ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第19章


ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)


第19章 人間の第二次性徴


現生動物から始まり,昆虫,鳥類,哺乳類の性淘汰形質を次々と見てきたダーウィンは最後に人間の性淘汰形質に進む.

まず冷静にヒトには性差があることを指摘する.哺乳類としては差は大きい方だというのがダーウィンの評価だ.

  • 身体的特徴:身長,体重,力,筋肉,眉上隆起,毛(ヒゲを含む),声,(肌の色については男女で濃さが違うという報告もあるが真偽不明と留保している)
  • 精神的特徴:勇気,けんか好き,活気,発明の才(最後については現在の感覚からは性差別的だとの非難を免れないところかもしれない)
  • 脳の大きさ ダーウィンは身体の大きさを補正した場合にはどちらが大きいかは不明だとしている.訳注では補正後もわずかに男性が大きいようだが理由は不明とある.
  • 身体の丸み,成熟の早さ,(骨盤の大きさは第一次性徴だろうとある)


このような性差は成熟後に大きく現れること,その結果子供同士はよく似ていること,去勢すると発現しないものが多いことを強調し,全般的に霊長類の性差と強い類似が見られる(オスの方が大きく強い,メスの成熟が早い,オスの方が全般に毛深く,ヒゲがあり身体のほかの毛より濃い,オスの方が大胆で攻撃的である)と指摘している.


ここでダーウィンは人種差についても子供の頃は小さいとコメントしている.またヒトの特徴としては,変異が大きく,人種間で違いが見られることだともコメントしている.ヒゲの量や身長差も人種間で大きく違うといくつかの例(日本人にはヒゲがないと記述があり,ちょっと面白い)を挙げている.このあたりは後の人種の起源の説明の前振りということだろう.


<闘争の法則>
ヒトの男性間の闘争の多くが女性がらみであることは,未開人(本書においてこの表現はよく見られるが,おおむね現代なら狩猟採集民の人たちを指しているということでダーウィンの言いたいことは理解できる,ダーウィンの時代には怪しいものも含めて様々な民族誌的な報告がロンドンに集まっていたようだ)でもそうだし,古代の記録からもそうであるとギリシアのヘレナの例を挙げている.
ダーウィンは文明人のあいだでも男性が大きくて強いのは,女性を巡る戦いのための性淘汰形質が祖先形質であると考えればいいが,現在でも生存のために働くという淘汰圧がかかってそのような形質が保存されているのだろうとコメントしている.これは文明人はもはやそのようなことで闘争していないではないかという批判に,ちょっと苦しいながらも,前もって答えているのだろうと思われる.文明以降の歴史の浅さから狩猟採集時代の淘汰形質が残っていると答えれば十分と言い切るだけの材料がなかったダーウィンの苦心がしのばれるところだ.


<両性の心的能力の差について>
現代ならフェミニズム陣営が大騒ぎする極めて政治的に危ない話題だ.
ダーウィンはまず,ウシやブタやウマについてオスとメスで性格が異なることに誰も反対しないだろうし,大型類人猿についても動物園の飼育係はオスとメスで性格が異なると証言しているとコメントがある.これはダーウィンの時代でもヒトの男女で性格が異なるのは自明だというのは(政治的に)問題があったので慎重に議論しているのだろうか.


ダーウィンはまず女性をほめるところから始めていて,いかにもヴィクトリアン的な配慮が感じられる.

  • 女性はよりやさしくて自己犠牲的だ.
  • 男性は競争を好み,野心的で,容易に利己的に成り下がる.


しかしここからは当時の常識的男性優位的な認識が現れる.証拠はないわけだから,あまりダーウィンらしくなくちょっと残念な部分だ.

  • 男性は直感,素速い認識,模倣に優れ,深い思考,理性,想像力,感覚と手の動きによる仕事能力にも優れる.
  • 男性は詩,美術,音楽(作曲,演奏両面),歴史,科学,哲学にも優れる.

