日本人類学会公開シンポジウム「ダーウィンと人類進化」

shorebird2009-11-03
 
日本人類学会の公開シンポジウムは,いつもは学会と合わせて10月に行っているのだそうだが,今年はダーウィン年ということもあって1ヶ月遅らせて11月3日に東京で開くこととしたそうだ.というわけで参加してきた.

会場は東大本郷の理学部2号館.理学部の他の学科が弥生門近くに固まっているのに一棟だけ赤門そばにあるこの建物は生物系の学科が昔から集積している由緒ある建物だそうだ.私としては昨年の日本学術会議主催の公開シンポジウム以来1年ぶりだ.


シンポジウムは4人の講演者による各45分の講演で質疑の時間なしという構成.


長谷川眞理子 「ダーウィンと人間」


そもそも自分は東大の人類学科出身だが,長らく生物の進化に興味があって人間に関心がなかったこともあり(人間についての関心はここ15年ぐらいとの由)この建物に入ったのは何十年ぶりだということを感慨深そうに話の前振りにしていた.
講演は簡単に進化について説明してから,ダーウィンの人生を紹介し,「ダーウィンが人間についてどう考えていたか」についてみていくという構成だった.


十八番の写真が紹介されながらのトークで所々面白い話が混じる.

  • ダーウィンの家族構成については長兄エラズマスと次男のダーウィンの生き様を対比して,エラズマスも大変才能があったが結局「ごくつぶし」に終わり,これは人間の遺伝と環境を考える上で非常に興味深いとコメント.フランク・サロウェイの本「Born to Rebel」や出生順位と性格の話になるかと思って身を乗り出したが,それ以上の話にはならなかった.
  • ケンブリッジではヘンズローもセジウィックもアングリカンで自然神学の伝統に沿って研究していた.セジウィックは地質学をここで研究するまでは道端の石をひっくり返したこともなかった(この後「これからはひっくり返さない石はないだろう」と続く)とまで語っていた.

ダーウィンと人間については,まずフェゴ島人の野蛮さが非常にダーウィンに大きな衝撃を与えたことを紹介し,ダーウィンの時代に人間の進化について考える上での問題は重要さの順序から次の3つだったと説明.

  1. 人種は「種」なのか「亜種」なのか
  2. 人間はサルの仲間から進化したのか
  3. 人間の道徳はどこから来たのか?

最初の人種問題について当時の単源説と多源説の確執,さらに奴隷制との関連,これを受けての「人間の進化と性淘汰」執筆という一連の流れを説明.ダーウィンは特に人種間の差異について「気まぐれ」なのだと強調したかったのだと解説.
3番目の道徳については,「野蛮人」類人猿,子供の観察と比較から連続性を見いだし,社会生活への適応という理由から進化したものだと考えたと説明.このあたりは「人間の進化と性淘汰」の訳者として十八番のところだ.
最後にこの道徳の進化的な説明や,子供の発達過程の観察などはダーウィンは進化心理学の元祖と考えてよいこと,ダーウィンの不可知主義についてコメントして講演を締めくくった.



馬場悠男 「人間らしさの発達:折り合いをつける」


化石人類の進化や地球上への拡散について大筋を解説.直立二足歩行,臼歯の発達と縮小,大脳の発達について時系列を追いながら解説していくという構成.
興味深かったのはつい最近全身骨格の復元像ほかの大量の論文が発表されたアルディピテクス・ラミダスについてのコメント.年代は440万年前,周囲の環境が森であったこと,地上で直立していたことはわかっていたが,復元像を見ると意外に原始的だという印象だそうだ.特に手足の指については樹上性の特徴が大きく残っているということらしい.森の中で何故直立していたのかについてはラブジョイの「食物を運んだり道具を運んだりするため」という仮説を紹介していた.
後期猿人になり大臼歯の進化に話が移る.乾燥化が進むにつれて(1)がんばって固いものを食べる(2)道具を使って骨の中の骨髄や脳を食べる,という2戦略が生じ,前者は頑丈型猿人となりその後絶滅し,後者が私達の祖先になったという説明がある.
エレクトゥスになってより長距離移動に適応し足が伸びる.その後脳が増大したという流れになる.


ここでダーウィン医学についても話をしたいということで,特に音声コミュニケーションの利点と嚥下困難,睡眠時無呼吸症の欠点のトレードオフが説明される.馬場はまず柔らかいものを食べるようになって口が小さくなり,かつ直立により首が垂直になったために喉頭が入るべきスペースが小さくなってしまったと説明していた.もしそうなら口が小さくなる利点と喉頭が下がる欠点がトレードオフであり,口が小さくなる利点が大きいという話になってしまうが,それはやや疑問だ.直接的に音声コミュニケーションとのトレードオフという説明の方がよいのではないだろうか.
なおこの後,現代人は縄文人に比べても顎が細くなって肥満してより睡眠時無呼吸症のリスクが高くなっていると説明し,これは固いものを食べなくなっているためで,学校教育で固いものを噛みちぎり,噛み締めることを指導し,内申書にも反映させるべきだと(おそらくジョークとして)主張していた.それはそれで面白いが,遺伝的な進化と環境による筋肉と骨の発達があまり明確に区別されずに話されていてちょっと気になった.


最後にはホモ・フロレシエンシスについても解説.一番最初に腕の骨を見せられて意見を求められたときの話(サピエンスでもエレクトゥスでもオランウータンでもなくわからないとしか答えられなかった),化石というより,微妙な化学バランスの中で残った骨という感じのものだということ,一緒に出土した石器は一時かなり進んだものという話もあったが,現在ではエレクトゥス段階のものとほぼ同じだという理解になっていることなどが説明された.フロレシエンシスの由来(ジャワ原人が海を渡ったものという説,ドマニシ原人由来であるという説,直接に猿人の子孫だという説)については決着はまだだそうだ.



