ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第20章


ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

The Descent of Man and Selection in Relation to Sex, V2

The Descent of Man and Selection in Relation to Sex, V2


第20章 人間の第二次性徴(続き)


まず前章の議論を要約している.
ヒトは男性が配偶者選びにおいて魅力ある女性を選り好むことにより女性が美を獲得し,それが両性に遺伝でつたわったのだろう.そして異なる人種は異なる好みを発達させ互いに異なるようになったのだろう.


本章では本当にそんなことが可能だったのかということを検討する.


<性淘汰を阻害する要因>

  • 男性は女性を外見の美しさより精神的な魅力,富,財産で選ぶのではないか
  • 美しい女性と結婚したからといって,より醜い女性と結婚したときと比較して,子の数が多くなるわけではない
  • 女性からはあまり選べなかったのではないか


二番目の点はダーウィンらしくなく,ポイントがずれているように思われる.視点が男性側からというのもおかしい.問題なのは,美しい女性とそうでない女性のどちらが子が多いかであって,配偶機会や,より望ましい男性と配偶することにより繁殖価の期待値が少し多ければ十分だろう.またダーウィンはいかにもヴィクトリアン紳士らしく結婚外の配偶については考慮していないようだ.


ダーウィンは,しかしそれでも性淘汰が働く余地はあっただろうとしている.

  • 英国の貴族は美しい女性を選び続けることにより,中産階級より美しくなったといわれているがそれは正しいだろう.
  • ペルシアの上流階級は美しいグルジア人やサーカジア人の女性を好んで娶ったことにより美しくなったという報告がある.
  • 西アフリカのジョフロ族は事実上妾である女奴隷について醜いものから売るようだという報告がある.


なかなかいかにも19世紀的と言うしかない話だが.つまり阻害要因の最初の点に関してそれでも配偶にあたって美しさという考慮も十分に効いているといいたいのだろう.第3の点(女性からの選択はあったのか)に関しては後に述べられることになる.



<人類は祖先時には乱婚であって性淘汰が効かなかったということはあるか>
これは当時,人類は昔乱婚であり,そこから一夫一妻制が進化してきたのだという説があったことに対する議論だ.ダーウィンはまず,単なる乱婚であればなお性淘汰は働くが,完全にランダム配偶であれば働かないと正しく理解している.当時の一部の論者はランダム配偶に近い世界を描いていたようだ.

さて,ダーウィンは人類が昔ランダム配偶を行うような乱婚だったという説には,まず証拠がないと指摘する.そして類人猿などの配偶システムや,未開人(つまり狩猟採集民)は非常に好色で緩い一夫多妻か一夫一妻であることから考えるとそのようなことは考えにくいと主張する.推測としては小集団の中でそれぞれの男性が一夫一妻か一夫多妻になってそれぞれの家族を守っていただろう,もしかするとゴリラのように一夫多妻単位で集団があったのかもしれないといっている.ここはダーウィンの指摘通りだろう.


<子殺し>
ダーウィンは世界中に子殺しという現象があることをまず指摘して,それを考察している.このトピックは進化生物学者としては避けて通れないところであり,着眼点は鋭いと言えよう.
残念なことはダーウィンはこれについて究極因的な分析をしていないところだ.至近的な心理メカニズムとして,1.食糧難であること,2.女性が子育てにより自分の美しさが損なわれることを嫌がったり,さらによい配偶機会が失われることを恐れる,という2点をあげている.
現在のリサーチから見ると1点目はある程度観察されるが,2点目(特に前半部分は)まず主張されることはないし,そのようなことはないだろう.現代の究極因的な説明では,この子をあきらめて後の配偶機会に賭けた方が有利であるような状況(貧困,上の子と間隔が短い,父親がいない,生まれた子供に障害が見られるなど)と子殺しに相関関係があることが知られている.