ダーウィンはこの後半部分について,ゴールトンの平均からの逸脱の議論を使えば男性の方が平均的な心的能力が高いことがわかると言っている.これは珍しくダーウィンが理論的に誤っているところのように思われる.仮に優れた科学者や音楽家に男性が多いとしても,それは男性の方が分散が大きいことを示しているにすぎないかもしれないのだ.(このあたりはサマーズが正しい議論をしたにもかかわらずハーバード学長の職を棒に振ったところでもあり,理解が難しいところなのかもしれない)


女性を巡る争いは心的能力にどう影響を与えるか.
ダーウィンは単に身体が大きく強いだけでは駄目で,勇気,忍耐,意志の力が重要だと主張している.


ダーウィンは,このような闘争に勝つための知的能力は性淘汰形質であると考えられるのであり,男性に獲得されたこの知的能力が女性にも遺伝でかなり伝えられたのだろうし,それは幸運だったとコメントしている.もし遺伝発現様式が男性に限られるものであれば,男性と女性は大きく異なる知的能力を持つようになっていただろうという意味だ.
考えてみると一般的知的能力のうち,どのぐらいが性淘汰形質であるのかは興味深い問題かもしれない.


(なおダーウィンは先ほどの文明人のあいだでも残る知的能力への淘汰圧力の議論を進めていて,女性の場合には高い教育を受けて最高度の能力を発揮させ,さらにそういう女性が子だくさんになるようにしなければ直接知的能力への淘汰は働かないだろうと述べている.もともと無理のあるところを進めた推論である上に,一部獲得形質の遺伝の議論が混入しているので珍しく論旨がぼろぼろだ.いずれにせよ知的能力の高い女性がもてれば最終的に条件のよい男性と配偶してより多くの子孫を残すことはあり得るだろう.)


<声と音楽的才能>
この部分のダーウィンの議論はなかなか深い.ジェフリー・ミラーの「Mating Mind」(邦題「恋人達の心」)の議論を大きく先取りしている.

  • 昆虫,カエル,鳥ではオスがメスへの求愛として音を使う.哺乳類でもメスを惹きつけたり興奮させるために使っている.
  • 音階・リズムは動物の神経システムの生理的な特徴から,それをことさら感知するのだろう.
  • ヒトの音楽や器楽はもともと歌から発しているのだろう.
  • ヒトの音楽は作ることも,楽しむことも直接生存に役立つようには見えないが,文明人未開人ともにこれを愛好しており,不思議だ.(もっとも文明人と未開人で趣味は随分異なるとコメントしている)
  • 音楽を学習することは簡単だ.(ダーウィンは未開人でも学習できるという言い方をしていてちょっと残念だが,鳥のさえずりと同じだろうとも言っている.つまり音楽については本能的な習得能力があると言いたいようだ)
  • 音楽は感情を引き起こす.弁論やスピーチでも感情により抑揚が変わる.
  • これらのことは,昔,歌が求愛に使われていたとすれば容易に理解することができる.

つまりダーウィンは音楽は性淘汰形質だと主張していることになる.


なおダーウィンは男性から求愛したのか女性から求愛したのかはわからないとしている.そして女性の方が声が甘いので女性からである可能性が高いのではないかとコメントしている.

ここはなかなか興味深いポイントだ.ヒトの性淘汰において,ほかの動物と同じように男性が求愛して女性が選り好んだのか,あるいは女性が求愛して男性が選り好んだのか,あるいは両方なのかという重要なところだ.この点に関してのダーウィンの考えは次の章で語られることになる.


<人間の配偶の決定における美の影響>
ダーウィンは文明人においては男性は女性の美しさについて明らかに気にしていると簡単にコメントしている.
そして未開人について考察している.(ダーウィンは狩猟採集民がより祖先的な状況を表していると考えているのだろう.現代の進化心理学ではヒトの心的形質の多くが狩猟採集民であったときに形作られたと考えているので,ダーウィンの考察はその嚆矢と言うことができるだろう.)

