ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第11章

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

Descent of Man

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第11章 昆虫(続き) 鱗翅目


さて第11章はとっておきのチョウの話.ここは丁寧に読んでみよう.
ダーウィンはチョウやガにおいてオス同士の争いがよく見られることをまず記している.中には闘いの際,数ヤード先から聞こえるほどの大きな音を出すものもあるそうだ.


次にダーウィンはこう根本的な疑問を提示している.「チョウの美しさはどうやって獲得されたのか」
考えてみるとチョウという昆虫のあり方は不思議だ.トンボのように流体力学的に洗練されているとは言い難いフォルムであり,飛んでいるときには本当によく目立つ.生存全体の大きな部分が何らかの信号を発することが目的であるかのようだ.

とりあえずダーウィンはいくつもの仮説を並べてみせる.環境の直接効果,何らかの特別な利益,保護色,性淘汰,警告色,擬態などだ.


そしてまず様々な事実を積み上げてから考えようといろいろな事実をあげる.

  • オスメスで模様が似ているもの(タテハ,クジャク,ジャノメ)と異なるものがある.
  • あるグループ12種において,9種はメスが地味で互いに似ていて,オスはそれぞれ独自に派手だ.10種目はオスメスともそれまでのメスに似て地味だ.11,12種目はオスメスともに独特に派手だ.
  • アゲハチョウは基本的に派手なチョウだが,性差は大きいものからあまりないものまで連続的にみられる.
  • ミドリシジミでは多くはオスメスとも美しい,一部のメスは翅の上面のみ地味になっている.


ここからダーウィンは表現型の一般的法則を提示している.まず事実を並べて帰納的に法則を示すという議論の流れだ.

  • オスメスで性差があるものについてはオスが派手になるのが基本.近縁種のメス同士が似ていることから,これはオスの派手さが後で進化した形質だと思われる.
  • 性差は大きいものから小さいものまで連続して観察される.
  • 性差が小さい場合には,(1)オスの派手さがメスにも伝わった場合,(2)オスが祖先型のままである場合,(3)オスが二次的に祖先型に戻った場合であると思われる.


つまりオスが何らかの原因で派手になったということがダーウィンのここまでの結論だ.これは当然ながらウォーレスとの論争が念頭にあると思われる.もっともここでベーツ型擬態がメスにのみ現れ,表面的にメスが派手になる現象を取り上げていないのはダーウィンらしくないところだ.


ではなぜオスが派手になるのか.


<環境直接因>
暑さのせいで派手になるのか?ダーウィンは同じような地域に様々な派手さのチョウがいることからこの説を簡単に否定している.


<保護色,警告色,擬態>
多くの蝶の羽の裏面が止まる環境に似ているのは保護色として説明できるだろう.しかしアゲハやタテハやシロチョウはそうではない.警告色や,それへの擬態であるものも存在するだろう.ダーウィンはここまで認めて,しかし美しさはそれだけでは説明できないだろうと主張している.

ガについては特に前翅の上面が保護色であることが多いだろうとしている.後翅が鮮やかなことは,鳥にそこを狙わせて本体が逃げる機能があるのではないかという議論を紹介している.


<求愛誇示>
ダーウィンはチョウの美しさは基本的には性淘汰形質だと考えていたようだ.それはオスの方が派手であることが最も大きな根拠だが,(ウォーレスはこれについて別の「メスがより保護を必要とする」説を提示していることもあり)さらに様々な根拠を示している.

  • チョウは止まって羽をたたむが,陽が当たると翅を閉じたり開いたりして鮮やかな上面の色が見えるようにすること
  • チョウやガは花の色を見分けていることは確実であり,またアリに見られるように昆虫には一定の知性があると考えて良いこと(選り好みに知性が必要というダーウィンの考えは本書において一貫して表明されている)
  • オス同士の争いがよく観察されていること,メスを雄が取り囲んでいるような場面もよく観察されている(だからメスは選り好みができる条件があるということだろうか,ダーウィンはオス同士の争いがあって,かつメスが必ずしも勝者だけを選ぶのではないと考えているからこのような例を持ち出すのだと思われる.今日的にいうとオス同士の闘いにおける自分の強さのハンディキャップシグナルと,メスの選り好みに対する自分の遺伝的質の宣伝としてのハンディキャップシグナルは,同じシグナルで兼ねられるかもしれないが概念的には区別すべきことだろう.)


自説に不利な事実としては,実際には翅がぼろぼろのオスがメスと交尾できるという観察をあげている.


<ウォーレス説への反論>
さてここからはウォーレスとの論争におけるダーウィンの主張・反論だ.

まずウォーレスがメスはオスを選ばす,オスがメスを選んでいるといっていることに対して,それならメスが派手になるべきだと反論している.
次にウォーレスはメスの地味な保護色こそが説明されるべき自然淘汰形質だと主張しているが,そうであれば,オスの形質が祖先形質であるはずだが,近縁種でメスはにているがオスは異なっていると反論している.ウォーレスはオスの形質は生気があふれて自然に鮮やかさが現れるといっているのだから,それぞれ独自であってもよく,メスが互いに似ているのは収斂形質だと考えていただろうから,ここは議論がかみ合っていない印象だ.


