説明できるか.しかし人種の違いのうち特に外観については何らかの有利不利があるとは思えない.もしそうなら遙か昔に固定されていただろう.


ダーウィンは人種の違いにおいて自然淘汰がまったく働かなかったということはないと考えているが,その証拠は得られなかったということのようだ.今日ではビタミンDの合成と皮膚癌への耐性というトレードオフから肌の色を太陽光線の強さからある程度は説明できるし*1,様々な感染耐性が地域的に変異の勾配を持っていることも明らかになっている.感染耐性に地理的変異が関係するかというダーウィンの疑問は非常に鋭いところをついているように思う.ダーウィンがこれらを知ったらさぞ喜んだことだろう.
しかしいずれにしても自然淘汰ですべては説明できないというのはダーウィンが強く感じていたことのようだ.


そしてダーウィンは性淘汰こそこの問題の解決の鍵であると主張する.そしてその説明に下巻1巻まるまる費やすことになるのだ.

We have thus far been baffled in all our attempts to account for the differences between the races of man; but there remains one important agency, namely Sexual Selection, which appears to have acted as powerfully on man, as on many other animals. I do not intend to assert that sexual selection will account for all the differences between the races. An unexplained residuum is left, about which we can in our ignorance only say, that as individuals are continually born with, for instance, heads a little rounder or narrower, and with noses a little longer or shorter, such slight differences might become fixed and uniform, if the unknown agencies which induced them were to act in a more constant manner, aided by long-continued intercrossing. Such modifications come under the provisional class, alluded to in our fourth chapter, which for the want of a better term have been called spontaneous variations. Nor do I pretend that the effects of sexual selection can be indicated with scientific precision; but it can be shewn that it would be an inexplicable fact if man had not been modified by this agency, which has acted so powerfully on innumerable animals, both high and low in the scale. It can further be shewn that the differences between the races of man, as in colour, hairyness, form of features, &c., are of the nature which it might have been expected would have been acted on by sexual selection. But in order to treat this subject in a fitting manner, I have found it necessary to pass the whole animal kingdom in review; I have therefore devoted to it the Second Part of this work. At the close I shall return to man, and, after attempting to shew how far he has been modified through sexual selection, will give a brief summary of the chapters in this First Part.

*1:すべてできるわけではなさそうだ.これについては現在も解決しているとは言い難いのだろう