斎藤成也 「自然淘汰から中立進化へ」


斎藤節爆裂の中立説講演となった.
まず今日の日付は2009年ではなく,科学歴9年だと宣言.(講演の最後で,科学は懐疑主義と合理主義の上に立つべきでキリスト歴を使うべきではないと主張していた)
また今年は中立説にとっての2大重要論文の1つ1969年のKing and Jukesの「Non Darwinian Evolution」の40周年(もうひとつはもちろん1968年の木村基生の「Evolutionary rate at the molecular level」だ)であるとも力説していた.(するとこれは科学歴紀元前32年,33年と表記すべきではないだろうか.これは一貫しない態度というべきだろう)


さて講演は,アリストテレスの自然の階梯,レオナルド・ダヴィンチの骨の相同についての認識,リンネの分類,ビュフォンやラマルクなどを紹介し,ダーウィンの業績は特にライエルの斉一説的世界観の中で長い時間をかけた累積的な変化を考えた点であると説明.
さらに地質学者の観察を無視し「地球の年代は1億年以上にはなるはずがない」としたケルビン卿の傲慢,物理学における4つの力の分岐に見られる系統樹,ヘッケルの系統樹を紹介し,いよいよ本丸の淘汰主義への攻撃が開始される.


現在の哺乳類についての系統樹の理解を図示し,このローラシア哺乳類とアフリカ哺乳類,南アメリカ哺乳類の分岐は大陸移動に伴う偶然のものであり,「適応」放散と呼ぶのはおかしいと力説.遺伝子的に調べて正の自然淘汰がかかっていることが検証されない限り自然淘汰の結果と主張すべきでないと強く主張された.
その後すべての形質は自然淘汰の結果だと主張するネオダーウィニアンは間違いで,木村の中立説こそが正しいのだとも力説.このあたりはいつもの斎藤節だが,やはり私にはありもしないかかしを仕立ててぶん殴っている印象が強い.現在の進化生物学者は皆中立形質があることを認めているし,過去の著名な進化の総合学説推進者も「すべての」形質が正の自然淘汰の結果だと主張していたとは思えない.(斎藤もそのような引用は示さなかった)もちろん70年代の初めの頃には中立説に懐疑的な遺伝学者もいて,厳しい批判もあったのだろう.しかしそれと,主流の進化生物学者が皆「すべての」形質が正の自然淘汰の結果だと信じていたかということは別ではないだろうか.


ともあれ今回の講演は「ダーウィン」が主題なので,ダーウィン自身はどう考えていたのかが紹介される.種の起源では中立的な形質があると認めている記述が4カ所あるとしてそれぞれ詳しく紹介されていた.(斎藤はダーウィンは正しくて,その後のネオダーウィニアンがねじ曲げたのだという論法だ)


最終的には斎藤は,淘汰説,中立説の現在の相違は,遺伝子,タンパク質,マクロ形質においてそれぞれ中立形質と正の自然淘汰形質がどれだけの割合なのかという程度の問題であると認めている.そして特にマクロの形質において主流派は大部分が正の淘汰形質だとするのに対して斎藤は大部分は中立形質だと主張し,DNAにおいて中立形質の方が多いのは証拠によって明らかだから,マクロでもまずそう推定すべきで挙証責任は主流派にある(淘汰形質というためには遺伝子による検証が必要)と主張された.
私の印象では,結局,形質にはいろいろなものがあり,いかにも適応度に影響を与えているような形質(ヒトの大脳の増大,クジャクの尾羽など)についてはまず淘汰形質だと推定すべきであり,中立だと言い張る人に挙証責任があるように思うのだがどうだろうか.また検証は遺伝子からでなければならないというのは,ケルビン卿ではないがやや傲慢な態度ではないだろうか.検証形式には様々なものがあってよいと思う.
また斎藤はヒトとチンパンジーの共通祖先はチンパンジーに似ていただろうと考えるのは根拠がなく,マクロ的な形質においても中立形質が多ければ,両者から同じぐらい違っていたはずだとも主張されていた.これもかなり違和感がある.私の印象ではチンパンジーとゴリラは相当似ていて,系統樹的に考えるとヒトとチンパンジーの差異のかなりの割合がヒト系統で独自に進化したものだと考える方が合理的であるように思う.


最後に斎藤の信念のひとつは「すべては偶然だ」といい,モノーの「偶然と必然」を紹介し,ダーウィンはイギリス的経験主義でつまらないが,モノーやラマルクはフランス的でとても素敵だと講演を締めくくっていた.とにもかくにも斎藤節だった.



松沢哲郎 「人間とは何か」


これは先日の京都大学霊長類研究所主催公開シンポジウムでの話とほぼ同内容の講演だった.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091007参照)

最初にケニアの石をボッソウに持っていってチンパンジーにナッツ割りをさせてみたところ,台の石が割れて,それをハンマーとして使う頻度が高いことが観察できたことに触れ,道具製作の最初の過程かも知れないという話をされていた.
その後はあおむけの話,チンパンジーの生活史の話,ヒトとの違い,記憶と言語,想像の時間と空間の広がりの話という内容だった.




以上で本日のシンポジウムは終了である.フロアでは各講演者の著書の販売(講演会後のサイン会とセット)も行われていた.長谷川先生の著書は全部持っているので,斎藤先生の本を一冊,馬場先生の本を一冊買い求めて会場を後にした.なお斎藤先生は今年中に中立進化の本を一冊出されるそうだ.