ダーウィンはここで性特異的な形質発現について細かな議論をしている.これは性特異発現性自体(遺伝発現様式自体)は淘汰にはかかりにくいが,もともと性特異的形質(そのような遺伝発現様式)があれば,そのような形質はたとえ最初はそれがわずかであっても簡単に淘汰がかかるだろうという議論だ.これによりメスも派手になるものを説明しようということのようだ.
なぜ遺伝発現様式については自然淘汰にかかりにくいと考えるかについては明確な説明がない.何らかの形質自体と,その性特異的発現様式は少し性質が異なると考えることは理解できるが,時間を変えればそれが不可能というわけでもないだろう.ダーウィンは,そう考えた方がオスに獲得された性淘汰形質が,オスだけに限定されていたり,メスにも現れたりするという観察事実をもっともうまく説明できると考えていたように思われる.


次にウォーレスの「『メスは保護を要する度合いが高い』ので保護色に進化する」という考え方へ反論している.
ここはかなり粘着的な議論になっている.

  1. まず昆虫は子育てをしないので,子供の保護という観点では,産卵後はオス,メスで保護の必要性は同じはずだと指摘している.鳥類については抱卵のために保護色が必要だと議論するなら,子育てをしない動物群で同じようにオスが派手なのは何故なのかと問いかけているのだ.
  2. 次に「オスは複数メスを受精させることができるので,「種」にとってオスの方が保護の必要性がない」という議論について,オスメスが同じように派手なものから同じ割合で捕食されるなら,同じように淘汰されるだろうと反論する.これは非常に現代的な議論で,ダーウィンが「種のため誤謬」に陥っていないことが明瞭に示されているところだ.
  3. 「メスの方が産卵場所を見つけて産卵するまでの繁殖に必要な時間が長く,その間の捕食圧が高い」という議論について,オスの方が早く孵化をしてメスを見つけるために飛び回ってリスクをとっているのではないかと指摘している.
  4. 「メスの方がゆっくり飛ぶ」という指摘については,この影響はあるかもしれないと認める.
  5. 最後にメスのほうがより自然淘汰で地味になる淘汰圧を受けているとしても,性淘汰でオスが派手になる影響が遺伝を通じてメスに与える影響との双方を受けるだろう.もし性淘汰という現象がなければ,地味になる形質が遺伝を通じてオスにも伝わり最終的には両性とも地味になるのではないかと議論している.
  6. 最後にメスに保護色,オスに性淘汰形質へのそれぞれ淘汰圧がかかるという二重の淘汰という考え方についてはとりたくないといっている.あくまで新しく変化したのはオスで,オスメスの性差に種によってばらつきがあるのは遺伝様式のためだということにこだわりたいようだ.ここはよく理解できない.両方の淘汰は別に排他的ではないと思われるので少し残念な部分だ.


このウォーレスとの議論については,オス,メス間で派手な個体が捕食される割合が異なるかどうかが問題だという部分は非常に鋭く,ダーウィンの淘汰に関する考え方が極めてクリアーなのは印象的だ.


<擬態>
ダーウィンはまず擬態現象について整理している.ここはベーツの業績を紹介していて,味のまずいチョウは警告色として鮮やかなこと,それを真似る数の少ない味の良い種は擬態して捕食を避けているのだと説明する.

ではチョウの擬態においてメスのみ擬態するのはなぜか.ダーウィンはメスの方が長い期間捕食圧にさらされるか,メスの方が素速く捕食者から逃げられないなどにより捕食圧が性によって異なり,遺伝様式(これ自体は自然淘汰の産物ではないとダーウィンは考えている)によってメスのみ遺伝するような形質があれば,メスのみ擬態しても不思議はないと説明している.
遺伝様式にこだわっているのは,オスにとって擬態を得ることが不利だとは考えられないし,ダーウィンとしては地味な色が性淘汰によって選択されたとは考えたくないところなのだろう.

大崎先生の「擬態の進化」にある仮説の前半部分(オスとメスで捕食圧が異なる)は既にダーウィンが正しく見抜いていたことがわかる.また後半部分についてもダーウィンはやはり「ではなぜオスも擬態しないのか」という問題に答えられなければならないところまで気づいている.擬態自体にコストがかかるということはさすがにダーウィンも思いつかなかったということだ.このあたりもダーウィンの時代をはるかに先取りした先進性が感じられるところだ.


<幼虫が鮮やかなこと>
昆虫によっては幼虫が鮮やかなことがある.ダーウィンはこれは性淘汰で説明できないことがわかっていたので,特に言及している.まず成虫の色と幼虫の色に特に強い結びつきがないことを示し,幼虫の生活にかかる何らかの淘汰があったためであり,それは恐らく警告色だろうとしている.


ここで2章にわたった昆虫の性淘汰形質についてまとめている.ダーウィンは最後に性淘汰形質についてみると昆虫は鳥に非常によく似ているといっている.