「The Greatest Show on Earth」 第10章 親戚関係の樹 その1

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


家畜と栽培植物,目の前で生じている素速い進化の実例,化石,生物の地理的分布,と進化の証拠を見てきた本書だが,第10章では現生生物の中に見られる進化の証拠,「系統樹」を扱う.ダーウィン自身も「種の起源」において現生動物の分類について進化的な観点から系統樹として理解すべきことを説いていて,この章もドーキンスによるダーウィンへのオマージュということになるのだろう.


ドーキンスの議論は骨格の「相同」から始まる.
ドーキンスは様々な哺乳類の骨格を示し,骨の形一つ一つは異なっているが,そのつながりとしての「骨格」はみな「アイデンティカル」であると説明する.
わかりやすい例としてドーキンスは様々な飛行動物の骨格をあげ,コウモリ,翼竜,ムササビ,ヒヨケザル,トビトカゲなどそれぞれ異なる方法で「アイデンティカル」な骨格を利用していることを示している.またウマの蹄が中指の爪であり,それは絶滅動物の滑距目でも同じであること.ウシとアンテロープはまた異なる方法で草原生活に適応していることも示している.
一見異なるように見える頭蓋骨も部品ごとにつながりとして見ると同じであること,つまりすべての哺乳類の骨格は「アイデンティカル」であることを説明し,それを良く表す言葉として聖書のエゼキエル書も引用している.

ここでことさらに聖書をあげている意図はよくわからない.聖書でも「相同」は認めているということを強調したいのだろうか.


骨格が「アイデンティカル」であり,様々な動物群で同じ生態条件でも異なる使い方をしているというのは,進化が事実であればまさに期待されることだというのがここでのドーキンスの主張だ.
また共通祖先から分岐して多様化したのであれば,相同の骨格がどのように使用されているかに基づく分類は入れ子状になるはずであり,それもまさに観察されるものだと主張している.
これらは現生生物を観察することによって系統樹を復元できるという主張ともつながることになるだろう.


ではこのような観察事実を創造論者はどのように説明しようとするのか.それは創造主の心にテーマがあったというこじつけになるだろう.しかし,もしそうであれば,何故ある種の良いデザインやアイデアを同じ生態条件の別の生物に流用しないのかとドーキンスは問いかける.
(もっとも現代の創造論者は,この議論を避けて化石の議論に執着するのが一般的だそうだ.ドーキンスはそれはこの議論では勝ち目がないと教え込まれているからだろうとほのめかしている)


ドーキンスは「何故羽毛がいいアイデアならコウモリに使用しなかったのか」と問いかけつつ,片方で収斂現象(イルカとシイラの流線型,ダンゴムシとタマヤスデの防衛法)を説明し,もう片方でバクテリアに見られる実際の「アイデアの貸し借り」(遺伝子の水平移動)現象を説明している.これらはいずれも面白い問題だが,「進化の証拠」の説明方法としてはやや入り組んでいてわかりにくいところかもしれない.実際に現代の創造論者はここに執着しないということなので,ドーキンスもやや自由に書いているということなのだろう.


この遺伝子の水平移動については,多細胞の動物では3つほど例が知られていて,それは線虫,ショウジョウバエヒルガタワムシで見つかっているということだ.ドーキンスヒルガタワムシは無性生殖のみを行うことで有名であり,そのことと遺伝子の水平移動には関連があるかもしれない(遺伝子交流があると有性生殖の無性生殖に対する有利性を減少させている可能性がある)と示唆しており,興味深い.
植物では遺伝子交流がしばしば観察されるようだ.しかし時に主張される「マメ科植物の根粒のヘモグロビンは動物由来であるという説」はそうではないだろうとコメントしている.

またドーキンスは,遺伝子組み換えの是非についてここでコメントしている.
ドーキンスとしてはなお農業への潜在的な利点とその他の面における用心をせよという本能的な感覚の間にあって態度を保留しているということだそうだ.それでもかつての無邪気な試みによる侵入生物の惨禍(英国へのアメリカ産のハイイロリスの移入が例としてあげられている.いかにも英国的で面白い),芸術家がイヌを光らせようとしていることの嫌悪感などを表明していてやや慎重な姿勢のようだ.


ここまで話が進んだ後でドーキンスはまた相同の例に戻り,今度は甲殻類を取り上げている.ヘッケルの甲殻類の図をあげながら,彼がダーウィンのファンだったことなどに話が脱線している.さらに話題はダーシー・トムソンに飛び,その主張が相同を基本にしていること,それは数学的に位相同型と表現できること(だから進化を前提としないでも相同を定義できる)に触れつつ,彼がコンピューターを使えたらどうだっただろうというファンタジーにひたり,自分がやろうとした動物変形プログラムも回想している.

この相同の話題はドーキンスには珍しく話の構成が緩くて肩の力が抜けている.ヘッケルの図やトムソンの業績をゆっくり眺めてみようという趣旨かもしれない.ヘッケルの図譜は最近日本でも「生物の驚異的な形」という題で翻訳出版されて話題になったところだ.


ドーキンスは相同の話題の最後にダーウィンの「種の起源」第13章「MUTUAL AFFINITIES OF ORGANIC BEINGS: MORPHOLOGY:
EMBRYOLOGY: RUDIMENTARY ORGANS」の最終段落を引用している.ダーウィンはこの13章で進化が認められれば分類学や発生学がどのように再解釈されるべきかを説いているのだが,最後では「観察された事実は系統樹の存在を示しており,まさに進化の証拠だ」と主張しているのだ.ここで本章全体が「種の起源」第13章へのオマージュであることが明瞭になる.

Finally, the several classes of facts which have been considered in this chapter, seem to me to proclaim so plainly, that the inumerable species, genera, and families of organic beings, with which this world is peopled, have all descended, each within its own class or group, from common parents, and have all been modified in the course of descent, that I should without hesitation adopt this view, even if it were unsupported by other facts or arguments.

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