「The Greatest Show on Earth」 第1章 単なる1つの理論なのか? その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


ドーキンスは第1章冒頭で面白い議論をしている.

あなたが古代ローマラテン語の教師だと想像して欲しい.あなたはラテン語の引き締まった文法やポエニ戦争の戦略,カエサルの将軍振り,皇帝達の逸話を生徒たちに語りたいだろう.しかし財政的政治的に支援を受けたお馬鹿どもが繰り返し繰り返しあなたの貴重な時間を奪って学生達に「ローマ帝国など存在しなかった」と吹き込んで,邪魔されるとしたらどうだろうか.

進化があったことを否定するというのは,確立されている歴史的事実を否定するのと同じだ(同じぐらい馬鹿げている)という議論だ.ドーキンスはまずローマ帝国で頭をならしておいてから,ではナチによるホロコーストを否定するという議論ならどうだろうかとたたみかけている.このホロコースト否定派は実際に存在するそうだ.
「そしてもしあなたが歴史の教師で,ホロコースト否定派に同じ時間だけそれも教えろと迫られ,文化相対主義的社会科学者に悪のりされたらどう思うだろうか.」


ドーキンスは今日の生物学教師はこの仮想的な歴史の教師と同じ立場に立たされているのだといっている.子供の両親からは脅迫状が届き,教室では「教師のいうことは間違いだ」と洗脳された子供に相対しなければならない.


ドーキンスによると,かつてこのようなことはアメリカ特有のお馬鹿な出来事だと考えられていたが,英国やヨーロッパにもこれは広がりつつあるということだ.
ひとつにはアメリカからの影響だが,もうひとつにはイスラム人口の増加にともない,マルチ文化主義の浸透,人種差別主義者と思われる恐怖が背景にあるのではないかとドーキンスは示唆している.日本がこのような状況に陥っていない事に私達は感謝すべきだのだろう.


さて本書は宗教批判の書ではないが,ドーキンスはここで(抑えきれなかったのだろう)ちょっとジャブをかましている.高位の聖職者は進化が事実であったことと信仰は何ら矛盾しないという見解を繰り返して示しているが,それを信者に説得しようとはしないと指摘し,是非積極的にそうして欲しいと書いている.

アダムとイブが実在しなかったことを認めている聖職者も説教壇では実在しなかったことには言及せずにアダムとイブを引き合いに出して説教している.問いただされると,それはシンボルだし,それを文字通り信じるほどお馬鹿な人はいないだろうとさえ言う.しかし信者たちはよくいって混乱している.


ともあれドーキンスの主張は「進化が事実である」ということは「古代ローマ帝国が実在した」とか「ホロコーストは事実だ」ということと同じように扱われるべきものだということだ.それは自明であったり,トートロジーとして事実であるということではなく,事実かどうか先験的には決められないが,豊富な証拠によって事実であると認められるものだということだ.
これは,絶対的な真実がどうのとか完全な証明はあり得ないなどという議論には乗りませんよということだろう.そういう議論に乗る人は,ではホロコースト否定派にもエールを送るのかと釘を刺しているのだろう.