公開講演会 「ダーウィンの知られざる横顔」(日本進化学会2009 SAPPORO 参加日誌 その4)


9月5日(土)


公開講演会 「ダーウィンの知られざる横顔」


大会は終了したが,翌日の9月5日には関連行事として公開講演会が開かれた.もちろんこれにも参加してきた.今日の会場は北大の中でもっとも札幌駅に近い学術交流会館.有名なクラーク像のすぐそばだ.


最初に主催者からイントロということで長谷川眞理子会長から今日の趣旨と講演者の簡単な紹介があった.去年からダーウィン200周年に関しては様々な講演会やシンポジウムが開かれているので,今日はダーウィンが書いた(あまり有名でない)本や,ダーウィンの人となりあたりを焦点に講演会を企画したということらしい.実はダーウィンは植物関係の著作も多いので,その方面の人にも随分声をかけたのだが,植物学者の先生でこの日程に札幌に来られる人がいなかったのだというコメントもあった.確かにそのあたりはなかなか面白い話になったかもしれない.






倉谷うらら 「フジツボダーウィン


6月にでた「フジツボ」の著者による講演.(私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090824#1251110455)この本はとても魅力的でぶっ飛んだ本だった.今講演においても期待に違わずフジツボアクセサリーをたくさんつけてご登場.小さな声で恥ずかしそうにしゃべるのだが,やはり中身は面白く,「ただ者ではない」感を十分醸し出していた.


フジツボ―魅惑の足まねき (岩波科学ライブラリー)

フジツボ―魅惑の足まねき (岩波科学ライブラリー)



最初はダーウィンフジツボ研究について.ここは本では割と簡単に触れられているだけだったので大変面白かった.


ダーウィンはいかにフジツボを愛していたか>

  • ダーウィンは8年間フジツボを研究し,4巻,全1200ページのフジツボの総説書を書いている.これは同時代のオーウェン,20世紀のフジツボ研究者から絶賛されている.
  • ダーウィンは分類をしなければ生物学者として認められないと考えて嫌々フジツボをやっていたのだ」というのは誤解だ.一時期落ち込んでいるときに「フジツボを見るのが嫌になった」という手紙があってそういわれていたが,実はそうではない.
  • このような誤解が生じた背景の一つには,ダーウィンフジツボ本が専門書で分類学ジャーゴンだらけであるため専門家でないと総説を読んでも良く理解できないということもある.
  • しかしダーウィンの書簡プロジェクト(35年前から始まったダーウィンの書簡14500通を詳細な注釈付きで出版するというプロジェクト,全30巻の予定で現在17巻まで,フジツボ時代は3-5巻にあたる.もちろん講演者はこの3-5巻を持っているそうだ)によりフジツボ時代の書簡が公開されて本の裏側にあるダーウィンの考え方などの実情がわかってきた.
  • 実はダーウィンフジツボに魅せられていて手紙にはよく「my beloved barnacles」という表現を用いている.顕微鏡も工夫したものを特注し,相手かまわず推薦する手紙も書いている.

等々と力説し,オーウェン宛の書簡のハンドライティングもスライドで紹介された.


<ではダーウィンフジツボ研究はどのようなものだったのか>
まずフジツボ系統樹について前振.カメノテエボシガイのような有柄類がまず現れ,そこから無柄類が進化して適応放散をしているということが説明され,そこからダーウィンの研究に.

  • ダーウィンフジツボ本で進化については語っていないが,明らかにそれを意識している.
  • フジツボ本の4巻は化石有柄類,現生有柄類,化石無柄類,現生無柄類の順序になっていて実際の進化をたどっている.書簡等をあわせて注意深く読むと,ダーウィンが考えていた系統樹を復元することが可能だ(この復元系統樹についてもスライドで紹介された.)
  • ダーウィンの分類は,現在遺伝子解析により大幅に修正された部分もあるが,引き続き形態との比較は重要で,そこではダーウィンの業績は不滅であり,現代の蔓脚類研究の基礎であり続けている


ここからは付着海洋生物研究者にとっていかにフジツボが愛らしいか,フジツボは実際はどんな生物か,など本と同じ話題がしばらく続いた.
次に7月に英国であったダーウィンフェスティバルの様子が紹介された.イギリスではドーキンスを始め多くの講演者による講演会が連続で開かれ,アッテンボロー卿による晩餐会,ケンブリッジ時代の部屋,ノート,甲虫・フィンチ・フジツボなどの標本等様々な関連展示などがあったとのことで,その様子がスライドで紹介された.なかなかうらやましい限りだ.時間とお金があったら全部参加してみたいような充実振りがうかがえる.
また講演者は現在レベッカ・ストットの「Darwin and the Barnacle」を訳しているそうだ.これは原書は入手したものの未読のままだったので大変楽しみだ.今年中にでるだろうか.


最後にダーウィン種の起源にかかるノートを整理し始めたのはフジツボ本の最終校正を出版社に送った直後であったことを紹介し,「種の起源」執筆中のダーウィンの念頭にあった系統樹は,まさに有柄類から多様な無柄類が分岐して放散したフジツボについてのものだったはずだと講演を締めくくった.


講演後の質疑では,フジツボ本のイラストについての質問があって,絵師の仕事が遅く,ダーウィンが返却しなければならない標本の返済期日を気にしていたというエピソードも紹介された.また長谷川眞理子会長からは,「Darwin and the Barnacle」の次は「Barnacle Sisters」という遺伝か環境かという話題を思いっきり風刺した面白い小説があるので是非それも訳して欲しいと希望が出されていた.
(あとで調べてみるとこれは「A Taxonomy of Barnacles」という題が正しいようだ.)