  • 彼等は個人的外観を非常に気にする
  • 装飾品に目がない.
  • 肌に色を塗る,傷を装飾としてつける,骨を変形させる,抜歯,ピアス,刺青を行う.
  • ヘアスタイルにも非常に気を遣う.

これらは戦士として恐ろしく見せるとか宗教的な理由だとかでもある程度は説明できるだろうが,むしろ自画自賛,他人からの賞賛が目的だと思われる.ダーウィンはこのように自分を飾ることが世界中どこでも見られるユニバーサルであることを強調している.そしてこれはある特定の文化の影響とは考えられず,ヒトが皆何か共通の心を持っていることを示していると主張している.このあたりは現代の進化心理学の思考方式そのままだろう.


ではこの人達(未開人=狩猟採集民)の男性は配偶において女性の外見にどの程度影響を受けているのか.
当時は無関心という説もあったようで,ダーウィンはこれを否定している.それでは女性達が自分自身の外観を気にしていることを説明できないし,男性のあいだでしばしば女性の美が話題になるという報告もあるとしている.


ダーウィンは美しさを求めることはユニバーサルでも美の基準は文化間で異なると指摘し,人種間での差を上げている.これは当然後の人種の起源につながるところだ.
ダーウィンは最初にホッテントットの女性の脂臀を上げ,それが男性に非常に好まれていることを説明している.これは確かに人種差が性淘汰によるとしたときにもっとも目立つ形質だろう.
ダーウィンは肌の色の好みについて民族間で異なること,北アメリカのある部族では長い髪が好まれ,女性の髪は3メートルも伸びること,身体に毛が生えていることを好むかどうか,ヒゲが好きかどうかなどの差を紹介している.(ダーウィンは日本人などの東洋人の一部にはヒゲがないと思っていたようなので,これは人種差を性淘汰で説明できる面白い形質だと考えていたようだ)


また女性の魅力についてユニバーサルなものもあるという意見があることについてダーウィンは注記している.ダーウィンは,ヨーロッパ人と黒人で,それぞれの少女達のうちどの娘がもっとも魅力的かという点については意見がよく一致するという報告を紹介しているが,やや懐疑的なようだ.ちょっと面白い.


また文明人における服飾の趣味についてもこれは同じ原理と同じ欲望が極限まで推し進められた結果だとコメントしている.ファッションの流行は性淘汰形質だという理解だろう.ダーウィンはピアスや刺青などの身体の改造を必要としないので,より気まぐれで流行の移り変わりが激しいのだろうと示唆している.


<何故男性は美しい女性を選ぼうとするのか>
動物の性淘汰についてのダーウィンの考えの最大の穴は,「何故メスはそんな形質を選ぶのか,コストのかかる形質を持つオスを選ぶことは不利ではないのか」という疑問に答えていないことだ.ウォーレスの同意を最後まで得られなかった要因もこの点だと思われる.しかしダーウィンはヒトの男性の配偶者選びについては少なくとも「設問」としては提示している.「何故男性は美しい女性を選ぼうとするのか」

ダーウィンはこの設問に対して,何故あるものが快く,あるものが不快なのかについてはわかっていないと答えている.美の普遍的基準が心にあるわけではなく,見慣れたものを好み,そこより何らかの誇張のあるものをより好むと言うことではないかと述べているだけだ.


ここはダーウィンの考えが珍しく浅く見えるところだ.ダーウィンの説明は至近因のレベルに止まっている.究極因を問題にするなら,あるものが快くあるものが不快に感じられるのは,通常そう感じた方が有利であるからそのような感覚が進化したのであり,さらに深い理解を求めて「快いものがどのように有利であるか」を問うべきところだ.そしてそれを深く考えていれば,性淘汰理論全体がもう少し早く深まっていたのではないかと思わせる.


関連書籍


ジェフリー・ミラーのメイティングマインド.ヒトの性淘汰形質については今でも一番面白い本だろう.

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature

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邦訳

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

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恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

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