ダーウィンの関心は子殺しと性比にかかるもののようで,男子は部族間抗争の戦力になるので子殺しは女子に偏ったのではないか.もしそうであれば性比が男性に傾き,性淘汰圧に影響を与えただろうという考察を行っている.
そのようなことで性比が動いたかどうかはさておき,現代の感覚では,この場合より男性の戦い,および女性の選り好み形質にかかる淘汰圧が強くなると考えるところだが,ダーウィンの議論は,「そういう場合男性は近くの部族から女性の略奪を企画するだろう.略奪の場合には美しい女性を特に選ぶことはできないかもしれないが,その後の交換を通じて男性の選り好みが淘汰圧になり得た可能性がある.」あるいは「女性が少なく一妻多夫的になったかもしれない.その場合には女性が魅力的な男性を選ぶ淘汰圧が生じるだろう.するとハンサムな男性は妻を得やすかったかもしれない」という両方に向かっている.
前半部分はかなり強引な筋道だ.ダーウィンの周りでは事実として男性が選り好む方がよく観察されるのでどうしても男性の選り好みから考えてしまうのだろうか.後半部分も一妻多夫的とまで進めなくても,一部の男性に配偶機会が小さくなるということで十分でないかと感じるところだ.


<女性が子供の頃から婚約すること,女性を奴隷扱いすること>
このような習慣が未開人(狩猟採集民)に見られるという報告があったようだ.ダーウィンはもし完全にそうなら女性からの選り好みは働かないだろうと認めている.またこのような場合には男性側の戦いにかかる淘汰圧が強く働くだろうとコメントしている.
実際には完全に女性の意図が無視されるような社会はないのだと思われる.なおこの点についてはダーウィン自身もう少し後で考察している.


<原始時代における性淘汰>
ダーウィンは現在見られる文明人や未開人(狩猟採集民)のあいだでは確かに性淘汰制限的な環境もあるかもしれないが,さらに祖先的にはどうだったのかと考察を進めている.これは現代でいうとチンパンジーとの共通祖先から別れてホモサピエンスになるまでの淘汰圧の考察ということになるだろうか.


ダーウィンによると,原始時代,強い男が狩猟により食糧を確保し,女性を敵から守って暮らしていただろう,知的能力は現在ほどなくても動物の類推からいって子供への愛はあっただろう,だから当時は子殺しもなく,性比のゆがみもなく,子供の頃からの婚約も女性の奴隷扱いもなかっただろう,この当時は女性も男性も相手を能力でも財産でも地位でもなく外観で選り好んでいただろうということだ.
要するにダーウィンは現在では様々な性淘汰制限要因があるが,原始時代にはなかっただろうと主張している.ここはさすがに考察の根拠もなく,自由に想像していて,ダーウィンによるファンタジーというしかないところだ.今後詰められるべき仮説というつもりで提示しているのだろうか.いずれにしても,このような推論まで行わなくても性淘汰がヒトに対してかかったことは十分説明できていると思われる.



ともかく,ダーウィンの結論は確かに制限要因はあるが,性淘汰は人類進化の過程で働いたとしている.
次に,ではどのように働いたのかというところに議論は展開していく.


<ヒトにおける性淘汰の働き方について>
ダーウィンは次のように議論を展開する.

  • 強い男性は狩猟による食料や,家族を敵から守る能力に優れ,より子を多く持っただろう.
  • そのような男性は魅力的な女性を選り好んで得ることができ,女性には美しくなる方向に淘汰圧がかかっただろう.
  • 家畜が数十世代で大きく変わることから考えて,このような淘汰圧は男性を強く,女性を美しくする方向にヒトを変容させただろう.
  • 部族が変わると好みも変わり,ヒトは多様化していっただろう.


では何故ヒトにおいてはメスでなくオスが選り好む性なのか
ダーウィンはここでヒトのおいて何故選り好む性が逆転しているのかを説明しようとする.
ダーウィンによるとヒトは男性が非常に強いのでほかのどんな動物でもないような状態で女性を意のままに操作することができたのだろうということになる.
これはダーウィンにしては説得力に欠ける議論だろう.ヒトの男性が強いといっても,もっと性的二型が激しい動物はいくらでもいるわけであり根拠としては弱い.さすがに子育て投資を行うために,それを含めた実効性比は高くなく,また女性の質にこだわった方が良いという理屈までは思いつかなかったようだ.


またダーウィンは女性の選り好みもあっただろうと両方の淘汰を認めている.
ダーウィンは(当時)普通に考えられているより女性には選ぶ力があっただろうと議論している.恋人を選んだり,縁談を拒否したり,あとで夫を取り替えるという方法もあるといくつもの民族誌的な報告を紹介している.このあたりはダーウィンの鋭いところだろうと思われる.
ダーウィンはヒゲなどの形質はそうでなければ説明できないと考えているようだ.