Darwin and the Barnacle: The Story of One Tiny Creature and History's Most Spectacular Scientific Breakthrough

Darwin and the Barnacle: The Story of One Tiny Creature and History's Most Spectacular Scientific Breakthrough

A Taxonomy of Barnacles

A Taxonomy of Barnacles




渡辺政隆 「ダーウィンと人間」


続いては進化関係の数々の本の訳者として知られる渡辺政隆による講演.今回光文社文庫から「種の起源」の新訳を出すそうだ.これはまた読み直さなければなるまい.本人によると八杉版との違いとしての最大のポイントは題の「起源」の「源」に「さんずい」がついたことだそうだ.(これをニコリともせずに言うところが英国風ユーモアを意識しているのだろうと思わせて愉快だった)
さて講演はダーウィンの歩んだ道や人柄を振り返るというもので,ダーウィンファンにはおなじみの彼の人生が語られた.
私的に面白かったところをいくつかあげよう.

  • シュルーズベリの上空からの写真が示されて,どこに何があったかという解説があり,町の成り立ちがよくわかる仕掛けだった.
  • 「Annie's Box」のランドール・ケインズの息子が俳優になってナルニア国物語の次男役で出ているそうだ.
  • 彼の葬儀は有料だった.
  • ダーウィンの好んだ散歩道をバックにした表紙で「Sandwalk Adventure」という題のダーウィンと進化を扱った漫画があちらで出版されていてなかなか面白いそうだ.

最後にダーウィンの業績を振り返り,「種の起源」は偉大な預言書と見ることもできるといって講演を終えた.


種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

これが種の起源の新訳.下巻は12月に出るそうだ.



The Sandwalk Adventures: An Adventure in Evolution Told in Five Chapters

The Sandwalk Adventures: An Adventure in Evolution Told in Five Chapters






内井惣七 「ダーウィンの思考をたどる」


最近「ダーウィンの思想」を出した内井惣七による講演.この本の中から,今日は時間が限られているのでビーグル号から結婚までの期間について話しましょうということで,ライエルの影響と道徳の起源についての話になった.(なお私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090829

ダーウィンの思想―人間と動物のあいだ (岩波新書)

ダーウィンの思想―人間と動物のあいだ (岩波新書)



さて,そもそも「ダーウィンの思想」を書くきっかけになったのは,内井がジャネット・ブラウンのダーウィン伝記を読んでいたら,2巻のライエルの扱いがあまりにひどいので頭にきたからそうだ.
そして内井はライエルをきちんと全部読んでみた.ライエルは斉一説をきちんと生物にも応用しており,斉一説の観点から種が変わっていくことは否定,しかし地理的分布,絶滅についてはよく考えており,生物界についても絶滅がある以上どこかに種の誕生があるはずだと指摘していた.またダーウィンのビーグル号での経験は地質学者としてライエルを応用していると考えると非常によくわかるという.例としてサンチャゴ島の崖の図,パタゴニア平原の地層図,アンデスのアドベンチャーの地図,地形図があげられていて,これは本にはなかったので非常によくわかった.
ライエルの限界は種の変化の否定ではなく(これは後年考えを改める)人間の卓越性の根拠(その理性,道徳性)についてのところだ.しかしダーウィン自然淘汰を思いついた直後,道徳も進化で説明できると思いつき,ライエルの限界を軽々と超えていったのだ,そしてこれは誰も強調しないが,非常に重要な点だというのが内井の主張だ.


「私は英語と関西弁しかしゃべりません」という冒頭のつかみから始まって非常に面白い講演だった.ライエルについては内井のいうとおりなのだろう.しかし道徳の起源については,やはり,合理的な思考が自然淘汰をヒトに応用すれば,道徳も進化的な産物だと考えるのは当然なのではないだろうかという感想だ.ライエルやウォレスは確かにここに引っかかってしまった.しかしフッカーやハクスレーは問題なく受け入れたのだろう.あるいは私はあまりに後出しじゃんけん的なのだろうか.


たしかに利他性の進化についてのハミルトンやトリヴァースの業績,道徳の進化というフレームワークについてのE. O. ウィルソンの苦闘に対して,ダーウィンは100年先を行っている.そしてダーウィンの道徳の進化に関する業績において本当に評価すべきところは,単にそれが進化によるものだと考えたところではなく,自然淘汰でどのように進化できるのかを具体的に説明しようとしたところだ.利他的な行動を自然淘汰で説明するのは非常に難しい.(だからこそウォレスはここに引っかかったのだ)ダーウィンは道徳の進化において単なる群淘汰的な議論に陥ってしまわず,その適応の筋道をまじめに考え,血縁的な要素,互恵的な要素などの後の時代の様々な考え方の萌芽的な思考を行っている.この部分こそその先見性を高く評価すべきところだと思う.



講演後はいろんな質問が出ていたが,さすがに関西の教壇に長く立っていただけに,さばきは見事の一言.「働かなくても良いというダーウィンの境遇は実に素晴らしい,私は定年になって年金暮らしになって,アホな学生を教えなくてもよくなり本当に自由だ」などと聴衆を沸かせていた.


最後に簡単に長谷川眞理子会長から締めくくりの言葉があった.18世紀から19世紀初頭のヨーロッパと19世紀中盤以降のヨーロッパがいかに変貌を遂げたかということを思想家,音楽を例にとって見せようとしていた.ヨーロッパの知的風土における非常に大きな自由で進歩的な風の中にダーウィンはいたのだという説明で面白かった.



以上2009年の札幌大会は終了である.美しい北海道のさわやかな大会であった.
これはついでに足を伸ばした富良野の風景である.