「The Greatest Show on Earth」 第12章 軍拡競争と「進化的神義論」 その2

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


ドーキンスのあげる最後の進化の証拠は,生態系が全体の視点からデザインされたものではなく,個体間競争の産物だと言うことだ.その中でドーキンスは仮に創造主が捕食者と被捕食者の軍拡競争をデザインしているなら「創造主はドラマとスリルを見たいサディストなのだろうか?」と問いかけている.

本章の後半はこのような問題についてのものだ.
慈悲深き全能の神が存在するという信仰にとっては,「そもそも何故世界には邪悪があるのか」ということが大問題になる.普通に考えれば,それだけで「慈悲深き神」という仮説は信用できないように思われそうだが,キリスト教神学ではそこは古来よりがんばっているところらしい.そのような議論全体に対する名前「Theodicy」(「神義論」と訳されることが一般的)まであるそうだ.


ドーキンスは本章前半で経済学的観点から全体のデザイナーはいないことを見てきたので,後半は倫理学的観点から考えようと議論を始める.博愛なる計画者は苦しみを最小化しようとしているだろうか?
もちろんそうなってはいない.ドーキンスは「動物界における苦しみは,それは恐ろしい規模のもので,まごう事なき真実なのだ.」と言っている.


ドーキンスダーウィンもこのことに気づいていたとし,フッカーへの手紙を紹介している.そこでは「devil's chaplain(悪魔に仕える牧師つまり悪魔の代弁者,擁護者*1)はこの残酷な自然についてどんな本を書くだろうか」と書かれているが,幼虫に生きたまま芋虫を食わせる寄生蜂の残酷さにより信仰を失っていったという話もよく語られるところだ.(こちらはエイサ・グレイに宛てた手紙が有名だ)


ドーキンスはまず自然界に無意味な苦痛が多いことを嘆いている.その究極の姿として例にあげられるのはウィルス性感染による苦痛だ.ドーキンスは,トラに喰われたり大蛇に巻き付かれて死ぬならまだ何らかの意味があるように感じられるかもしれないが,単なる複製指令情報に過ぎないウィルスのために苦しんでいるかと思うとむなしいと書いている.もちろんトラだって大蛇だって最終的には自己複製指令情報のためのヴィークルなのだからあまり論理的ではない*2が,感覚的には確かにそうだ.(ドーキンスはこの原稿を書いているときにも風邪を引いていて鼻をかむたびにむなしさがこみ上げるとも書いている.私も最近ひどい吐き気をもたらす風邪を引いたばかりなので非常によくわかる.なんだってRNAの複製指令ごときのためにこんなに苦しい思いをしなきゃならんのだというわけだ)


ドーキンス神学者たちは苦痛の存在について悩んできたが,進化生物学者にとっては苦痛や邪悪の存在があっても困らないという.しかし進化生物学者はそもそも何故苦痛があるのかは説明できなければならない.
ドーキンスは,捕食者に喰われるときに苦痛を感じないような性質が進化し得ないのは何故なのかを解説している.結局それは,苦痛を感じる方が遺伝子の視点から見て有利であるからだろうということになる.ドーキンスはまず苦痛は何か都合の悪いことを避けるための学習のために有効だとし,それを苦しまずに学習するようなメカニズムは,何らかの脳内コンフリクトの場合に学習強度が弱いのだろうと推測している.ドーキンスはそのような突然変異体は,拷問される可能性のあるスパイとしては有能になるかもしれないが,一般的に生存に有利にはならないだろうとコメントしている.


ドーキンスは,そもそも自然淘汰は苦痛の量を気にするはずがないのだと説明を続け,グールドの「Nonmoral Nature」という有名なエッセイを紹介している.グールドによるとダーウィンが感じた寄生性のヒメバチの残酷性への嫌悪はヴィクトリアン思想家の共通のものであったそうだ.

ドーキンスはこのような残酷性は当時の神学の神義論では大問題であっただろうが,進化的な観点からはまったく簡単に説明できるのだともう一度繰り返した後で,グールドのエッセイに紹介されているバックランド師のいかにも苦しい神義論の議論を紹介している.
それはおおむね「肉食獣による捕食により,獲物が間引かれることにより,それより長く生き,その動物が増えてしまった場合に被るすべての苦しみは減るのではないか,そしてそれは博愛的な創造主の思し召しだ」という議論だそうだ.


ドーキンスはこれについて最後に一行あけて「Well, isn't that nice for them!」とコメントしている.「なんとコメントしていいかあっけにとられるが,そういう理由で殺される動物にとって,やさしい思し召しということになるということなのか!(もっとほかの増加抑制策がありうるということも考えつかないのか?)」といったところだろうか.*3



関連書籍


A Devil's Chaplain: Selected Writings

A Devil's Chaplain: Selected Writings

ダーウィンの手紙の中にある語句を題名にしたドーキンスの著書.いろいろなところで発表したエッセイを集めたものだ.



悪魔に仕える牧師

悪魔に仕える牧師

同邦訳


Hen's Teeth and Horse's Toes

Hen's Teeth and Horse's Toes

「Nonmoral Nature」収録のエッセイ集
なおこのエッセイ自体はhttp://www.stephenjaygould.org/library/gould_nonmoral.htmlで読める.


ニワトリの歯―進化論の新地平〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

ニワトリの歯―進化論の新地平〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

「Nonmoral Nature」は,上巻の第2章に「モラルなき自然」と題されて収録されている.
久しぶりに読み返してみた.まずバックランドはそもそも寄生生物の話題を避けていると指摘し,映画「エイリアン」がヒットした理由などにも触れたかと思うと,寄生蜂について詳細な説明を始め,昔の英国における大逆罪の処刑方法(生きたままはらわたを引きずり出す)にもコメントするといった冒頭から始まり,このような芋虫と寄生蜂の物語を叙述するスタンスと英雄譚(寄生蜂を英雄として描くスタンスと結びつく)を語ってから神義論に踏み込む.
グールドのよると寄生蜂問題に関する神義論の戦略にはいくつかあるようだ.まず母バチの愛情深さを強調する方法,摂食部位を選ぶ幼虫の英知をほめる方法,また肉体的苦痛と倫理的悪は異なり,自然の捕食や摂食の場合には苦痛は少ないはずだと考える方法などがあったそうだ.
また自然の残酷さを認めた上で,ハクスレーはその逆を実践するべきだというメッセージとして解釈しようとしたのに対し,ダーウィンはあるがままに受け入れるという解決によったとまとめている.
そして最後の追記も実にしゃれている,やはりグールドはエッセイストとしては超一流だ.

*1:ドーキンスはこの手紙がお気に入りなので後に著書の題名に使ったと言っている

*2:もちろんドーキンスはそれに気づいている.「ヘビやトラも複製マシンだが,美しくて価値がある.私はトラの保全のためなら金を出す」と書いている

*3:垂水雄二訳では「いや,これは彼等にとって素晴らしいことではないか」と訳しているが,もう少し皮肉の効いた言い回しのように感じられる.