結局結論としてダーウィンは双方向からの性淘汰と自然淘汰が合わさって,男性は強い男(大きさ,力だけでなく,勇気やけんか好きなどの心理的形質を含む),美しい男に,女性は美しい女になるように淘汰圧がかかっただろうとしている.
選り好みにかかる心理的形質についてはダーウィンはここでは強調していない.装飾したい心理とか音楽的才能などは前章で議論しているだけにもう少しこの方向をまとめとしても強調しておいてよかったのではないかという感じがする.
ダーウィンの信じた道」に書かれていることが正しいなら,恐らくダーウィンはここまでたどり着いて,いよいよ人種差を説明したいところまできたわけで,人種差説明のために外観について議論を集中させているのだろう.


<人類の特徴,人種差においての性淘汰形質>
ここでダーウィンは人類の特徴として体毛がないこと,人種の特徴として肌の色の説明を行おうとしている.


体毛については胎児に毳毛があること,成人にも痕跡があることなどから祖先にも全身に毛があったことは間違いないとしている.
しかしダーウィンは毛がないことは天候や寒さに対して生存には不利だと思われると考え,また毛の濃さには性差が見られることからこれは男性の選り好みにかかる性淘汰形質ではないかと議論している.
毛がないことが不利であるという議論は現代ではあまりないだろう.ダーウィンはヒトがわざわざ衣服を着ることを毛がないことが不利である証拠と見ているが,人類発祥の地がアフリカであれば,これは議論としては弱いだろう.かといって何故そうなのかについては未だに決着がついているともいいがたく,引き続き難しい問題だ.
面白いのは,ヨーロッパ人男性が毛深いことは原始的特徴ではなく先祖返りではないかといっていることで,さらにあまり淘汰圧がかかっていなければ変異が多いことが説明できるとまでいっている.これは性淘汰形質だといっていることとはやや矛盾しているように思われる.昔は男性はより毛深くない女性を選んでいたが,現在ではそうではないといいたいのだろうか?ヨーロッパ人種の擁護のあまりダーウィンには珍しく目が曇ったようにも見えるところだ.


次にダーウィンは男性のヒゲを取り上げている.サル類の装飾的なヒゲについて性淘汰形質だと考えていたので,ヒゲについては女性の選り好みによる性淘汰形質説にかなり自信があるようだ.一部の民族にヒゲがないものがあると誤解していたこともあるのだろう.実際にヒゲが性淘汰形質なのかどうかについてはまだよくわかっていないということだろうか.
ダーウィンは頭のみ毛があり,それが極めて長く伸びることは男性の選り好みによる性淘汰形質だと主張している.傍証として人種により女性の髪の毛がどこまで伸びるかの変異が大きいことをあげている.確かにあのように長く伸びる毛は装飾的としか考えられないように思われ,これは恐らく性淘汰形質なのだろう.


肌の色については性差がほとんどないのでその面からの証拠は弱いとしながら,文化によってそれぞれ美の重要な要素とされており,性淘汰形質だと考えられると主張している.黒人は自分の黒さを美しいと考えていること,多くのサル類にオスのみ真っ黒なものがあることが補強証拠としてあげられている.
現在では肌の色は基本的にはビタミン合成と皮膚癌のトレードオフにより緯度により適応形質が異なっていると考えられている.しかしそれ以外にも性淘汰が効いているのかについてはなおよくわからないということだろうか.そもそも肌の色についての人種差,あるいは民族差についての言説は政治的にあまりにも危ないのでわざわざリサーチを行う研究者が少ないのだろう.


ダーウィンは最後にまとめとして,男性の大きさ,力,勇気などの形質,ヒゲ,体毛,声,美しさはヒトにおける性淘汰形質だと考えられるとしている.ダーウィンはここで示した議論は通常の科学的主張に比べ正確性を欠いているが,そうである可能性が高いものだといっている.そして人種間の際について特に性淘汰の役割が大きいのではないかと述べている.人種差を説明するために膨大な第二部を書いた割にはここの結論は割とあっさりとしているのが印象的だ.





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「人間の進化と性淘汰」を書いたダーウィンの動機についてのデズモンドとムーアの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090727